ド貧乏ナースエイドは難攻不落の外科医から信頼を得る~つくし集めてたら人生大逆転しました~
プロローグ~予期せぬ出逢い~
ぽかぽかの日差しが降り注ぐ、春。
土手道に並ぶ桜はもうすぐ満開。道行く人はみんなどこか嬉しそう。
そんな幸せな空気のなか――私は桜の木の陰に隠れるようにして、土手に生えているつくしを集めていた。
「せめて今日の夜ごはんの分だけは……」
片手にビニール袋を持ち、つくしを見つけては手早く収穫する。
つくしの収穫は簡単で、手でもできるのが嬉しいところだ。量を集めるのは大変なんだけどね。
「あ、ここにたくさんある~!」
つくしは密集して生えていることが多い。一本見つけたら、そのまわりを探すのが吉。
はやる気持ちをおさえながら、丁寧に一本一本集めていく。これが私の胃袋に入るんだ。今日はお浸しにでもしようか。だし汁と醤油を和えたつくしの味を想像したら、お腹がぐぅと鳴った。
それと同時に、土手の上側にある歩道からクスクスという笑い声が聞こえてきた。
「うわ、見てよあれ。つくしなんか集めてる」
「本当だ。顔に土までつけてるよ、みっともない」
「同じ女として、ああはなりたくないよね」
そのトゲのある言葉は、まっすぐに私の胸を突き刺す。
見上げると、そこには私と同じくらいだろうか。二十代半ばの女性二人組がこちらを見下ろしていた。
スラリとしたスタイルのスキニーパンツと、真っ白なシャツ。女性らしい線を出しながらも、洗練されたファッションだ。緩く巻かれた茶色い髪が、春の日差しを受けてきらめいている。その隣を歩く女性は光沢のある黒髪のショートカットをしていた。服装はプリーツワンピースで、大振りのイヤリングが揺れている。体全体から強さが溢れていて、きりっとした顔によく似合っていた。
――ああ、別世界の人たちだ。
さっきまで感じていた春のあたたかい空気が、嘘のように冷えていく。
美容室にもずいぶんと行っていない。長い髪の毛は邪魔だから後ろで適当にまとめただけだ。着古したパーカーを着て、アクセサリーどころか顔に土をつけている私とは違う。土はわざとつけてるわけじゃないんだけど。ぐいっと袖で顔を拭うと、ざらりとした土の感触があった。
できるだけ気にしないようにしてつくしを集めていると、見飽きたのか二人組はどこかに行ってしまった。
それを確認して、私は安堵の息を漏らす。
……私だって、なりたくてこんな女になったんじゃない。
お腹が減ってるんだから仕方ないでしょ。お金もないし、冷蔵庫には調味料しかないんだもん。電気代を払った財布には、小銭が数十円入ってるだけ。昨日の夜から何も口にしていない。空腹で少し眩暈さえしていた。
あの二人組の顔を思い出すと、つくしを千切る手に力がこもった。
「……あんな風にバカにしなくたっていいじゃない。それにさ、つくしだっておいしいんだから! つくしに失礼だって思わない!?」
ぶちっと思いきりつくしを抜くと、勢いあまって私はそのまま後ろに体勢を崩した。
「きゃああああ!!」
土手は急斜面だったので、倒れた勢いはそのままに、ゴロゴロと転がり落ちてしまう。
「いたたっ……」
体は土と草まみれ。せっかく集めたつくしまで散らばってしまった。いくつか擦り傷ができてしまったようで、起き上がるときに痛みがあった。バカにされて、転んで、つくしも散らばって、泣きっ面に蜂もいいところだよ。泣きたくなるのをぐっとこらえていると、後ろから声がした。
「――おい、大丈夫か?」
振り向くと、そこには……端正な顔立ちをした男性が心配そうに私を見つめていた。 転んだ私を見て駆けつけてくれたのだろうか。額には汗を滲ませている。身長は……私より頭ひとつ以上大きい。180cm以上はあるだろう。シャツの上からでもわかるほど、がっしりとした体躯に、爽やかなツーブロックの髪型。そして特徴的な切れ長の二重。ファッション雑誌から飛び出してきたみたいな男性だ。見上げるようにしてその人に見惚れていると「バウッ」という鳴き声がして我に返る。
その鳴き声は、彼が連れていた大型犬からだった。大きくて細長い、凛々しい顔。たしかボルゾイ……っていう種類だったかな。
「ペチュニア、Sit」
彼がそう言うと、ペチュニアと呼ばれた犬は「クゥン」と鳴いて、ちょこんと道に座った。
私は膝についた草と土を払いながら、お礼を言う。
「心配していただいてありがとうございます。大丈夫です」
「けっこうな勢いで転んでいたのが見えたんだが。……どこか痛みはないか?」
心配そうに私の体を見つめる彼。途端に、自分の恰好が恥ずかしくなる。彼もさっきと女性たちと一緒。私とは別世界の人間だ。イケメンすぎるような人だし、この犬だってお金持ちしか飼えないような犬だろう。こんな人のそばに、私はいてはいけない。私は大げさすぎるほどに、ぴょんぴょんと陽気に跳ねてみた。
「ほらっ、全然大丈夫です! ……いたっ」
ジャンプの着地の瞬間、足首に痛みが走る。
「やっぱり痛めてるんじゃないか。すぐそこに新星病院があるから診てもらおう」
新星病院はこの土手の近くにあるとても大きな病院で、県内外からたくさんの患者が訪れると有名なところだ。だけどこの人はわかっていない。――病院だって、お金がかかるのだ。今の私には、病院にかかるお金なんてない。
「いえ、大丈夫です。もう少し様子を見て、痛むようならすぐに受診します。それに、今は急いでますので」
私は深くお辞儀をして、散らばったつくしを集めはじめた。
「……なにをしているんだ?」
「つくしです。これを取らないと、今日のご飯がないんです」
「ご、ご飯……?」
しまった。緊張していたせいか、つい正直に答えてしまった。
さっきの女性たちと同じように、きっと彼も呆れてしまうはずだ。私とは住んでいる世界が違う人なのだから。彼は今、笑いをこらえているんじゃないだろうか。もしくは、ボロボロの服を着た女がつくしを集めている事実にとんでもなく引いているかもしれない。
おそるおそる彼の方を見ると、彼の反応はそのどちらでもなかった。
やれやれというように、首を振っている。私の顔に熱が集まっていく。
「変なこと言ってごめんなさい! もう気にしないで――」
「それなら、俺が代わりに集めよう」
彼は私が持っていたビニール袋を奪った。
「へ……?」
予想もしていなかった出来事に、思考が止まる。
「転んだばかりだ。ペチュニアと座って待っていろ。ペチュニア、この子が無理をしないように見張れ」
「バウッ」
彼はそう話すと、私にリードを握らせる。有無を言わせない圧があり、私は彼の言う通りにするしかなかった。彼は自分が汚れることも厭わずに、土手に散らばるつくしを袋に入れていく。
イケメンがつくしを集める。こんな光景、なかなか見られないだろう。彼はあっという間にビニール袋いっぱいにつくしを集めてくれた。
「――こんなものでいいか?」
「は、はい。充分です!」
私はつくしを受け取ると、また深々とお辞儀をした。袋いっぱいのつくしを見ると、顔がほころぶ。
「気にするな。時間が経って足が腫れたり、違和感を感じたときはすぐに病院にかかるように」
「わ、わかりました! 本当にありがとうございます!」
心からのお礼を笑顔で伝える。
「よろしい。それにしても、君はとてもいい顔で笑うんだな」
彼はそう言うと、私の頭をそっと撫でた。
「――えっ」
その行動にドキリとして、体をびくっとさせてしまう。
「勘違いするな。頭に草がついていたんだ」
「す、すみません」
「どういたしまして。それじゃあ、また」
その笑みはとても優しかった。世の中には、こんなに素敵な男性もいるんだ。じんわりとした熱を胸に感じる。ペチュニアを連れて去っていく彼の背中を、いつまでも見つめていた。「また」なんて彼は言ったけれど、この先私たちが再会する可能性なんて、限りなく低いだろう。
貧乏な私とお金持ちの彼とでは、住んでいる世界が違う。本来は、交わらない線のようなものなのだから。
土手道に並ぶ桜はもうすぐ満開。道行く人はみんなどこか嬉しそう。
そんな幸せな空気のなか――私は桜の木の陰に隠れるようにして、土手に生えているつくしを集めていた。
「せめて今日の夜ごはんの分だけは……」
片手にビニール袋を持ち、つくしを見つけては手早く収穫する。
つくしの収穫は簡単で、手でもできるのが嬉しいところだ。量を集めるのは大変なんだけどね。
「あ、ここにたくさんある~!」
つくしは密集して生えていることが多い。一本見つけたら、そのまわりを探すのが吉。
はやる気持ちをおさえながら、丁寧に一本一本集めていく。これが私の胃袋に入るんだ。今日はお浸しにでもしようか。だし汁と醤油を和えたつくしの味を想像したら、お腹がぐぅと鳴った。
それと同時に、土手の上側にある歩道からクスクスという笑い声が聞こえてきた。
「うわ、見てよあれ。つくしなんか集めてる」
「本当だ。顔に土までつけてるよ、みっともない」
「同じ女として、ああはなりたくないよね」
そのトゲのある言葉は、まっすぐに私の胸を突き刺す。
見上げると、そこには私と同じくらいだろうか。二十代半ばの女性二人組がこちらを見下ろしていた。
スラリとしたスタイルのスキニーパンツと、真っ白なシャツ。女性らしい線を出しながらも、洗練されたファッションだ。緩く巻かれた茶色い髪が、春の日差しを受けてきらめいている。その隣を歩く女性は光沢のある黒髪のショートカットをしていた。服装はプリーツワンピースで、大振りのイヤリングが揺れている。体全体から強さが溢れていて、きりっとした顔によく似合っていた。
――ああ、別世界の人たちだ。
さっきまで感じていた春のあたたかい空気が、嘘のように冷えていく。
美容室にもずいぶんと行っていない。長い髪の毛は邪魔だから後ろで適当にまとめただけだ。着古したパーカーを着て、アクセサリーどころか顔に土をつけている私とは違う。土はわざとつけてるわけじゃないんだけど。ぐいっと袖で顔を拭うと、ざらりとした土の感触があった。
できるだけ気にしないようにしてつくしを集めていると、見飽きたのか二人組はどこかに行ってしまった。
それを確認して、私は安堵の息を漏らす。
……私だって、なりたくてこんな女になったんじゃない。
お腹が減ってるんだから仕方ないでしょ。お金もないし、冷蔵庫には調味料しかないんだもん。電気代を払った財布には、小銭が数十円入ってるだけ。昨日の夜から何も口にしていない。空腹で少し眩暈さえしていた。
あの二人組の顔を思い出すと、つくしを千切る手に力がこもった。
「……あんな風にバカにしなくたっていいじゃない。それにさ、つくしだっておいしいんだから! つくしに失礼だって思わない!?」
ぶちっと思いきりつくしを抜くと、勢いあまって私はそのまま後ろに体勢を崩した。
「きゃああああ!!」
土手は急斜面だったので、倒れた勢いはそのままに、ゴロゴロと転がり落ちてしまう。
「いたたっ……」
体は土と草まみれ。せっかく集めたつくしまで散らばってしまった。いくつか擦り傷ができてしまったようで、起き上がるときに痛みがあった。バカにされて、転んで、つくしも散らばって、泣きっ面に蜂もいいところだよ。泣きたくなるのをぐっとこらえていると、後ろから声がした。
「――おい、大丈夫か?」
振り向くと、そこには……端正な顔立ちをした男性が心配そうに私を見つめていた。 転んだ私を見て駆けつけてくれたのだろうか。額には汗を滲ませている。身長は……私より頭ひとつ以上大きい。180cm以上はあるだろう。シャツの上からでもわかるほど、がっしりとした体躯に、爽やかなツーブロックの髪型。そして特徴的な切れ長の二重。ファッション雑誌から飛び出してきたみたいな男性だ。見上げるようにしてその人に見惚れていると「バウッ」という鳴き声がして我に返る。
その鳴き声は、彼が連れていた大型犬からだった。大きくて細長い、凛々しい顔。たしかボルゾイ……っていう種類だったかな。
「ペチュニア、Sit」
彼がそう言うと、ペチュニアと呼ばれた犬は「クゥン」と鳴いて、ちょこんと道に座った。
私は膝についた草と土を払いながら、お礼を言う。
「心配していただいてありがとうございます。大丈夫です」
「けっこうな勢いで転んでいたのが見えたんだが。……どこか痛みはないか?」
心配そうに私の体を見つめる彼。途端に、自分の恰好が恥ずかしくなる。彼もさっきと女性たちと一緒。私とは別世界の人間だ。イケメンすぎるような人だし、この犬だってお金持ちしか飼えないような犬だろう。こんな人のそばに、私はいてはいけない。私は大げさすぎるほどに、ぴょんぴょんと陽気に跳ねてみた。
「ほらっ、全然大丈夫です! ……いたっ」
ジャンプの着地の瞬間、足首に痛みが走る。
「やっぱり痛めてるんじゃないか。すぐそこに新星病院があるから診てもらおう」
新星病院はこの土手の近くにあるとても大きな病院で、県内外からたくさんの患者が訪れると有名なところだ。だけどこの人はわかっていない。――病院だって、お金がかかるのだ。今の私には、病院にかかるお金なんてない。
「いえ、大丈夫です。もう少し様子を見て、痛むようならすぐに受診します。それに、今は急いでますので」
私は深くお辞儀をして、散らばったつくしを集めはじめた。
「……なにをしているんだ?」
「つくしです。これを取らないと、今日のご飯がないんです」
「ご、ご飯……?」
しまった。緊張していたせいか、つい正直に答えてしまった。
さっきの女性たちと同じように、きっと彼も呆れてしまうはずだ。私とは住んでいる世界が違う人なのだから。彼は今、笑いをこらえているんじゃないだろうか。もしくは、ボロボロの服を着た女がつくしを集めている事実にとんでもなく引いているかもしれない。
おそるおそる彼の方を見ると、彼の反応はそのどちらでもなかった。
やれやれというように、首を振っている。私の顔に熱が集まっていく。
「変なこと言ってごめんなさい! もう気にしないで――」
「それなら、俺が代わりに集めよう」
彼は私が持っていたビニール袋を奪った。
「へ……?」
予想もしていなかった出来事に、思考が止まる。
「転んだばかりだ。ペチュニアと座って待っていろ。ペチュニア、この子が無理をしないように見張れ」
「バウッ」
彼はそう話すと、私にリードを握らせる。有無を言わせない圧があり、私は彼の言う通りにするしかなかった。彼は自分が汚れることも厭わずに、土手に散らばるつくしを袋に入れていく。
イケメンがつくしを集める。こんな光景、なかなか見られないだろう。彼はあっという間にビニール袋いっぱいにつくしを集めてくれた。
「――こんなものでいいか?」
「は、はい。充分です!」
私はつくしを受け取ると、また深々とお辞儀をした。袋いっぱいのつくしを見ると、顔がほころぶ。
「気にするな。時間が経って足が腫れたり、違和感を感じたときはすぐに病院にかかるように」
「わ、わかりました! 本当にありがとうございます!」
心からのお礼を笑顔で伝える。
「よろしい。それにしても、君はとてもいい顔で笑うんだな」
彼はそう言うと、私の頭をそっと撫でた。
「――えっ」
その行動にドキリとして、体をびくっとさせてしまう。
「勘違いするな。頭に草がついていたんだ」
「す、すみません」
「どういたしまして。それじゃあ、また」
その笑みはとても優しかった。世の中には、こんなに素敵な男性もいるんだ。じんわりとした熱を胸に感じる。ペチュニアを連れて去っていく彼の背中を、いつまでも見つめていた。「また」なんて彼は言ったけれど、この先私たちが再会する可能性なんて、限りなく低いだろう。
貧乏な私とお金持ちの彼とでは、住んでいる世界が違う。本来は、交わらない線のようなものなのだから。
< 1 / 15 >