ド貧乏ナースエイドは難攻不落の外科医から信頼を得る~つくし集めてたら人生大逆転しました~
今日は初めての夜勤。新星病院の勤務は二交代制で、日勤と夜勤に分かれている。
夜勤は十七時から朝の九時まで。
長時間労働は不安だが、夜勤手当も出るらしいので正直ありがたい。
だけど、予想外のことがひとつあった。
新星病院の社員食堂は日中しか利用できない。つまり、ご飯が食べられないのだ。
給料日はまだまだ先。かと言ってなにも食べずに夜勤はするわけにはいかない。
私は昼間に食べられる野草を色々集めて、どうにかお弁当を作って夜勤に臨んでいた。
今日はナースエイドの先輩の奥野さん、そして重本さんと一緒の夜勤。
夜勤の仕事は見回りのほかに、食事介助、排泄介助、ナースコールの対応がメインだ。奥野さんに仕事を教えてもらっていると、あっという間に時間は過ぎていく。奥野さんは私の五つほど年上の女性なのだが、とても愛嬌があり親しみやすい先輩。初めての夜勤が奥野さんと一緒で良かった。時計を見ると、すでに長針は九時を指していた。
「宮原さん、お疲れ様。落ち着いてきたし休憩にしてご飯食べちゃいましょう」
「はい、ありがとうございます!」
奥野さんは私の方に顔を近づけて耳打ちをする。
「夜勤のコツなんだけどね、重本さんたちグループと一緒のときは休憩時間をずらす方がいいわよ。ナースステーションで一緒になると、嫌味ばっかりなの」
「は、はぁ……」
さすがにメモはとらない。女性が多い職場だからだろうか。
こういうアドバイスをされることは少なくない。
ナースステーションの一角に座り、病室から見えないようにカーテンを引いた。
この一週間ほどでわかったが、この仕事は体力勝負だ。いつもの仕事に加えて、患者さんの体調が急変したりすることもある。走り回って、すでにお腹はぺこぺこだ。
正直、奥野さんにお弁当の中身を見られるのは戸惑いがあったけれど、特に気にしていないみたい。先に電子レンジでお弁当を温めて、さっさと食べ始めた。
「いただきます」
今日のお弁当は、つくしのお浸し、ツワブキの素揚げ、タンポポの根きんぴら、セイヨウタンポポとヨモギの炒め物。茶色と緑色ばっかりだけど、できるだけそれっぽく見えるようにした。調理するより、集める方が大変だったけど……。
シャキシャキとした歯ごたえを楽しんでいると、奥野さんが話し始めた。
「宮原さん、そういえば霧島先生とはもう会った?」
名前をよく聞く先生だ。たしか、整形外科の先生だったか。
「いえ、まだお会いしたことはありません。だけど凄腕の先生だとか、患者さんからお話を聞いています」
「それなら会ったらびっくりするわよ~! うちは回リハだから霧島先生と話せる機会も多いし、他の病棟から羨ましがられてるくらいなんだから」
「羨ましい……? なんでですか?」
奥野さんは鼻息を荒くして、ずいっと私に顔を近づけた。
「エリート外科医のうえに、超がつくほどのイケメンなのよ。歳も三十二歳と若いの! 趣味がトレーニングらしくってスタイルまで抜群ときてる。まごうことなき極上の男よ!」
「ご、極上?」
極上なんて言葉、お肉やお魚でしか聞いたことない。人に使われることなんてあるんだ。
「あ、なーんか微妙な反応。宮原さんも一度会ったらわかるわよ。女性に冷たいのが玉に瑕なんて言われるけれど、あたしからしたらあの冷たさも魅力のひとつというか……! あーあ、あたし結婚早まったなぁ」
目をハートにして悶えるように体をくねくねさせている彼女に呆れていると、ナースステーションのカーテンがさっと引かれた。
驚いて振り返ると、私たちを睨む重本さんが仁王立ちしていた。
「――助手さんはいいわね。さっさと自分たちの仕事だけを終わらせて、休憩に入れるんだもの」
「す、すみません! お先に休憩入らせていただいていますっ」
返事はない。重本さんは私のお弁当を一瞥すると、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「うわ、やっぱりつくし入ってる。みっともない」
そのとき、私は思い出した。
彼女……重本さんは、私がつくしを集めているときに、嘲笑っていた女性のひとりだ。
なんで今まで気づかなかったんだろう。あのときは緩く巻いていた髪が印象的だったけれど、勤務中は髪を後ろにまとめているからだろうか。血の気がさーっと引いていく。
「つくし? ああ、うちのおばあさんも食べたりしてたわね」
奥野さんが場を和まそうとしたのかフォローを入れてくれたけど、重本さんの嫌味は止まらない。
「この助手さん、病院の近くの土手でつくし取ってたのよ。顔に土までつけちゃって。浮浪者かと思ったらうちの病棟に入社してきたし、今でも信じられないわ」
重本さんのあまりの強い言葉に、奥野さんは何も言えなくなっている。私も頭が真っ白になって、返事ができない。恥ずかしい。悲しい。辛い。グルグルと様々な感情が頭の中に浮かんでは消える。私だって、好きで野草ばかり食べているわけじゃない。フリーズしている私に、重本さんは続ける。
「ねぇ、あなたって貧乏なの? 服も安っぽかったし」
「び、貧乏なんてことは……」
この質問に、「はい、貧乏です」なんて言える人はいるのだろうか。私にだって、小さなプライドはあった。
「ははっ! 聞かない方が良かった? でもこの際だから言わせてもらうわ。あなたみたいなみっともない人、新星病院には似合わない。道端のつくしを拾うような人に、いい〝ケア〟ができるとも思えないのよね」
――私、みっともないのかな。ただ毎日、必死に生きているだけなのに。
これまでの自分の人生を丸ごと否定されたような気持ちで、目の奥がつんとした。
泣いちゃいけない。どんなときだって、笑顔で。そう思っているのに、涙が目に溜まっていくのがわかる。
そのときだった。
「それなら、俺もいいケアができないってことになるが」
重本さんの後ろには、白衣を着た長身の男性がいた。重本さんも奥野さんも、目を見開いて驚いている。
その男性は――あの日、私のかわりにつくしを集めてくれた彼だった。
「霧島先生っ⁉ なんでこんなところに……」
「自分の患者の記録ぐらい見に来て当たり前だろう。ところで、重本ナース」
「は、はい!」
重本さんはさっきまでの態度が嘘のように、姿勢を正している。
「いい〝ケア〟にはつくしを取るだとか取らないだとか……そんなものが関係するようだな。素人質問で恐縮だが、その根拠を俺に教えてくれないだろうか?」
重本さんの喉がひゅっと鳴るのが聞こえた。
「いえ、その、それは……わたしはただ、助手さんにも新星病院のスタッフとして誇りを持っていただきたくて指導を……」
しどろもどろに答える彼女は、まるで別人のようだ。霧島先生は、ため息を吐く。
「つまり根拠はなし、と。あくまでも俺の個人的な意見にはなるが……一緒に働く仲間にさえ寄り添えないスタッフの方が、いいケアができるのか疑わしいところだ。この件は、看護師長にも報告しておく」
重本さんはガクっと肩を落として、逃げるようにナースステーションから出ていった。
それと同時にナースコールが鳴る。奥野さんも気まずくなったのか「あたしが行ってくるからゆっくりしてて!」と対応に走ってしまった。
もう一度彼を見る。間違いなくあの日、ペチュニアを連れていた彼だった。
「あの……かばってくれてありがとうございます」
「礼を言われるようなことはしていない。重本ナースが間違っていたから注意しただけだ」
「それでも……ありがとうございます」
彼はさっきまでの冷たい目が嘘のように、優しい目をしていた。
「それにしても、まさか同じ職場になるとはな。受診しろとは言ったが、働きに来いとは言ってないぞ」
「覚えてたんですね……! あの日のこと」
途端に恥ずかしくなって、私は顔を背けてしまう。
「忘れるはずないだろう。あの道を通るたび、君のことを思い出していた」
彼はなんとなく言った言葉だろう。だけどそれは、私の心を強く震えさせた。
私もあの道を通るたびに、彼の姿を探していたのだから。
「ところで、君の名前は?」
そうだ、自己紹介もしていない。できるだけ声が上ずらないように、私はゆっくりと自分の名前を話す。
「……宮原亜希です」
「ほう、君が宮原さんだったのか。患者さんが君のことを『いつも優しく笑顔で接してくれる』と褒めていたよ」
「ほ、本当ですか! 嬉しいです!」
思いがけない褒めに、顔がほころぶ。私を見て、先生はまた微笑んだ。
「俺は霧島文哉。外科医だ。あらためてよろしく」
そう言って彼は右手を差し出した。私はその手をそっと握り返す。
奥野さんは霧島先生のことを「冷たい」と話していたが、私にはとてもそうは思えなかった。
夜勤は十七時から朝の九時まで。
長時間労働は不安だが、夜勤手当も出るらしいので正直ありがたい。
だけど、予想外のことがひとつあった。
新星病院の社員食堂は日中しか利用できない。つまり、ご飯が食べられないのだ。
給料日はまだまだ先。かと言ってなにも食べずに夜勤はするわけにはいかない。
私は昼間に食べられる野草を色々集めて、どうにかお弁当を作って夜勤に臨んでいた。
今日はナースエイドの先輩の奥野さん、そして重本さんと一緒の夜勤。
夜勤の仕事は見回りのほかに、食事介助、排泄介助、ナースコールの対応がメインだ。奥野さんに仕事を教えてもらっていると、あっという間に時間は過ぎていく。奥野さんは私の五つほど年上の女性なのだが、とても愛嬌があり親しみやすい先輩。初めての夜勤が奥野さんと一緒で良かった。時計を見ると、すでに長針は九時を指していた。
「宮原さん、お疲れ様。落ち着いてきたし休憩にしてご飯食べちゃいましょう」
「はい、ありがとうございます!」
奥野さんは私の方に顔を近づけて耳打ちをする。
「夜勤のコツなんだけどね、重本さんたちグループと一緒のときは休憩時間をずらす方がいいわよ。ナースステーションで一緒になると、嫌味ばっかりなの」
「は、はぁ……」
さすがにメモはとらない。女性が多い職場だからだろうか。
こういうアドバイスをされることは少なくない。
ナースステーションの一角に座り、病室から見えないようにカーテンを引いた。
この一週間ほどでわかったが、この仕事は体力勝負だ。いつもの仕事に加えて、患者さんの体調が急変したりすることもある。走り回って、すでにお腹はぺこぺこだ。
正直、奥野さんにお弁当の中身を見られるのは戸惑いがあったけれど、特に気にしていないみたい。先に電子レンジでお弁当を温めて、さっさと食べ始めた。
「いただきます」
今日のお弁当は、つくしのお浸し、ツワブキの素揚げ、タンポポの根きんぴら、セイヨウタンポポとヨモギの炒め物。茶色と緑色ばっかりだけど、できるだけそれっぽく見えるようにした。調理するより、集める方が大変だったけど……。
シャキシャキとした歯ごたえを楽しんでいると、奥野さんが話し始めた。
「宮原さん、そういえば霧島先生とはもう会った?」
名前をよく聞く先生だ。たしか、整形外科の先生だったか。
「いえ、まだお会いしたことはありません。だけど凄腕の先生だとか、患者さんからお話を聞いています」
「それなら会ったらびっくりするわよ~! うちは回リハだから霧島先生と話せる機会も多いし、他の病棟から羨ましがられてるくらいなんだから」
「羨ましい……? なんでですか?」
奥野さんは鼻息を荒くして、ずいっと私に顔を近づけた。
「エリート外科医のうえに、超がつくほどのイケメンなのよ。歳も三十二歳と若いの! 趣味がトレーニングらしくってスタイルまで抜群ときてる。まごうことなき極上の男よ!」
「ご、極上?」
極上なんて言葉、お肉やお魚でしか聞いたことない。人に使われることなんてあるんだ。
「あ、なーんか微妙な反応。宮原さんも一度会ったらわかるわよ。女性に冷たいのが玉に瑕なんて言われるけれど、あたしからしたらあの冷たさも魅力のひとつというか……! あーあ、あたし結婚早まったなぁ」
目をハートにして悶えるように体をくねくねさせている彼女に呆れていると、ナースステーションのカーテンがさっと引かれた。
驚いて振り返ると、私たちを睨む重本さんが仁王立ちしていた。
「――助手さんはいいわね。さっさと自分たちの仕事だけを終わらせて、休憩に入れるんだもの」
「す、すみません! お先に休憩入らせていただいていますっ」
返事はない。重本さんは私のお弁当を一瞥すると、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「うわ、やっぱりつくし入ってる。みっともない」
そのとき、私は思い出した。
彼女……重本さんは、私がつくしを集めているときに、嘲笑っていた女性のひとりだ。
なんで今まで気づかなかったんだろう。あのときは緩く巻いていた髪が印象的だったけれど、勤務中は髪を後ろにまとめているからだろうか。血の気がさーっと引いていく。
「つくし? ああ、うちのおばあさんも食べたりしてたわね」
奥野さんが場を和まそうとしたのかフォローを入れてくれたけど、重本さんの嫌味は止まらない。
「この助手さん、病院の近くの土手でつくし取ってたのよ。顔に土までつけちゃって。浮浪者かと思ったらうちの病棟に入社してきたし、今でも信じられないわ」
重本さんのあまりの強い言葉に、奥野さんは何も言えなくなっている。私も頭が真っ白になって、返事ができない。恥ずかしい。悲しい。辛い。グルグルと様々な感情が頭の中に浮かんでは消える。私だって、好きで野草ばかり食べているわけじゃない。フリーズしている私に、重本さんは続ける。
「ねぇ、あなたって貧乏なの? 服も安っぽかったし」
「び、貧乏なんてことは……」
この質問に、「はい、貧乏です」なんて言える人はいるのだろうか。私にだって、小さなプライドはあった。
「ははっ! 聞かない方が良かった? でもこの際だから言わせてもらうわ。あなたみたいなみっともない人、新星病院には似合わない。道端のつくしを拾うような人に、いい〝ケア〟ができるとも思えないのよね」
――私、みっともないのかな。ただ毎日、必死に生きているだけなのに。
これまでの自分の人生を丸ごと否定されたような気持ちで、目の奥がつんとした。
泣いちゃいけない。どんなときだって、笑顔で。そう思っているのに、涙が目に溜まっていくのがわかる。
そのときだった。
「それなら、俺もいいケアができないってことになるが」
重本さんの後ろには、白衣を着た長身の男性がいた。重本さんも奥野さんも、目を見開いて驚いている。
その男性は――あの日、私のかわりにつくしを集めてくれた彼だった。
「霧島先生っ⁉ なんでこんなところに……」
「自分の患者の記録ぐらい見に来て当たり前だろう。ところで、重本ナース」
「は、はい!」
重本さんはさっきまでの態度が嘘のように、姿勢を正している。
「いい〝ケア〟にはつくしを取るだとか取らないだとか……そんなものが関係するようだな。素人質問で恐縮だが、その根拠を俺に教えてくれないだろうか?」
重本さんの喉がひゅっと鳴るのが聞こえた。
「いえ、その、それは……わたしはただ、助手さんにも新星病院のスタッフとして誇りを持っていただきたくて指導を……」
しどろもどろに答える彼女は、まるで別人のようだ。霧島先生は、ため息を吐く。
「つまり根拠はなし、と。あくまでも俺の個人的な意見にはなるが……一緒に働く仲間にさえ寄り添えないスタッフの方が、いいケアができるのか疑わしいところだ。この件は、看護師長にも報告しておく」
重本さんはガクっと肩を落として、逃げるようにナースステーションから出ていった。
それと同時にナースコールが鳴る。奥野さんも気まずくなったのか「あたしが行ってくるからゆっくりしてて!」と対応に走ってしまった。
もう一度彼を見る。間違いなくあの日、ペチュニアを連れていた彼だった。
「あの……かばってくれてありがとうございます」
「礼を言われるようなことはしていない。重本ナースが間違っていたから注意しただけだ」
「それでも……ありがとうございます」
彼はさっきまでの冷たい目が嘘のように、優しい目をしていた。
「それにしても、まさか同じ職場になるとはな。受診しろとは言ったが、働きに来いとは言ってないぞ」
「覚えてたんですね……! あの日のこと」
途端に恥ずかしくなって、私は顔を背けてしまう。
「忘れるはずないだろう。あの道を通るたび、君のことを思い出していた」
彼はなんとなく言った言葉だろう。だけどそれは、私の心を強く震えさせた。
私もあの道を通るたびに、彼の姿を探していたのだから。
「ところで、君の名前は?」
そうだ、自己紹介もしていない。できるだけ声が上ずらないように、私はゆっくりと自分の名前を話す。
「……宮原亜希です」
「ほう、君が宮原さんだったのか。患者さんが君のことを『いつも優しく笑顔で接してくれる』と褒めていたよ」
「ほ、本当ですか! 嬉しいです!」
思いがけない褒めに、顔がほころぶ。私を見て、先生はまた微笑んだ。
「俺は霧島文哉。外科医だ。あらためてよろしく」
そう言って彼は右手を差し出した。私はその手をそっと握り返す。
奥野さんは霧島先生のことを「冷たい」と話していたが、私にはとてもそうは思えなかった。