国宝級オルガニストは初恋の彼女に甘く口づける
「あなたが会社を辞めて、二度と彼に近付かないなら許してあげる。そっちの会社に仕事をあげるし、彼の契約も切らないわ」
「そんな……」
「そもそもあなたには不釣り合いなのよ。彼、オーキッドの一族なんだから。現社長の甥っ子」
 オーキッドといえば日本を代表する楽器メーカーだ。

「嘘……」
「教えてもらってないのね。どうせあなたはその程度なのよ」
 とどめの言葉は、的確に律華の胸をえぐった。
 言いたいだけ言って、電話は切れた。

 つーつー、と鳴る受話器を戻し、律華は事務机をじっと見た。
 いつも通りにノートパソコンがあり、書類があり、筆記用具が置かれた自分の机。

 長いこと、この場所が自分の会社での居場所だった。
 新卒の春、どきどきしながら入社して、わくわくと机に向かった。

 夏はエアコンの温度設定で同僚と議論し、秋は窓を開けてさわやかな風に書類を飛ばされてみんなで笑いながら拾った。寒い冬は暖房の温度でひそやかな攻防戦があった。

 イベントの準備に駆り出されることは何度もあった。早く人を増やしてよ、と同僚と言い合い、無事に終わると慰労会をした。
 それらすべてを、蕾羅の一言でとりあげられそうになっている。

 彼女のどこにそんな権利があるというのか。
 自分の存在のなにがそこまで気に入らないのだろう。
 思い返しても、なにも思い当たらない。
 子供のころだって彼女とは挨拶をする程度で、ケンカをしたことなどなかった。
 いや、そんなことを考えても仕方がない。
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