国宝級オルガニストは初恋の彼女に甘く口づける
「動物園はいかがですか?」
「いいよ」
 彼は律華の手を握った。
 驚いて彼を見ると、彼はにこっと笑った。

「俺が迷子にならないように。ダメ?」
 ねだるように目をむけられると、もうダメとは言えなかった。
「迷子対策ですからね」
 念を押して、律華は赤くなった顔を隠すようにうつむいた。



 動物園では二人して年齢を忘れてはしゃいだ。
 丁寧語は、自然と砕けて消えていた。

 白熊のえさやりは迫力があった。係員がえさのお肉を投げると、白熊が水しぶきをあげてプールに飛び込むのだ。
 くつろぐゴリラは人間ようでおもしろかったし、ハシビロコウは噂通りに微動だにしなかった。動画はまるで静止画のようで、奏鳴と一緒に笑った。

 閉園後は近くの商店街に行った。雑多に並ぶ店にわくわくした。外国からの観光客も多かった。

 奏鳴はときおり外国の人に呼び止められ、一緒に写真を撮っていた。彼が世界的なオルガニストと知っている人たちに記念写真を求められたのだ。
 すごいね、と褒めると奏鳴は照れたように苦笑した。

 お店を見て回ったあと、二人で居酒屋に入る。
 個室に案内され、ほっとした。二人きりの緊張感より人に見られずにすむ安心感が強かった。

 彼はどこへ行っても人目をひいた。
 動物園では、女性客は動物より彼を見ている時間のほうが長かったのではないかと思う。
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