一人称おじの部長は、ひたむきな部下を溺愛する

甘い時間はあっという間で


 付き合い始めた、初めてのおやすみだけど。
 ある程度、荷物を持ってこなければ行けない。
 家具家電は、後回しにするとして服と仕事道具だけでも。

 ということで、二人で私のマンションに来た。
 予想通りというか、なんというか。
 家の前には当真がいて、私も葛城さんを見てヒュンっと逃げていったけど。

「明日には、噂になってたらどうします?」
「否定しなくていいんじゃないか?」
「そうですか? 私たち一応部下と上司ですよ」
「例もないわけじゃないから、大丈夫だろ」

 たった一日で、葛城さんはあまりにも甘くなった。
 普通のことのように私の髪の毛を、すっと掬ってはキスをするし。
 今までの距離感が嘘だったみたいに、べったりと私の腰を抱く。

 部屋に入って、郵便受けに詰まってる手紙をとりあえずカバンに突っ込む。
 そして、そのまま、仕事道具と、服を葛城さんと手分けしながら、車まで運んだ。
 カシャという音がした気がして、振り向けば、当真の足が、階段のところから見えていた。

 葛城さんに迷惑をかけるのは、本望じゃない。
 でも、葛城さんが大丈夫というのなら、信じるしかない。

 当真のことは気にせずに、三往復分くらい運ぶ。

「これだけで、いいのか?」
「急ぎのものは」
「わかった」

 葛城さんが頷いて、車に戻る。
 私も助手席に乗り込んで、シートベルトを、閉めればカチリと音が鳴る。
 葛城さんは、気にしなくていいと言っていたけど、やっぱり明日以降のことを考えれば気が重くなった。

 きっと、また瑠美に絡まれる。
 いい加減、どうにかしなきゃいけない。

 葛城さんの家に戻れば、また三往復して葛城さんと荷物を運ぶ。
 二階の私の部屋に全て収納すれば、少しは私の部屋らしくなってきた気がして嬉しくなってしまう。
 私の、居場所みたいだ。

 顔を上げれば、隣の葛城さんも満足そうな顔で笑ってる。

「お昼ごはん、どうします?」
「まだ、先でいいかな」
「そうですか」

 時計を見れば、もう十二時を指し示している。
 ちょうどいい時間かと思ったけど……
 あれ、そういえば今日はハウスキーパーさんを見ていない。

「お昼、私が作りましょうか?」

 葛城さんは私の提案に「うぅん」と唸って、悩み始める。
 下手、だと思われてるんだろうか?
 一人暮らしもしていたから、料理は人並みにしている。
 それに、下手というほどでもないと思う。
 当真は美味しそうに食べてくれていたし。

「食べたいは食べたいんだが、それより」
「それより?」
「キスしてもいいか?」

 髪の毛をそっと手のひらで掬い上げて、私の頬を撫でる。
 葛城さんの言いたいことがわかって、頷いて目を閉じた。
 軽くキスをされたかと思えば、抱き上げられる。

「俺の部屋に行こう」

 初めて入った葛城さんの部屋は、モノトーンで統一されていて、静かだった。
 キングサイズのベッドに優しく下されて、覆い被さられる。

「嫌じゃないか?」

 いちいち確かめるように、私の目を熱く見つめるから、頷く。
 そして、強く抱きしめられる熱に浮かされて、私も葛城さんを抱きしめ返した。
 ひどく優しく、何回も私を確かめながら、葛城さんは私を抱いた。

「葛城さん」
「晴樹って呼んでくれないか」
「晴樹さん」

 名前を呼べば、口元を緩めて、また私にキスをする。
 あまりの多幸感に、降り注ぐ日差しも相まって、まるで白昼夢みたいだ。
 
 
 疲れて、眠ってしまっていたらしい。
 本当に夢だったような感覚で、目を覚ます。
 でも、体はだるくて、現実を告げる。

「大丈夫か?」
「晴樹、さん」

 冷静に名前を呼ぶと、恥ずかしくて、つい声が萎む。
 晴樹さんは嬉しそうに、お盆にうどんを乗せて私に近づいてくる。

「ルノに、無理をさせてしまった」

 名前を呼ばれたことに、耳がぶわりと熱くなる。
 お盆の上のうどんは、私用だったらしい。
 フーフーとしながら、晴樹さんは私の口に運ぶ。

「そこまで、してもらわなくても」
「恋人が出来たら、したかったんだ。ダメか?」

 そこまで言われたら、拒否したくない。
 あーんとうどんを口にすれば、少ししょっぱいけど、柔らかく煮込まれていておいしい。

「おいしいです。でも、いつもの料理と違うような」
「ハウスキーパーさんは、おやすみなんだ今日」
「だから、見かけなかったんですね」

 頷きながら、口元に運ばれるうどんを食べ進める。
 つまり、晴樹さんの手料理、ってこと?

「ってことは!」
「すまない……つい、恋人になれたのが嬉しくて、無理を言って休暇を出した!」
「え?」

 私の言葉に何を勘違いしたのか、晴樹さんはぺらぺらとハウスキーパーさんを休みにした理由を告げる。
 どんどん頭が、熱くなっていく。
 付き合ってるのだし、問題はないけど。
 まさかの理由に、ハウスキーパーさんにも、きっとこの関係がバレてることを理解してしまった。
 恥ずかしくて、うどんも、そこそこに布団に潜り込む。

「お、怒ったか?」
「怒ってないですけど、恥ずかしいです」
「初めての恋人だから、うまく出来なくて、悪い」

 落ち込んだ声に、布団からちらりと顔を出す。
 初めての恋人って、言った?
 こんなに、素敵な人なのに?

「私が、初めてなんですか?」
「恥ずかしながら……この年まで、仕事ばかりだったからな」

 最年少で部長になるのは、熱心に打ち込んできた結果だろう。

「それに」
「それに、なんですか?」
「仕事が忙しい時期に、言い寄られるのが面倒で……おじと自分を呼び始めたら、言い寄られる回数が減ったんだ。それ以来、ほとんど、声も掛けられなくなって」

 おじという一人称は、やっぱりわざとだったのか。
 そう思うと、かっこいいはずの晴樹さんが、とても可愛く見えてくる。

「おじ呼びは、確かに……」
「部下に手を出すわけにはいかないと思っていたし」
「私も部下ですよ?」
「ルノは、特別だ」

 おでこに、ちゅっと軽くキスをして、当たり前のような顔で告げるから。
 甘すぎる空間に、酔って、全身熱くなってしまう。

「特別で良かったです」

 素直に口にすれば、うどんをベット横のテーブルに置いていた晴樹さんは、布団の上から私を抱きしめる。

「離したくない」
「離れないですよ?」
「週明けから、三日、出張なんだ」

 そういえば、打ち合わせでスケジュールに入っていた気がする。
 部長承認が必要なものは、先週末までにというお達しもあった。
 明後日からは、出張。
 まだ、付き合い出したばかりなのに、ちょっと、寂しい気持ちになってしまった。

「ルノ、絶対に無理はするなよ」
「しないですよ」
「約束だからな」

 私の顔を見つめて、晴樹さんは念を押す。
 理由はわからないけど、こくこくと頷いた。
 
*  *  *

 晴樹さんは居ないけど、大丈夫。
 当真と、ここ数日顔を合わせていないから、晴れやかな気分だ。
 出勤すれば、フロアがずいぶん騒がしい。

 中心には、瑠美。
 嫌な予感がしながらも「おはようございまーす」と近づけば、全員が振り返る。
 その中には、当真の顔は無い。
 誰も私の声は聞こえていないかのように、こちらを見ているのに答えが返ってこない。
 少しだけちくんとした胸を押さえて、自分のデスクに座る。

「私が悪いんです」

 ぐすんっと鼻を啜り上げて、瑠美がつぶやく。
 また、私の悪口だろうか?
 そう思いながらも、パソコンを立ち上げれば、視線が突き刺さる。
 顔を上げても、誰とも目が合わない。

「どうしましたー?」

 小声で呟いてみても、答えは返ってこない。
 代わりに聞こえたのは「はぁ?」や、「やばっ」という嘲笑の声だった。
 晴樹さんとの約束を思い出して、ぐっと唇を噛み締めて我慢する。

 余計なことには、首を突っ込まない。
 晴樹さんが返ってくるまで、自分からはいかない。

 心配させないためにした約束だけど、破る気はない。
 晴樹さんとの約束は、破りたくないと思ったから。

 始業開始のアナウンスが鳴っても、瑠美は社員の中心で泣き声を上げている。
 それでも、数人を残して、ほとんどは業務に戻っていく。
 一安心しながら、メールをまず処理していく。

 今日明日は、ありがたいことに、お取引先との打ち合わせが多く入ってる。
 CMを打つタイミングが、近いのもあるけど。
 ここに居なくていい、事実が少しだけ痛みを緩和してくれた。

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