痛い痛い、恋をした。
「あ…」


ひらり、まだ少し肌寒い日があって桜の蕾が残る頃。
陽だまりを受け、先に開花した花弁たちが、不意に渦巻いた風に舞って、そのまま何度もゆらゆらと弧を描きながら、地面に落ちた。

私は何の気なしに、淡いリップを口唇に引きながら、その様子を鏡越しに見つめた。

春の訪れは、果敢ない。
それは、年々温暖化が進むにつれて深刻な問題になっている。
…通年に言えることでもあるけれど。

ざわざわと胸の中を探り出すような、何処か焦れるようなそんな感覚。

私は、ティッシュで軽く口唇に乗せ過ぎたリップを食み、その色を整えてから、もう一度鏡を見やる。

今日は最近手に入れたクリームファンデーションが、上手い具合に肌に馴染んだ。
お馴染みのブラウン系のアイシャドウも、アイラインも、強いて言えばマスカラも…上々で気分良く自分の思い通りにいき、テンションはまぁまぁ良くなった。


それに合わせるのは、その名の通り深いワインのような、ボルドーカラーの胸元が少しだけレースになっているアンティーク調のワンピース。
髪型は…少しだけ緩く巻き、ピアスは一粒のタンザナイト。

そのまま玄関に向かって8cmのピンヒールを履いたら、ドアを開く前に姿見を見つめながら、お気に入りのローズ系な香水を嫌味のない程度に、ウエストの辺りへと少しだけつけていく。
けして、甘過ぎずそして媚びない程度に計算をして…。


そうしたら、がちゃり。
と、ドアを開き…誰もいない部屋に一言小さく「行ってきます」と呟いた。

これは、私のルーティン。
メイクはその時々で変わってしまうけれど、その他は殆ど変わらない。

人の目をなるべく引かないように、それでも凛とした態度を常に持つ様に、心掛け私は今日も歩んでいく。


エナメル質の綺麗に手入れされた、私のピンヒールは、何時だって戦闘態勢に付き物だった。
ワンピースは、この日の為に新調した。
…もしかしたら、金輪際袖を通す事は一生無いかもしれないけれど…。
まぁ、折角買ったのだから、今後も出番がある事を祈りつつ、腕時計で時間を確認する。

待ち時間まで、まだ少し余裕があった。
でも、と私は少し浅い溜息を吐く。


「…午前11時…。なんか、中途半端な時間ね」


デートでランチをするには、少しだけ早いような気がする。…かと言って、カフェで何かを語らうには、直ぐに手持ち無沙汰になる事だろう。


私は「ふぅー」と、また一つ溜息を吐き出すと、先程鍵を掛けたドアノブを少しだけ名残落ちそうに、そっと触れた後カツカツとヒールの音をエレベーターホールに軽く響かせて、そしてタイミング良くやって来たエレベーターに乗り込んだ。

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