国宝級オルガニストは初恋の彼女に甘く口づける
 手が震えた。
 命を奪われるような悪事などしていない。なのにどうして。
 涙があふれて、こぼれた。
 彼と過ごす幸せを手放したら、不幸は遠ざかるだろうか。それでイーブン、差し引きゼロになるのだろうか。

 だけど引き算ばかりの人だっている。自分だってそうだ。先に引き算をされた。いじめというマイナス。
 だが、その分のプラスはどこにあったのだろう。負をひきずって、結局マイナスばかりのように思う。最初のマイナスが大きすぎて、いつまでたっても加算された気がしない。

 きっとそれではいけないのだ。自分でプラスに変えていく、待っているだけではダメだ。
 それはわかる。
 だけど、やはり引きずられてしまうのだ。望んでいなくても。

 マイナスがスタートだと、同じ努力量ではゼロからスタートした人とはいつまでも差が埋まらない。埋めるためには、それ以上の努力が必要だ。
 そうして、蕾羅のようにマイナスを加えようとする人がいる。彼女はまるで律華から奪ったぶんを自分に加えているかのようだ。

 炎上は、いつになったら落ち着くのだろう。
 それまで自分の精神はもつだろうか。

 結局、忙しいから、とだけ彼に返信した。
 それが今の彼女にできる精一杯だった。



 それ以来、彼からのメッセージは無視した。ブロックまではできなかった。
 憂鬱をひきずって出社し、仕事をして帰る。
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