一人称おじの部長は、ひたむきな部下を溺愛する

 甘えた声。
 でも、聞き覚えのある声だった。
 呆然とした頭で、立ち止まる。
 薄く開いた扉の隙間から見えたのは、同僚の「瑠美」の顔だった。

 瑠美と当真が?
 当真には隠してたけど、瑠美にだけは、当真と付き合ってることを告げていたのに。
 絶対に、内緒だよ、って……

 見間違いと思いたくて、首を横に振る。
 それでも、目の前の光景は、変わることない。
 私、浮気されてたんだ……
 
 音を出さないように、家を飛び出す。
 頭の中が真っ白で、どうしていいかもわからない。
 のに、体は勝手に灯りを求めていた。
 コンビニに入って、お弁当を見て回る。

 浮気されていた。
 その事実を知ったのに、お腹は空く。
 夜のコンビニにはお弁当も、ほとんどない。

 だんだん、腹立ってきた。
 お弁当もないし。
 仕事頑張って帰ってきたら、浮気されてるし。
 
 というか、そもそも、私の家で浮気する理由って何?
 自分の家でやりなよ。
 拳を握りしめて、太ももを殴ろうとしたら、先ほど別れたはずの葛城さんの声が聞こえた。

「吉川さん?」
「あ、葛城さん……」
「帰ったんじゃなかったの?」

 なんて言おう。
 せっかく、送ってもらったのに。
 ぐっと息を飲み込めば、葛城さんはどんどん困った顔になっていく。

「吉川さん、お腹空いてる?」
「えっ、はい?」
「よし、じゃあ、おじとごはん食べに行こう」
「この時間に、ですか?」
「あ、嫌だったら断って。本当に強制じゃないから」

 慌てて、首を横に振る葛城さん。
 気づけば、ネクタイが無くなってる。

「嫌ではないんですけど、やってるところありますか?」
「あー……ないな。ちょっと待って、ハウスキーパーさんに連絡してみるから」

 葛城さんがスマホを耳に当てながら、コンビニを出ていく。
 ハウスキーパーって、言ったよね?
 住んでる世界が違いすぎる。
 
 待っている間に送ってもらったお礼に、ブラックコーヒーと、いつも舐めてる飴を買う。
 こんなものを渡しても困らせるかもしれないけど……
 何もしないよりは、マシだ。

 コンビニから出れば、葛城さんは車に寄りかかって「うんうん」と頷いていた。

「俺だけじゃなくて、部下の子も」

 俺……。
 普通に、俺っていうんだ?
 おじが一人称な葛城さんしか見たことなかったから、新鮮!

 驚いてじぃっと見てしまっていたらしい、葛城さんがこちらを見て人差し指を口に当てる。
 しぃーっと作った唇に、どきりとした。

 電話が終わったのか、葛城さんは胸ポケットにスマホをしまい込む。
 そして、私を手招きした。

「ハウスキーパーさんもまだ居るから、おじと二人になるわけじゃないから安心してね」
「ハウスキーパーさん、いらっしゃるんですね」
「家事が壊滅的にできないからね……よし、行こう!」

 また、葛城さんの車に乗るとは思ってもいなかったのに。
 助手席にもう一度、お邪魔する。

「お邪魔します」
「はい、どうぞ」

 車を走らせながら、葛城さんはまっすぐを見つめる。
 私の方には、目を向けないまま、問いかけられた。

「聞かれたくなかったら、ごめん。どうして戻ってきたの? ごはん買い忘れ?」
「あー……くだらない話ですけど、聞きますか?」

 誰かに聞いてもらってこのイライラを、解消したかった。
 葛城さんに話すのは、躊躇ったけど、それよりも、怒りが勝ってる。

「聞くよ、聞く聞く」
「彼氏と半同棲してるんですけど」
「うんうん」
「私の家で、他の女と浮気してまして」
「え?」

 葛城さんが驚いたように、一瞬こちらを見る。
 そして、慌てたように、また真っ直ぐ前に目を向けた。

「吉川さんの家で、半同棲してて、そこで浮気してたの?」
「そうなりますね」
「クズだねぇ」
「本当ですよね」

 クズにも程がある。
 浮気するなら自分の家でやれってんだ。
 いや、自分の家だったら、良いって訳でもないんだけど。

 はぁっと深いため息を吐いてから、今日どうしようと考える。
 明日の仕事も、あるのに。
 会社に行けば、着替えを一着置いてあるから、服は何とでもなるけど。
 ホテルを今から取る?
 そもそも、何で私が出ていかなきゃ行けないんだろう?

 モヤモヤとした気持ちを胸の奥に溜めていれば、葛城さんに思いもよらない提案をされる。

「今日は、おじの家泊まる?」
「はい?」
「ハウスキーパーさんも居るから、二人きりにはならないし。個室たくさんあるから、絶対部屋には入らない!」
「いえ、あの、そこまでご迷惑をおかけするわけには」

 葛城さんのお家に泊まる。
 特別すぎて、私には恐れ多い、首をブンブンと横に振った。

「でも、行くところないんでしょ? 部下のことだし、放って置けないから」
「でも、さすがに」
「本当に嫌なら、もう引くけど。おじに迷惑かなって考えてるなら、泊まって欲しい」

 車が赤信号で止まって、開いてる窓から涼しい風が入り込む。
 泊めてもらえるなら正直、ありがたい。
 今から探してホテルが取れるかも、わからないし。

「葛城さんが、いいなら、お願いします」
「うんうん、全然おじは大丈夫」

 嬉しそうに唇を緩めるから、なんだか可愛らしく思えてきてしまう。
 葛城さんの持つ雰囲気は、いつも優しい。
 それでも、ピリッとした緊張感もある。
 なのに、今は、ふんわりと柔らかくて、また、違う一面を見れてしまった。

 葛城さんの家は、門付きの一軒家。
 タワーマンションとかに、住んでそうなのに。
 おどき話に出てきそうな、可愛らしい家だ。
 広さは、可愛くないけど……
 アパートと言われても、納得できるだけの広さだ。

「ただいまー」

 庭も、広い。
 畑のスペースがあったり、芝生が敷いてあったり、少し葛城さんのプライベートがわかるような気がした。
 意外に、家庭菜園とかしてるのかも。

 広い庭を通り抜けて、建物の真ん中にある玄関前に立つ。
 葛城さんの後をついて入れば、中年の女性が出てきた。

「お二人のお食事は、すでに用意してあります」

 ぺこりと私たちにお辞儀をするから、私も釣られてお辞儀をしてしまう。
 葛城さんは「ありがとう」と、微笑んでいる。
 耳をすませば、ハウスキーパーさんは葛城さんに近づいて、小声で怒っていた。

「晴樹さん、もう時間も遅いので私は寝ますからね!」
「いつもすみません」
「お身体のためにも、仕事もほどほどにですよ」
「はいはい、おやすみなさい」

 お母さんに怒られる子供みたいに、謝ってる葛城さんが面白い。
 つい口元を押さえて、くすくす笑ってしまう。
 ダイニングと思わしき部屋に入る前に、葛城さんが一つの部屋を開ける。

「ここ、客間だから使って」
「あ、ありがとうございます」
「お風呂とかはここの向かいの部屋、で、こっちがダイニング。おじの部屋は二階だから安心して」

 ざっと今説明されただけでも、一階部分に五部屋はある。
 他にも扉があったから、もっとあるのかもしれない。
 さすが……若くして部長になった人……

「ここは、親から貰い受けた家だから、おじの実力で買ったものじゃないからね」
「そうなんですね」
「そうそう。でも気に入ってるんだ庭も広いし、部屋数もあるから、こういう時泊められるし」

 私の心の中を読んだのかと思う答えに、ちょっとだけどきりとする。
 葛城さんは見抜いてるような目を、時々するから。
 最初の頃は、怖いと思ってた。

「じゃあごはん食べたらゆっくり休んで」
「ありがとうございます」
「あと、彼氏のこと落ち着くまで泊まっていっても大丈夫だよ」

 ありがたく、頷いて考える。
 当真からの返信は、来てるだろうか。
 来てたら、なんて言うのかな。

 
 
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