王太子の出す初めての命令
第4章
第1話
すっかり日が落ちても、まだ厨房には明かりが灯り、翌日の準備に追われている。
私はいつもの3倍の量はあるテーブルクロスと、5倍の量はあるナプキンの山を前に洗濯にとりかかった。
ナプキンは食事中に汚れた手や口元を拭うのに使われている。
来客が多い分、使用量も多かった。
いつもなら大きなタライに一回ですむ洗濯も、今日は3回はやらないと間に合わない。
一心不乱に足で踏んでいる最中、すっかり忘れていた昼間に言付かった用事を、ふと思い出した。
そうだ。
奥の庭園の片付けに行かなくちゃ。
テント裏に、食器や鍋が放置されたままだ。
私は急いで洗濯の続きに取りかかる。
ロッテは覚えているかしら。
そういえばあれからずっと姿が見当たらない。
手早く洗濯を済ませようと急いだつもりでも、すっかり遅くなってしまった。
夜も深い時間になって、私はワゴンを運び出す。
厨房にも、まだ仕込みを続ける調理人たちが残っていた。
「あの、ロッテを見ませんでしたか? お城に残したお皿や瓶を、今夜中に引き上げるように言われていて……」
「あぁ? ロッテ? 見てないよ。あの子はすぐサボるから」
野菜の皮むきを手伝っていたミナがそう言って振り返る。
ニックがミナに続いた。
「お前、ロッテ一人に仕事させてんのかぁ? マノンは本当に気が利かねぇなぁ。ちょっとは働けよ!」
そこに残っていた数人が、一斉に笑う。
私は何も言わずその場を離れた。
もしかしたら、本当にロッテが一人で片付けに行ったのかも。
寝床にしているという馬小屋をのぞき込んだ。
馬小屋の中の詳しい場所までは聞いていなかったけど、ここにいるのは荷物を運ぶための馬で乗馬用の馬ではないし、それほど数も多くない。
5頭の馬が一列にならんだ一目で見渡せる厩舎内に、人影のようなものは見当たらなかった。
やっぱりロッテは、一人で片付けに行ったんだ!
私は急いで奥庭を目指した。
城内に入るには、城壁の内側に入らなければならない。
バックヤードとも言えるこの場所は、築城後に後から城にくっつけたような造りをしていた。
一応は壁に囲まれ、安全の確保と外部から簡単に中へ侵入されないよう工夫はされている。
だが本当の城の中に入るには、城壁の一部をくり抜いた扉から、中に入らなければならなかった。
そのため私たちのような身分の低い下男下女には、上級召使いたちからの入城許可を必要としている。
すっかり夜は更けていた。
各国要人の来賓警護に回されているのか、いつもはこちら側に立っている門番の兵士まで持ち場を不在にしている。
私は簡素な木の扉をそっと押してみた。
それは簡単に開いてしまう。
「あの、入城の許可をいただきたいのですが……」
扉の向こうは、上級使用人たちの仕事部屋だ。
外部と直接繋がっているバックヤードから城に入るものは、全てここでチェックを受けていた。
関門ともいえるこの場所が、今夜は鍵もかけられていないし、明かりもない。
真っ暗な中を部屋へと忍び込む。
本当は無許可で入れば叱られる部屋なんだけど、今は仕方ないよね。
片付けを言われていたんだもの。
侍女から許可を出しておくとも言われていたし。
何より早く洗い物を引き上げておかないと、明日になって文句を言われるのは料理長であり、怒鳴られるのは私とロッテだ。
部屋には人の出入りと物資の受け渡しを記録する記載所があり、荷物を置いて置く棚や台が並んでいる。
必要な籠やワゴンも、私たちが使うものより随分と立派で新しいものが並んでいた。
掃除道具や、大きな剪定ばさみなんかも見える。
部屋の奥には両側に扉がついていて、ここが城壁の中であることから想像すると、通路のようになっているか、次の部屋に繋がっているのだろう。
私は真っ直ぐに顔を上げた。
目の前には、広大な芝の庭園が透けて見える大きなガラス扉があった。
木の枠にはめられ、左右対称に焦げ茶色の木で蔓のような模様があしらわれている。
私は床から天井に至る扉の、中央を押し広げた。
それは音も無くゆっくりと両側に開く。
丁寧に整えられ何もかもが誰かによって作り込まれた、別世界のような庭が広がる。
「……。戻って来たのね。結局、フェンザーク城に……」
懐かしさと同時に、悲しみと後悔も同時に浮かび上がる。
昼間ワゴンを押した庭も、数年前の私なら、優雅な衣装を着て扇で顔を煽ぎながら、無邪気にゆったりと座っていればいいだけだった。
でも今は違う。
もしかしたらあの頃の方が、儚い夢だったのかもしれない。
「ワゴンよ。とにかく今は、片付けに行かなきゃ」
感傷に浸っている場合じゃない。
見張りが誰もいないなか、部屋の中まで空のワゴンを押し、境界となっている部屋を通過する。
記帳台の記録に、いちおうサインもしておいた。
開けたままにしておいたガラス扉から、庭に出る。
ガラガラと動かしにくくはあったが、空っぽな分扱いやすかった。
急いで片付けてしまおう。
私はワゴンを押す足を速める。
奥庭と呼ばれる、昼間軽食を運んだ庭が近づいてきた。
芝生の中に入ると、やはりワゴンは重くなる。
空の状態ならテント裏までなんとか運べそうだけど、そこから中に皿や調理器具を詰め込んだとして、芝の上を動かせるか自信がない。
それに、ロッテが先に行っているとしたら、二人で二つのワゴンを運ばなくてはならなくなる。
そんなことは、到底無理だ。
急がなくちゃ。
私は芝生広場に入る手前でワゴンをそこに置くと、テント裏へ向かった。
私はいつもの3倍の量はあるテーブルクロスと、5倍の量はあるナプキンの山を前に洗濯にとりかかった。
ナプキンは食事中に汚れた手や口元を拭うのに使われている。
来客が多い分、使用量も多かった。
いつもなら大きなタライに一回ですむ洗濯も、今日は3回はやらないと間に合わない。
一心不乱に足で踏んでいる最中、すっかり忘れていた昼間に言付かった用事を、ふと思い出した。
そうだ。
奥の庭園の片付けに行かなくちゃ。
テント裏に、食器や鍋が放置されたままだ。
私は急いで洗濯の続きに取りかかる。
ロッテは覚えているかしら。
そういえばあれからずっと姿が見当たらない。
手早く洗濯を済ませようと急いだつもりでも、すっかり遅くなってしまった。
夜も深い時間になって、私はワゴンを運び出す。
厨房にも、まだ仕込みを続ける調理人たちが残っていた。
「あの、ロッテを見ませんでしたか? お城に残したお皿や瓶を、今夜中に引き上げるように言われていて……」
「あぁ? ロッテ? 見てないよ。あの子はすぐサボるから」
野菜の皮むきを手伝っていたミナがそう言って振り返る。
ニックがミナに続いた。
「お前、ロッテ一人に仕事させてんのかぁ? マノンは本当に気が利かねぇなぁ。ちょっとは働けよ!」
そこに残っていた数人が、一斉に笑う。
私は何も言わずその場を離れた。
もしかしたら、本当にロッテが一人で片付けに行ったのかも。
寝床にしているという馬小屋をのぞき込んだ。
馬小屋の中の詳しい場所までは聞いていなかったけど、ここにいるのは荷物を運ぶための馬で乗馬用の馬ではないし、それほど数も多くない。
5頭の馬が一列にならんだ一目で見渡せる厩舎内に、人影のようなものは見当たらなかった。
やっぱりロッテは、一人で片付けに行ったんだ!
私は急いで奥庭を目指した。
城内に入るには、城壁の内側に入らなければならない。
バックヤードとも言えるこの場所は、築城後に後から城にくっつけたような造りをしていた。
一応は壁に囲まれ、安全の確保と外部から簡単に中へ侵入されないよう工夫はされている。
だが本当の城の中に入るには、城壁の一部をくり抜いた扉から、中に入らなければならなかった。
そのため私たちのような身分の低い下男下女には、上級召使いたちからの入城許可を必要としている。
すっかり夜は更けていた。
各国要人の来賓警護に回されているのか、いつもはこちら側に立っている門番の兵士まで持ち場を不在にしている。
私は簡素な木の扉をそっと押してみた。
それは簡単に開いてしまう。
「あの、入城の許可をいただきたいのですが……」
扉の向こうは、上級使用人たちの仕事部屋だ。
外部と直接繋がっているバックヤードから城に入るものは、全てここでチェックを受けていた。
関門ともいえるこの場所が、今夜は鍵もかけられていないし、明かりもない。
真っ暗な中を部屋へと忍び込む。
本当は無許可で入れば叱られる部屋なんだけど、今は仕方ないよね。
片付けを言われていたんだもの。
侍女から許可を出しておくとも言われていたし。
何より早く洗い物を引き上げておかないと、明日になって文句を言われるのは料理長であり、怒鳴られるのは私とロッテだ。
部屋には人の出入りと物資の受け渡しを記録する記載所があり、荷物を置いて置く棚や台が並んでいる。
必要な籠やワゴンも、私たちが使うものより随分と立派で新しいものが並んでいた。
掃除道具や、大きな剪定ばさみなんかも見える。
部屋の奥には両側に扉がついていて、ここが城壁の中であることから想像すると、通路のようになっているか、次の部屋に繋がっているのだろう。
私は真っ直ぐに顔を上げた。
目の前には、広大な芝の庭園が透けて見える大きなガラス扉があった。
木の枠にはめられ、左右対称に焦げ茶色の木で蔓のような模様があしらわれている。
私は床から天井に至る扉の、中央を押し広げた。
それは音も無くゆっくりと両側に開く。
丁寧に整えられ何もかもが誰かによって作り込まれた、別世界のような庭が広がる。
「……。戻って来たのね。結局、フェンザーク城に……」
懐かしさと同時に、悲しみと後悔も同時に浮かび上がる。
昼間ワゴンを押した庭も、数年前の私なら、優雅な衣装を着て扇で顔を煽ぎながら、無邪気にゆったりと座っていればいいだけだった。
でも今は違う。
もしかしたらあの頃の方が、儚い夢だったのかもしれない。
「ワゴンよ。とにかく今は、片付けに行かなきゃ」
感傷に浸っている場合じゃない。
見張りが誰もいないなか、部屋の中まで空のワゴンを押し、境界となっている部屋を通過する。
記帳台の記録に、いちおうサインもしておいた。
開けたままにしておいたガラス扉から、庭に出る。
ガラガラと動かしにくくはあったが、空っぽな分扱いやすかった。
急いで片付けてしまおう。
私はワゴンを押す足を速める。
奥庭と呼ばれる、昼間軽食を運んだ庭が近づいてきた。
芝生の中に入ると、やはりワゴンは重くなる。
空の状態ならテント裏までなんとか運べそうだけど、そこから中に皿や調理器具を詰め込んだとして、芝の上を動かせるか自信がない。
それに、ロッテが先に行っているとしたら、二人で二つのワゴンを運ばなくてはならなくなる。
そんなことは、到底無理だ。
急がなくちゃ。
私は芝生広場に入る手前でワゴンをそこに置くと、テント裏へ向かった。