痛い痛い、恋をした。
ただ、…今耳にしているタンザナイトのピアスは…それだけは、今逢おうとしているヒトが選んでくれた物。


唯一、二人の好みで選んだ物だった。


これは…きっと、クローゼットの中に収まることもなく、これからも私の"お気に入り"として、この耳に飾られるだろう。


未練はない。
あるのは、どこからか漂って来るような、微かな愁傷。

何度、このまま自然とあの人の目の前から消えてなくなり、そしてそのまま滅びてしまおうかと思ったことか。

きつく傷んだ胸は、何時の間にか粉々に砕け、時間を止めたかのように麻痺してしまった。

あんなにも、あの人が…あの人から与えられる全てが、私の生きる光だったのに。


最初の違和感は、直ぐに確信と変わり、私を世界の深淵へ突き落として行ったのだ。



一度ズレた歯車は、二度とかち合わない。


「きっと、貴方には分からないでしょうね」


ピアスのキャッチ部分にすり、と指を当てて私は呟いた。


かたん、と小さな振動を起こして止まったエレベーターがそっと扉を開く。
私はそこから降りると、すぅっと胸一杯に早春の空気を吸い込んで、真っ直ぐにエントランスホールを抜けた。


ふわり、風が私の緩く巻いた髪を一房…ほんの少しだけ切なさを孕んだように撫でて行く。

まるで、この想いを慰めるかのように。


「さぁ…最初で最後のワンシーンを胸に焼き付けましょうか」

静かに、けれどハッキリとした声には、強い決心が滲んだ。


一度は、心惹かれた想い人だ。

そんな人に、これから別れを告げに行くにしては、心はとても冷静だった。


カツカツカツカツ


軽いステップを踏むような、足取り。
私の心は、一歩一歩進む度に明確に…この胸に残る綺麗な想い出を、一つずつ消していく。


煌めく星の下や、少しだけ意味深なネオンの中で交わしたキス。
甘くて蕩けるような甘い囁き。

全てが綺麗で…綺麗過ぎて、盲目になっていた。

無邪気に微笑むその表情。
子供のように、悪戯に滑っていく指先。

二人で作った空間は、私にとって砂糖の過剰摂取かもしれないと思う程甘く優雅で、毎日胸焼けをしそうなくらいだった…。

心地良いはずだったのに、とても大切で愛おしかったのに、何時しか重く全身を縛られる鎖へと変わってしまった。

それなのに。
私をこんな体にしたのは、あの人だったのに…。

あの人は糸も簡単に、私を裏切った。

その首の鬱血痕は、何?
虫に刺されたと貴方は言ったけれど…虫は背中に爪痕なんて残さない。

私の好みに染まりたいと、付けてくれていたフレグランスが、ほんのり甘い香りから、スパイシーな香りに変わったのを、貴方は全く気付いていなかった。


だから、距離を取ったの。


私は…約束を破り、何年も嘘を貫き通そうとする人に、人生を委ねることは出来ない。
そんなことは、自分自身が許さない。

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