国宝級オルガニストは初恋の彼女に甘く口づける
「よく私に気が付いたね」
 ごまかすように話題を変えた。

「意外に見えるんだよ。俺の場合は舞台に立ってると感覚が鋭くなるみたいで、余計に。観客の気持ちが肌につきささるみたいなときもある。ちょっとした物音もすごく聞こえて、観客の衣擦れすら耳に痛いときがある」
 律華にはわからない感覚の話で、新鮮だった。

 ドアがノックされて、会話が切れた。
「ちょっと待ってね」
 彼がドアを開けると、女性が無理矢理入って来た。

「今日の演奏も素敵でした!」
 彼女は奏鳴に抱き着いた。

 美人だった。さらさらストレートの茶色の髪は胸まであり、毛先は大きくウェーブしていた。ぱっちりしたアーモンドアイにカールされた長いまつ毛。すっと通った鼻筋。やや大きめの口は彼女の明るさを強調し、白い肌はなめらかで化粧品のCMにも出られそうだ。

「やめてください」
 奏鳴は困惑して彼女を引きはがす。

 律華は彼女を見て硬直した。
 体が自然と震えた。手が胸元のペンダントを探し、触れた瞬間、ぎゅっと握る。
 女性が律華に気が付き、険しい目を向けた。

「香椎律華?」
 違う、とは言えなかった。かといって肯定もしたくない。
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