国宝級オルガニストは初恋の彼女に甘く口づける
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あ、と律華は声を上げそうになった。
通勤電車で広告を見たときだった。
パイプオルガンの夕べ。
国宝級オルガニストの凱旋公演!
その言葉にひきつけられた。
『ムトウミューズホール』のこけら落としコンサートだ。
協賛は有名な楽器メーカーのオーキッドだった。
すぐさまスマホを取り出し、申し込んだ。パイプオルガンには思い出があった。それを生で聞ける、とわくわくした。
当日、会場に入った瞬間、広さと座席の形式に驚いた。
まるでだんだん畑のようだった。中心にあるステージに向かってブロックごとにわかれた座席が放射状に取り囲んでいる。
ホールの壁がぼこぼこしているのは装飾なのかと思ったら、音の反響のためらしい。
見回すと、二階にVIP席があった。あの席で聞いたらきっと格別だろう。
座席に座ってパンフレットを見る。
座席は葡萄畑形式というらしい。座席によって音の聞こえ方が違うというのがおもしろいと思った。好きな人は何回も通って好みの場所を探すのだろう。そんな楽しみ方があるなんて、考えたこともなかった。
スイス製のパイプオルガンは総重量25トン。壁に埋め込まれるようにして設置されていた。
並び立つ大小の銀色のパイプは約5000本らしい。地上側の一部がへこみ、穴があいていた。これが歌口であり、音が鳴る部分だ。重厚な木枠にアールヌーボー風の金の装飾が美しい。