一人称おじの部長は、ひたむきな部下を溺愛する
「全員、注目!」
晴樹さんの声が響いて、フロア内がビビビと雷に打たれたように静まり返った。
そして、全員、晴樹さんに目を向ける。
「この前から、ありもしない噂話を流し、職場の雰囲気を著しく乱してるものたちがいたな」
全員が、私と瑠美を見つめる。
きゅっと胃が縮まって、吐き出しそうだ。
でも、私は、嘘は言ってないし、巻き込まれただけ。
晴樹さんもわかってる。
「吉川さん」
「はい」
呼ばれて、立ち上がる。
瑠美が小さく「ほらぁ」と声にしたのが、聞こえた。
早川さんは私の前で、震えながら、キイっと私を睨みつける。
嘘……
晴樹さんも、瑠美のことを信じたの?
一昨日まで、味方だよって言ってたのに?
ふらつきながらも、なんとか晴樹さんの前に立つ。
なぜか、当真も私の隣に、ピシッと立つ。
「姫田さんも」
先ほどより低くなった声に、私は小さくなってしまう。
それでも、瑠美は気にもせず「はぁーい」と間延びした返事をして、こちらへ向かってきた。
「プライベートなことには、部長として関わるつもりはなかったが、事態が変わった。企画書を盗むや他部署を巻き込んでの就業中の騒動など、さすがに看過できない状況だ」
「ほらぁ」
「そこで、出張中に人事部と打ち合わせをしてきた。本当は内示してからの予定だったが、変更だ」
晴樹さんは、じっと当真と瑠美を見つめる。
瑠美は視線に気づいたのか「え?」とポカンと口を開けていた。
「冨安さんは、第ニ情報部へ」
「はい」
「姫田さんは、グループ会社のヒューリズムに出向となった」
「なんで、なんで私なのよ! 盗んだのは、こいつ!」
私のことを指さして、どんどんと胸を突く。
瑠美の顔が歪んでいて、背筋が冷たくなった。
「盗んだのは、姫田さんだってわかってる。認めなくてもいいが、どうしてもと言うなら情報部から貰ってきた防犯カメラの映像と、アクセス履歴を見せるか?」
いつもは、ふにゃふにゃと笑ってるのに。
いざとなったら、ピシリと決める晴樹さんに、部署の全員が襟を正している。
ただ一人、瑠美だけが、認めないと喚いてるけど。
「それに、早川さん、君は、いま何をしてるんだ? まだ就業時間中だ」
「それは……」
「君は、第一営業部の人間だったよな。我が販促企画部のメンバーではない、違うか?」
「失礼、しました」
ごくんと唾を飲み込んで、早川さんは早足に出て行った。
もう私のことを睨む、元気もなかったらしい。
「吉川さんは、被害者だとはわかってるが。人事部からの事情聴取がある。この後、人事部のところへ向かってくれ」
「かしこまりました」
出そうになった涙を飲み込んで、大きく頷く。
そして、晴樹さんは全員の方を振り返って、一度喝を入れた。
「就業時間外は、個人の自由だ。だか、社会人にもなって、真実も確かめもせず、就業時間内に特定の人物に嫌がらせをしたり、こんな騒動を繰り返すな! 全員今一度、自分の職務を見つめ直すように! 以上!」
晴樹さんの言葉が、部署内に反響していく。
全員が気を引き締めて「はい!」と答えて、パソコンに向かい直した。
当真は、私の横から通り抜ける時「悪かった」と小声で謝っていた。
当真が瑠美のことを、晴樹さんに告げ口したのだろうか?
わからないけど……
「吉川さん、人事部に行ってきてくれるかい?」
晴樹さんが、いつもの柔らかい声に戻る。
ふわふわとした雰囲気を一瞬で取り戻していて、切り替えに驚きながらも頷いた。
人事部は、一階下のフロアだ。
部屋を出ようとすれば瑠美の喚き声が、耳に入る。
出るのをやめて、踵を返して、晴樹さんの前に立つ。
「就業中にすることではないとは思いますが、こちらを先に解決してもよろしいですか?」
晴樹さんは仕方ないという顔で、頷く。
へたり込んでる瑠美の前に、しゃがんで目を合わせる。
「どうして、そんなに私のことを嫌いだったの」
「あんたばっかり! 当真のことだって私の方が先に好きだった! センスだって私の方がいいのに、あんたばっかりいい思いをして!」
「そうでもないと思うよ」
首を横に振って、否定する。
瑠美の味方は、たくさんいた。
私が、浮気された側だって、分かってても、瑠美のそばに立って、私が悪いと決めつけてきた人たちも。
早川さんだって、純粋に瑠美を助けたくて、私をあんなに睨んできた。
「瑠美の周りにもいっぱい、いたのに。気づかなかったのは瑠美だよ」
「うるさい! うるさい! あんたがどうせ、部長に変なこと言ったんでしょ!」
「変なことは言ってないけど……瑠美が企画書作り直した方がいいよって教えてくれたじゃない」
だから、私は晴樹さんと、それ以外の信頼できる先輩にその時点での企画書を送りつけた。
私の保存記録と、先輩たちへのメールが証拠になるように。
「あんたっ!」
怒った瑠美が掴み掛かろうとして、晴樹さんの秘書に止められていた。
「離しなさいよっ!」
「あと、瑠美と当真と話す時は全部、録音してたから。その証拠もあるよ?」
手にスマホ握れば、ますます私に飛びかかろうとする。
裏切られた時点で、私はもう、二人のことを信用してないんだよ。
声には出さなかったけど、心がチクチクと痛んだ。
私は二人のことを、ずっと、仲間だって思ってた。
浮気されても、まだ、少しだけ信じてたのに。
涙を堪えて、瑠美に頭を下げる。
「私はずっと、仲間だと思ってたよ」
言葉にしたら、喉の奥に涙が染み込んでいく。
もう、会わないかもしれないけど。
部屋を出て、人事部へ向かうためにエレベーターに乗り込んだ。
堪えきれなかった、頬に伝った涙をハンカチで拭いながら。
* * *
人事部の事情聴取も、ほとんど想定内のことを聞かれて終わった。
それなのに、晴樹さんに部長権限で私は有給を取らされている。
仕事が終わって帰ってきた、晴樹さんを出迎える。
ハウスキーパーさんと、一緒に。
「おかえりなさい!」
「ただいま、ルノ」
「どうして、私有給消化になってるんですか。コンペのやつだって締切あるのに」
ぎゅっと一度抱きしめて、キスをしてから、カバンを奪い取る。
今日は、ハウスキーパーさんと一緒に、ごはんを作って待ってた。
久しぶりの何もしなくていい有給は、本当に何をしていいか、わからなかったから。
「あんな騒動があったし、あの二人が異動する準備期間もあるからな。できる限り当事者たちは、離そうという人事部の判断だ」
晴樹さんは、私の髪の毛を優しく撫でる。
本当に怒ってるわけじゃなかったけど、そういう理由だったんだ。
想像してなかったわけじゃないけど、意外だ。
「まぁ、後二日だからゆっくりしよう」
「しよう?」
「俺も有給取ったぞ」
隣を歩く私の腰を引き寄せて、耳元で囁く。
「二日間、離さないからな」
「えっ?」
「せっかく付き合ったと言うのに、あいつらのせいで……」
ぶつぶつと言いながら、私の聞き返したことには答えない。
晴樹さんの手を掴めば、優しく握り返して、私を見つめた。
「ゆっくり、ゆっくり、愛を育もうな」
私の頭を繋いでいない方の手で、引き寄せて、こめかみにキスをする。
ちらりと見えた目が、いつものほんわかではなく、ヘビのように鋭かった。
もう、逃げれないのかもしれない。
逃げたいとも、思わないけど。
仕返しとばかりに、私も晴樹さんの腕を引っ張って、頬にキスをした。
Fin