国宝級オルガニストは初恋の彼女に甘く口づける
 会社では炎上の話が広がって、ひそひそされた。
 心配してくれる同僚の存在がありがたかった。

 だが、電車内でも歩いていても、誰かが自分を指さしてなにかを言うのでは、誰かが包丁を持って飛び出してくるのでは、と怯えた。

 奏鳴は毎日、一方的にメッセージをくれた。たわいもない日常の一言。
 彼は心配してくれて、だからあえて普通のメッセージをくれている。それは察した。

 だが、どうしたらいいのかわからなかった。
 蕾羅には、二度と会うなと言われている。

 奏鳴は小さい頃から努力を積み重ねた。ドイツに留学までして腕を磨いた。彼のためにできることは一つ。自分のせいでつまずかせるわけにはいかない。

 退職の日が来たら遠くに引っ越そう、と思った。
 物理的な距離ができたら、きっと彼を思い出に変えられる。そもそも再会が間違っていたのだ。あのまま遠い素敵な思い出にしておくべきだった。

 人生は蕾羅にも同じように存在する。同じように時間が流れている。
 彼女は人生を謳歌し、自分は理不尽に踏みにじられる。

 彼がくれたグリーンアンバーを手に取り、思う。
 悠久の時を経て来たこの石は、今の自分を見てどう思うんだろう。
 短い人生であくせくと働き、悩んでいる自分を。
 くだらない、と笑うだろうか。
 どうせ短い命を惜しんで怖がって、必死だね、とバカにされるのだろうか。

 思って、泣けて来た。
 必死でなにが悪いの。
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