痛い痛い、恋をした。
私、塚本亜弓(つかもとあゆみ)は、今年で三十路入りを果たした、立派な「成人女性」だ。
無理に肩肘を張る必要も、背一杯の背伸びをする事もない、ある意味冷静になれる年代…。

逆に、恋愛に関しては20代の頃のように若く明るい、瑞々しくも焦がれるような、相手に対して激情感溢れる恋愛をするには、少しばかり無理のある年齢。

ふっと、自分の爪を見つめる。
綺麗に切り揃え、程良い色合いに染まっているネイル。
そこには、パールの一つ…いやラインストーン等の装飾も一切無い。
少し前までは、そんなネイルにも気を遣っていたのに、何時の間にかネイルは自分の爪を「保護」する物だけに留まった。

「枯れてる…」

自分の呟きに、思わず苦笑いが溢れた。
でも、きっと今日を過ぎれば…この、太陽が雲に出たり入ったりしているスッキリしない天気から抜け出すように、自分も幾つかどろりとした感情を捨てる事が出来るだろうと、そう思っている。


「この前、私が言った言葉をあの人はどれくらい、理解しているのかしらね…」


エレベーターが、どんどんと一階に近づくにつれ、私の気持ちは少しばかり疲弊の色を滲ませてしまう。

半透明な箱のエレベーターには、時折マンションの前のコンビニの看板に太陽の光が当たり、そのまま此方に反射する。
そのなんとも言えない鈍色の明かりが、薄い膜で覆われた私の心を支配した。


「縋れる、わけないよねぇ」


ネイビーブルーのピンヒールは、二回分のボーナスで買ったフェラガモのもの。

ネットで見掛けてからどうしても欲しくなって、社畜かよ…と突っ込みを入れたくなる程、その時ばかりは仕事を詰め込んだ事を思い出す。

元来、物欲を人に頼る事の出来ない体質の私は、当時お付き合いしていた彼氏にも内緒で、この靴を買うのに必死だった。

…そのせいで、暫くして価値観の相違から別れてしまったのだけれど…。


「は。若気の至りね…」


あの頃は、なんでもがむしゃらに頑張って、自分磨きに専念すれば、相手も納得して傍にいてくれると信じていた部分が往々としてあったんだろう。

けれど、思い返すとそれこそ全てが間違いで…、少しくらい相手に対して甘えても良かったのかもしれないと、そう思う。


けれど…あまり興味を示していない的外れな物ばかり、せっせと貢いでくれる相手に対して媚を売ってまで、あれこれせがむ事は私のポリシーに反した。




一応その人の前では付けていくけれど、普段はクローゼットの奥深くに眠っているそれらは、あまりにも不憫だし…。


だから、自分の好きな物は自分で買う…それが一番だと思っているのだ。


例え、それが相手にとって不条理な事だとしても。

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