国宝級オルガニストは初恋の彼女に甘く口づける
 給湯室に向かい、お湯と茶葉の確認をする。
 時間になると事務所を一人の女性が訪れた。
 律華はとっさに隠れた。
 心臓が急にばくばくと早くなる。

 現れたのは蕾羅だった。

「夢藤さん、一緒に仕事ができてうれしいです」
 営業の男性の声が聞こえた。
 イベント会社は広告代理店から仕事をもらうことがある。きっとそれで蕾羅が来たのだ。

 どうしよう。
 お茶だしを頼まれている。行かなくてはならない。
 ほかの人も忙しそうにしているし、そもそもお茶出しは自分の仕事だ。

 逃げて良いよ。
 少年だった奏鳴の声が響く。

 ダメだ、と律華は自分をいましめる。
 ただお茶を出すだけのことにいちいち逃げたら自分を許せなくなってしまう。

 律華は震える手でお茶を入れ、応接ブースに運んだ。
 営業と蕾羅が向かいあって座っている。

 蕾羅は今日も美しかった。自信にあふれ、背筋がピンと伸び、悠然と微笑んでいる。令嬢だからか、内側からにじみ出る上品さがあった。
 律華は手の震えをおさえられないままお茶を出した。顔を見られないように深くうつむいて。
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