ド貧乏ナースエイドは難攻不落の外科医から信頼を得る~つくし集めてたら人生大逆転しました~

雨上がりの瞬間

 日勤終了後、私は看護部長から呼び出された。
 私の立場ではなかなか話すことがない、看護師のなかでも一番偉い人だ。重本さんと引田さんの事故報告書と合わせて、霧島先生から今日の顛末が報告されたらしい。「教育不足で、大変申し訳ないことをしました」と丁寧に謝られた。今までの勤務態度の悪さも明るみになって、ふたりにはけん責処分も出たそうだ。責任をもって看護の基本から教えると、看護部長は息巻いていた。
 私は彼女たちが苦手だ。だけど、彼女たちなりに看護の仕事にプライドを持っているのもわかっているつもりだ。きついお灸になるかもしれないけれど、彼女たちにとって良い機会になることを願う。

 更衣を済ませ職員玄関に向かうと、そこには霧島先生が立っていた。
 軽く手を挙げてくれる。私を待っていてくれたのだろう。

「霧島先生、今日はありがとうございました」
「礼を言われるようなことはしていない」
「……なんだか、前にもこんなことがありましたね」

 思わず、ふふっと笑ってしまう。先生は私の顔をじっと見る。

「――やっと、笑顔が見れた」
「先生?」
「なんでもない。それより雨はまだ止んでないな。家まで送って行こう」
「で、でも……」
「昼の食事を断っただろう。今度は断らないよな?」

 理由があったにせよ、昼食のときにはひどい態度をとってしまったと反省する。
 私は小さく頷いて、先生に甘えることにした。


 霧島先生の車に乗り込む。私の家までは十五分程度で着いてしまう。
 食堂で話せる時間より、はるかに短い。車に乗り込んですぐに先生との別れの時間を気にしてしまうなんて、私はどうにかしている。
 車が発進すると、霧島先生が口を開いた。

「今日は大変だったな」
「そうですね。先生にもご迷惑をかけてしまって」
「いや、俺の方こそすまない。奥野さんからも事情は聞いた。俺が軽率な行動をしていたのが原因でもあるんだ。これまで職場では特定の誰かと親しくすることはしないようにしていた。それなのに……」

 先生がギュッとハンドルを握る。

「俺がもっと気を付けていれば、患者にも、そして宮原さんにも迷惑をかけなかった。本当にすまないと思っている」
「そんな、先生は悪くありません」

 私はずっと気になっていたことを先生に聞いた。

「だけど、どうして先生はこんなにも私を気にかけてくれるんでしょうか?」

 先生から返事はない。そっと表情を伺うと、なにかを考えているようだった。
 そして急に、車を路肩に停めた。

「……先生?」

「宮原さん、君が好きだからだよ」
 突然の告白に、頭が真っ白になる。いや、これは職場のスタッフとしてだったり、同僚としての好きかもしれない。パニックになっている自分に言い聞かせるようにしていると、先生から追い打ちがかかる。

「だから、今日の『関係ありません』には動揺した。君は素敵だからね、もしかしたら良い人ができたのかもしれないと後悔したよ。君は鈍いようだから言っておくが、同僚や友人としての好きではない。恋愛対象としてだ」
「え、ええ……ど、どうして」

 そんな夢みたいなことあるの? 鼓動がどんどんとスピードを上げていく。ちゃんと返事をしないといけないのに。うまく話せない。

「最初は面白い子だな、と思っただけだよ。だけど、一緒に働くなかで宮原さんから学ぶことも多く、尊敬していたんだ。そして話すうちに、君の魅力にどんどん惹かれていった。自分でも驚くくらいに、君といる時間が楽しいし、安らぐんだよ」

 霧島先生は優しい瞳で微笑むと、車を発進させた。
 私は胸が苦しくなるくらいに気持ちが高ぶってしまっている。何度も深呼吸をして、やっと落ち着いた頃にはアパートの前だった。

「……着いたよ。戸惑うようなことを言って悪かったね。だけど、どうしても伝えたかったんだ。俺が君を好きでいることを、許してほしい」
「いえ、そんな」

 私たちの間に、チカチカとハザードの音だけが響く。私は深呼吸をして、シートベルトを外した。
 覚悟を決めて、先生の方に体を向ける。

「霧島先生、ありがとうございます。私、私も先生のことが、好きです。もちろん尊敬もしていますが、その、恋愛的な……意味でも」
「本当か……!?」
「はい、大好きです。先生と一緒に居ると、ドキドキするんです。こんなの初めてです」

 先生はくしゃりと笑って、そしてシートベルトを外した。
 片手を私の背中にまわすと、ぐいっと自分の方に引き寄せる。車のなかで私は抱きしめられた。先生の爽やかな整髪料の香りで満たされていく。

「こんなに嬉しいのは、医学部に合格して以来かもしれない」
「私も、給料日よりも嬉しいです」
「どんな例えだ」

 眉を下げて困ったように笑う霧島先生。病院にいるときとはまるで違うその表情にどきっとする。
 見惚れていたのを勘づかれてしまったのか、先生と視線がぶつかる。

 そうして、先生の端正の顔が私の瞳を覗き込むようにして……距離が詰められていく。

「先生、待って、ここ、外です」

「待てない」

 車内に音楽はかけられていない。
 ただ、強い雨が車体を叩く音がしていて、そのなかで、溶けるような口づけの音がたしかに響いた。
 少し離れて、私たちは見つめ合う。

 そうして、霧島先生はもう一度確かめるように私に深いキスをした。
 いつの間にか握られていた手に、ぐっと力が入る。
 指と指が絡み合い、思わず身をよじると、車体がギシ……と揺れた。
 体の力が抜けていくような感覚になったときに、霧島先生はやっと私を解放してくれた。

「――すまない。がっつきすぎたな」

 意地悪そうに笑った先生。私は恥ずかしすぎて目を合わすこともできなかった。

「宮原さん……いや、亜希。これからもよろしく頼む。同僚として、そしてパートナーとして」
「はい、霧島先生」
「プライベートは文哉でいい」
「文哉……さん」

 都合よく雨が降りやんだりはしない。
 だけど私の心はまるで快晴のように、晴れやかな気持ちで溢れていた。
< 14 / 15 >

この作品をシェア

pagetop