国宝級オルガニストは初恋の彼女に甘く口づける
「知り合い?」
「小学生のころに、ね」
 奏鳴の問いに、にたりと彼女が笑う。蛇ににらまれた蛙ってこんな気分だ、と律華は目を泳がせた。
 まさか自分をいじめていた夢藤蕾羅(むとうらいら)にここで会うとは思わなかった。

 彼女は大会社、ムトウ製菓の社長令嬢だ。
 そうして思い至る。ムトウミューズホール。ここはムトウ製菓が作ったホールなのだろう。

「私、広告会社で働いてるの」
 そう言って告げられたのは、大手の広告代理店だった。

「このコンサートをとりしきって宣伝したのが私の勤め先。この前は取材も受けたのよ。あなたは今なにしてるの?」
「普通に、会社員」
「へえ」
 あきらかに見下した口調だった。その後、奏鳴に向き直る。

「打ち上げがありますから、そろそろ」
 律華を追い出そうとする発言だった。
「彼女も一緒に、ダメかな」
「部外者だから」
 媚びるように、蕾羅は微笑を彼にむけた。

「私、帰ります」
 声が震えないように気を付けて、律華は言った。
「気を付けてね」
「はい」

 律華は逃げるように楽屋を出た。
 彼に抱きしめられたときとは違い、心臓は恐怖に鼓動を早くしていた。
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