初恋シンドローム
「大和くん、わたし……」
「……あの頃。一緒に過ごした最後の年。夏休みの前。風ちゃん、俺の家に遊びにきてくれたでしょ」
震える声で言いかけたことを遮るように、彼がわざと上から言葉を被せた。
す、と壁についていた手を下ろす。
「いつも喧嘩ばかりの両親だったけど、そのときだけは笑ってた。風ちゃんが持ってきてくれたフルーツタルトをみんなで食べてさ」
「…………」
「そこに乗ってたメロンが────」
「……美味しかった、よね」
咄嗟にそう口にしたのは、ちぎれるほど心が痛くなったからだった。
大和くんの口にするその場面を、わたしはやっぱり思い出せない。
そもそもそんな出来事が実際にあったのかどうかすら定かではないけれど。
わたしを“あの頃”に引き戻そうと、繋ぎ止めようとする姿が、はびこる罪悪感に拍車をかけた。
これ以上、傷つけたくなかった。
「風ちゃん……」
彼ははっとしたような顔で、じっとわたしを見つめていた。
そのうち眉を下げ、散りそうなほど儚い笑みをたたえる。
「……やっぱりきみは優しいね」
そっと顎をすくうと、大和くんが顔を近づけてきた。
呼吸が止まる。一緒に出かけた花畑でのことがよぎる。
拒まなきゃ。拒まなきゃ……。
高鳴る心音が脈打つたびに焦りへと変わる。
「……っ」
ぎゅ、と鞄の持ち手を握る手に力が込もった。
固く口端を結んだまま身動きがとれない。
(でも……)
たった一度のキスでいままでの傷が癒えるのなら。隙間が埋まるのなら。
想いをまるごととはいかなくても、それだけは受け入れるべきなのかもしれない。
それが、大和くんのためにできる罪滅ぼしなのかもしれない────。
「こんなことだろうと思った」
意を決して目を閉じた瞬間、聞き慣れた声が空間を割った。
ふたりしてそちらを向くと、そこには相変わらず淡々とした表情の悠真がいた。
「悠真……」
驚いて目を見張る。
先に教室へ行ったはずなのに、戻ってきたのだろうか。
構わず歩み寄ってくると、ぐい、とわたしの手首を引いて背に隠すようにしながら大和くんと向き合った。
「なにしてんの?」
うんざりしたように尋ねる悠真の後ろ姿を見る。
表情までは窺えないけれど、非難めいた眼差しを向けているのだろうと想像がつく。
大和くんは悠真からわたしに視線を移したあと、ふと何かを考え込むようにわずかに眉を寄せた。
「いや……」
目を落としながら呟くように答える。
いつものように挑発したり器用に誤魔化したりする余裕をなくしているみたいで、それ以上何かを口にする気配はなかった。
(……どうしたんだろう?)
急に様子が変わった。
どこか戸惑いを滲ませながら、大和くんはさっさと廊下を歩いていってしまった。
掴まれた手首の感触が意識されると、また急に緊張が増してくる。
大和くんからのキスを受け入れようとしていたところを見られた。
悠真はいったいどう思っただろう……?
「あの……」
「このまま来て」
彼はこちらを向くことなく告げると、わたしの手を引いたまま教室とは別方向へ歩き出す。
理由も意図も分からず困惑したまま、ただついていった。