隠れ御曹司の溺愛に身も心も包まれて
 岩本君と一緒に過ごしていると、自分の中にある強い心が引き出されていくような感覚になった。
 本来どんな人にも負けない心があると思うんだけど、なかなか出すことができないのだ。
 岩本君には感謝してもしきれない。彼の存在が私の中でどんどんと大きくなっていく。
 優しくしてくれたらその分、離れるのが寂しい。岩本君がどんな気持ちなのか知りたくなってしまった。そして私は核心に迫るために口を開いた。
「どうして、そんなに私のことを想って……くれるの?」
「同じように僕のことを大切にしてくれたからですよ」
 新入社員に対して教えなければならないことは伝えたけれど、そんな特別なことをした記憶はない。
「もしかして……」
 岩本君の目を見ていると遠い記憶が蘇ってきた。
 それは私が画材屋でアルバイトをしていたときのこと。
 当時の私は十七歳だった。
 ということは、五歳年下だから岩本君は十二歳だったということになる。
 ちょっとふっくらしていた幼い少年が画材屋に頻繁に足を踏み入れていたのだ。もじもじとしていて、元気がなくて、心配なので話しかけてみた。
『何かお探しですか?』
『あ、あのっ……僕のお父さんはデザインを手がけている会社の社長なんだ』
 声変わりがまだしていなかった。
『そうなのね』
『だけど……僕は絵を描くことが大嫌い。わからないから』
『お父さんの会社のことをわかろうと思ってここに来たんだね』
 彼は小さく頷いた。
『絵のことが少しわかれば……将来僕が会社で働く時、役に立てるかなと思って』
 大きなものを背負っている少年を見て、私の心の中に何かが芽生えた。
 悩んでいる人がいるなら助けてあげたい。
 少しでもデザインやイラストのことを知ってもらって楽しいと思ってほしい。私にできることはないかと悩んだ。
 でもいきなり私がイラストやデザインに対する思いを伝えたところで、彼の胸には届かない。だからゆっくりと話を聞くことに専念した。
 三ヶ月くらい過ぎた頃だっただろうか。
 私は一枚のポストカードにありったけの気持ちを込めてイラストを描いたのだ。あの少年に届けたい。
 そしてお店に来てくれた彼に、私はカードをプレゼントした。すると少年の瞳がキラキラと輝き、満面の笑みを浮かべてくれたのだ。
『すごいね。僕はね、文字でなければ、人には気持ちが伝わらないものだって思ってたんだ。でもお姉さんのこの絵を見て、お姉さんの心の中に広がっている世界を見た気がして、感動したよ。僕のお父さんはすごい仕事をしていたんだね』
 饒舌に話す少年の姿を見て、絵の魅力が伝わったと思い嬉しくてにっこりと笑った。
 それから少年はお店に訪れることがなくなり、私は一年でアルバイトを辞めてしまった。
 だからそれっきり会えていない。
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