国宝級オルガニストは初恋の彼女に甘く口づける
 いじめは無視をするのがいいと聞いて実践してみたが、それも罵倒の対象となった。
「逃げるの、弱虫! 卑怯者!」
 耳を塞いでも聞こえるし、手をつかんで引きはがされることもあった。そのあとにはお決まりの「汚い」の連呼。汚いのさわっちゃった! やだあ! 近寄らないでよ! 数人が自分の周りで嘲ってはしゃぐ。

「だから、学校に行くのがつらくて」
「行くのやめちゃえ」
 律華は驚いて彼を見た。
 学校に行かないなんて選択肢があるとは思ってもみなかった。

「そうだ、これあげる」
 彼は首に手をやると、服の中からペンダントをひっぱりだした。
 きれいな黄緑の石だった。ペリドットに似ているが、トーンが少し暗い。透き通っていて、光を浴びるときらりと光った。

「グリーンアンバーだよ。加熱処理して緑にしてあるんだ。珍しいでしょ?」
「アンバーってなに?」

「琥珀のこと。数千万年から数億年前の樹脂が化石化したものなんだよ。人類が誕生したのが200万年前、今の人間の祖先のホモ・サピエンスなんてたったの40万年から25万年前。人の一生が多く見積もっても100年ちょっと。琥珀に比べたら、なんてあっけない年月なんだって思うよね」
 当時の律華にはその説明は難しかった。だが、それゆえに大人びた彼がきらめいて見えた。

 彼はにっこりと笑った。
「短い人生なんだから、逃げるときがあってもいいんじゃない? 逃げることは弱いことじゃないんだから。戦略的撤退だよ」
 律華は泣きそうになって彼を見た。
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