一人称おじの部長は、ひたむきな部下を溺愛する

浮気の翌日


 ふかふかの布団のおかげで、当真のことを考えずにぐっすり眠れた。
 少しだけ早く出勤して、女子トイレで替えの服に着替える。
 何かあった時ように、常備していた私を褒めたい。

 結局、昨日のうちには当真からの返信は来なかった。
 今日、顔を合わせるのが、気まずい。
 ましてや、瑠美と居る。
 嫌な気持ちが身体中から溢れそうになって、首を横に振った。
 普通に、普通に。

 自分のデスクに向かえば、葛城さんも、もうデスクに座っている。
 葛城さんの家のごはん、おいしかったなぁ。
 朝ごはんは、パン派らしく、フレンチトーストにベーコンが用意されていた。

「おい、おい! ルノ!」

 声にハッと顔を上げれば、当真が立っていた。
 ムッとした顔をしてるところを見ると、帰ってこなかったのが気に入らないのだろう。

「どうして昨日、帰ってこなかったんだよ」

 あんな時間まで浮気相手と、楽しんでて?
 残業するって言ったから、もっと遅くなると思ってた?
 黙ってるのがバカらしくなって、小声で当真に告げる。

「帰ったよ」
「は?」
「瑠美と、楽しんでたから、出て行ったの。今日中に荷物、持って出て行ってね」
「いや、待ってて、ルノ、勘違いしてないか?」

 焦ってる表情で、目をキョロキョロと動かす。
 憧れも、恋も、今この瞬間に、全て消えた。
 認めて謝られたら……違うと否定されたら……
 想像していたこと全てが、どうでも良くなった。
 この人のどこが好きだったのか、思い出したくもない。

「勘違いも何も、全部見たよ?」
「ルノちゃんに見られちゃったかぁ。ごめーんねっ! そういうことだから!」

 いつのまにか来ていた瑠美が、当真の腕を取る。
 謝る気持ちが全くなさそうな謝罪を、聞き流しながら、パソコンを立ち上げた。

「違うって違う違う。本当違うから」
「どうてもいいけど、仕事始まるよ?」
「はぁーい! 当真も、よかったね。ルノちゃんあっさり引いてくれて」
「違うんだよ、ルノ、聞いて」

 瑠美の手を振り払いながら、両手を合わせる当真をじいっと見る。
 こんなに、情けない顔、初めて見たかもしれない。
 もう一度、丁寧に、ゆっくりと口にする。
 
「し・ご・と」

 やっと諦めたのか、瑠美も、当真も自分のデスクに向かった。
 周りがざわついてる気がしたけど、今のやりとりで、察されたのだろう。
 誰も何も、言わない。
 ただ、一人の視線を除いては。

 顔を上げれば、葛城さんは、切ないような、困ったような目で私を見ていた。

 こんな二人に、負けたくない。
 絶対に、私が今回のコンペ出場権は、勝ち取る。
 企画書も作らずに、浮気に勤しんでる二人に負けたなんて悔しすぎるから。

 熱中すればするほど、時計はあっという間に進んでいく。
 コンペの企画書以外にも、今動いてるプロジェクトの打ち合わせなどがある。
 当真や瑠美とは、別の班なのが救いだった。

 あまり顔を合わせずに、一日をやり過ごし、時計は定時を指し示していた。
 当真は、定時になったのに、帰る用意をしない。
 瑠美は、そんな当真を「帰ろうよ」と引っ張っていたけど。
 私の方をパソコン越しに、チラチラと見て、ため息を吐いてる。

 言いたことがあるなら、はっきり言えば良いじゃない。
 帰宅準備をしていた先輩たちも、私たちの動向が気になるのか、一瞬こちらを見てから出ていく。
 意を結したように立ち上がった当真は、私にゆっくりと近づいてくる。

「あのさ、ルノ」
「なんですか?」
「外で一回話せないか?」
「話すこと、あります?」

 わざとらしく取り繕った、冷たい声に、自分で背筋が冷える。
 こんなこと、言いたくない。
 さっさと別れて、きっぱり、出て行ってくれれば良いのに。

「悪かった。瑠美とのこと。ルノは、一人で頑張っちゃうから俺寂しくて」

 会社ということも、忘れてるんだろうか。
 瑠美は当真の後ろで、目をキラキラとさせている。
 うん、バカなのかな、この二人。

 そもそも、一人で頑張らせるのは、当真なのに。

「だから、ごめん、俺は瑠美と付き合うよ」

 言い切ったと目を輝かせて、カッコつけたように斜め上を見上げてる。
 ゾワっと、鳥肌が立っていく。

「はい。荷物だけ早く運び出してください」
「冷たーい! ルノちゃん、そういうところがダメだったんじゃないかなぁ? 瑠美からのアドバイス!」

 目の前で人差し指を立てられて、へし折りたくなった。
 可愛げがなくたっていい。
 今は、仕事に集中したかった。

 二人は満足したのか、さっさと帰る準備を始める。
 企画書を作ってる姿を見ないけど、考えてるんだろうか?
 こんな二人に負けたら、悔しすぎる。

 企画書を開いて、案を練っていく。
 今回のCMコンペ先は、創立五十周年を迎えるお弁当屋さんだ。
 誰でも食べたことがあるお弁当屋さん。

 自分で見返しても、安直なCMの企画書になってると思う。
 どこのお弁当屋さんにでも、当てはまりそうな感じ。
 うまく綺麗にまとまってるだけで、そこらしさはない。

 うーんっと唸りながら、思いついた端から言葉を打ち込んでいく。

 五十周年。大人。おじ。

 葛城さんがふわりと頭の中に浮かんで、かき消す。

「悩んでるね」
 
 葛城さんの声まで、聞こえてきた気がする。
 ずっと、これから先も?
 どんな人に届ける?
 今まで食べてきた人。
 これから食べる人。

「吉川さん?」
「え、はい!」

 バッと立ち上がれば、葛城さんは不思議そうな顔で私を見つめていた。
 熱中しすぎて、気づいていなかったらしい。
 葛城さんの声、本物だった……!

「申し訳ございません! 集中していまして」
「急に話しかけた、おじが悪かったね」
「いえ、葛城さんは何も……」
「悩んでるみたいだから、相談乗ろうかなと」
「えっ……でも……」

 それはフェアじゃない、と言いかけて、唾を飲み込む。
 でも、企画書を作ってとは言われたけど、途中経過を見せるなとは言われてない。
 普通の仕事だったら、悩んだ段階で上司や先輩に相談するだろう。

 素直にパソコンの画面を、葛城部長に向ける。
 途中に書いていた「おじ」の言葉を、見つけて、葛城部長はふっと笑った。

「うん、キレイにまとまってるね。でも、それだけ」

 厳しい言葉に、芯から痺れる。
 私自身わかっていたのに、褒められることを期待していた?
 恥ずかしい。
 顔を背けたくなりながらも、葛城さんの言葉を聞く。

「まずは、どういうCMを求めてるのかだよね。そこに、吉川さんがどういうCMを誰に届けたいかを合わせて三パターンくらい作ろうか」
「はい……」
「五十周年の感謝を伝えるCMだよね」
「はい」
「五十周年からの連想は、いいと思うよ。おじは、ちょっと面白かったけど」

 ふふふと口元を覆って、葛城さんは笑う。
 カァっと恥ずかしくなったのを隠しように、俯く。
 まずはもう一度、五十周年から連想してみよう。

 手帳を開いて、空きページの真ん中に「五十周年」と書き込む。

「あ、吉川さん、これ渡しておくから。好きに使ってね」

 そっと、手帳の脇に置かれたのは、家の鍵だった。
 断ろうと顔を上げれば、葛城さんはもういない。
 あの家に帰っても、いつ当真が荷物を取りに来るかわからない。
 だったら、言葉に甘えてしまおうか。
 悩みながらも、今日はとりあえず、泊めてもらおう。

 書き出した単語を、くるくると線で繋ぎながら、葛城さんへのお礼を考える。
 結果を出すことが一番かもしれないけど。
 それ以外にも、何かしたい。

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