国宝級オルガニストは初恋の彼女に甘く口づける
 人の人生をくだらないなんて笑わないで。
 石はなにも言っていないのに、律華は悔しくて石を握りしめる。

 だけどきっと、と律華は思い直す。
 彼の石なんだから、律華を責めることは言わないはずだ。短い人生なんだから、幸せに生きて。そう言ってくれるはずだ。
 理不尽から逃げるのは負けじゃないはず。だから。

 そう思ったときだった。
 また彼からメッセージが来た。添付を見て、驚いた。
 彼の次のコンサートの電子チケットだった。
 日にちは今度の土曜日。ムトウミューズホールで七時開演だ。

『会いたい』

 ただそれだけの言葉に、涙があふれた。
 最後に、もう一度だけ。
 涙を拭いもせず、律華はスマホを握りしめた。

 最後にもう一度だけ、彼の音楽を聴きたい。
 それで最後にするから。
 もう彼に近付かないし、彼の音楽の邪魔をしないから。
 嗚咽で喉が痛くなる。律華はただ泣いて、彼を想った。



 土曜日、律華は六時半の開場と同時に入場した。
 ネットの写真とは印象が変わるように髪を切って茶色に染め、黒縁のファッショングラスをかけた。
 グリーンアンバーは服の下につけた。
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