【完結】結末のないモブキャラは仕方がないので自身の恋物語に終止符を打つことにしました
第21話 ヒロイン気取りのモブキャラ
次の日はものすごい睡魔に襲われながら、店番についた。なんなら筋肉痛だってある。
三回目くらいのあくびで母さんに怒られ、針先で四回くらい盛大に指をついてようやくほんの少しだけ脳内の霧が晴れた。
いろいろあったし、かなり疲れていた。
結局無力さを見せつけられたし、ショックと悔しさでいっぱいだけど、あの変な生き物のことも気になった。
兵士たちにつれていかれたようだったから、今頃はいろいろ調べられているはずだ。
あれは、魔物だったのだろうか?
美琴が転生してテオが勇者になる前にもこうして少しずつ魔物たちは街に入ってきていたというのか。
わからない。
そして、なにより昨日からお花畑な脳内からなかなか消えてくれないのは、帰り際にテオに手を捕まれ、引き止められたときの瞬間のことだ。
当然わたしは当事者だからすべての光景を客観的に見たわけではないけど、それでも脳裏には愛理とテオの麗しい構図がしっかりと浮かび上がっていた。
あれは、物語の中で採用されていれば『スチル』というものの一枚になっていたのでは……と考え、頭を振る。
いやいやいやいや。
その直後に何度目かになるもうひとりの自分からの否定が入る。
物語には愛理というキャラクターさえも存在していなかったのだから、愛理はテオとは出会うべきキャラクターではないのだ。
まぁ、正確にはモブキャラにさえなりそこねたわたしが変装することで作り上げられたキャラクターなのだけど。
「アイリーン」
「は、はい!」
いつの間にか後ろにクロエ姉さんが立っていたことに気が付き、驚く。
「驚きすぎ! 昨日からぼーっとしてるわよ」
「ご、ごめんなさい……」
「もう、すぐ謝る」
ふふ、と笑って姉さんはわたしの頭に手を乗せる。
「昨日のメイク、よかったわよ。本当に夢のようだったって、お褒めの言葉と感謝の言葉をいただいているわ」
すごいわね、アイリーン!と姉さんの温かい手で撫でられくすぐったい気持ちになる。
「わたしが見ても息を呑むくらい美しかった」
「それならよかった……」
不思議だな、といつも思う。
愛理のときは前向きでどちらかというと強気になれるのに、アイリーンの時は言葉を選んで気を使ってばかりだ。
姉さん相手なのだから、もっと素のわたしでいたいものだけど。
わたし自身も魔力のおかげで愛理というキャラクターに変身しているということなのだろうか。
そう考えるとますます不思議だった。
「あ、あとアイリーン」
「ん?」
「これから一週間は急な用事がない限り、女性や子どもは外へ出ないよう発表されたから、そのつもりでいてね」
「え?」
「何かあったら父さんに……」
「そうなの?」
「昨日、夜遅くに突然現れた魔物が人間を襲ったそうよ」
「え……」
ぎくっとした。
「ま、魔物……」
やはり、あれは魔物だったというのか。
「今日は兵士の見回りも増えたし、この国の術師が朝から魔物よけの結界を張り直してくれているようよ」
有り難いわね、と姉さん。
いろいろと進んでいる情報に置いてきぼりになりかける。
「魔物が、出たんだ……」
ほんのちょっとだけ呆然としてしまった自分がいた。
やはりあれは魔物で、街は襲われたのだ。
わたしが把握しているだけでも二体程度だったから見回り兵士たちの力で取り押さえられたけど。
そこまで考えてぞっとした。
あと一年先。
一年先だと思っていたけど、予定の日は徐々に迫りつつあるのだ。
確実にその日に向かって現実は進み出している。
そう実感させられる。
軽い魔力が使えるからって喜んでいるだけでは足りない。
もっともっと強くなる必要がある。
でも、どうやって。
あれだけの力を使っただけで疲れてしまうし、右腕から背中にかけて、術式が施されている部分がすぐに締め付けるように痛くなる。
自分で限界を決めるのは好きじゃないけど、わたしには制限されていることが多すぎる。
「おおっ! 来ると思っていたわ」
姉さんが嬉しそうににこにこして外を眺める。
「ん?」
わたしも同じくカウンター越しに覗き込み、その先に見えるテオの姿に亀のようにあわてて首を引っ込める。
「ふふ、いらっしゃい、テオルド」
「お、クロエ姉さん、お久しぶりです」
律儀に頭を下げ、テオは店内に足を踏み入れてくる。
「お仕事、大変みたいですね」
「そうよ、本当に……」
大げさな素振りでおどけて見せる姉さんにテオははは、と声を上げて笑う。
「でも、残念だったわね」
「え?」
「アイリーンの舞姫姿はどうやら見られそうになさそうね」
「えっ!」
テオよりも先に反応してしまったのはわたしだ。
顔を出してしまってから後悔をする。
「そ、そうか……外出禁止だもんね」
もちろんだけど、舞いの練習もできなければこのままじゃ収穫祭自体を開催されるのかどうか、怪しいものだ。
しぶしぶとはいえ、せっかくようやくやる気になったところだったので複雑な気持ちだけど、肩の荷が降りた気がするのは嬉しい。
「そう! そのことなんだけど……」
思い出したようにテオがつかつかわたしの方に近づいてくる。
「魔物が出たんだ。アイリーン、何があっても絶対しばらくは外へ出るなよ!」
カウンター越しから乗り出すようにして、隠れよう隠れようとするわたしに向かってそう告げてくる。
昨日の紳士的な様子とは裏腹に、熱のこもった様子に驚かされる。
「で、出ないよ。出るわけないじゃない」
魔物が出たのよ、と慌てて返すわたしに姉さんがクスクス笑った。
「心配で心配で仕方がないのよ」
「なっ!」
テオのかわりにまたしてもわたしが飛び上がる。
「ね、姉さん! からかうのはやめ……」
「ふふふ。邪魔者は退散するわ」
テオ、ごゆっくり!と弾むように去っていく姉さんをじっも睨む。
どうしてこうも気まずい状態で残していくのかしら。
「心配なのは本当だ」
ほんの少しの沈黙を破ったのはテオだった。
「アイリーンには、安全なところにいてほしいと思っている」
「あ、ありがとう。大丈夫よ」
向けられた瞳があまりにも真剣で、見返すことができない。
ますます夜遅くに徘徊していただなんて事実は話すことができなさそうだ。
「俺が守るから」
「え?」
ぐっと手首を掴まれ、言葉を失う。
「命をかけてでも、アイリーンを守るから」
え?
えええ??
熱い瞳に引き込まれそうだ。
頬が少しずつ火照っていくのを感じる。
「い、命をかけられても困るわ。て、テオにも無事でいてほしいわよ」
雰囲気がなんとなく今までに感じたことのないものに変わり、あわてて空気を変えようと言葉を並べる。
こ、これは……
「あ、ありがとう」
適切な答えがこれなのかよくわからない。
だけど、わたしと彼との間に生まれるべきではないムードを壊すには思いつく言葉を発し続けるしかなかった。
できればテオにも危険なことはしてほしくないけど、彼がいてくれるから、わたしが心穏やかに過ごせているのは間違いない。
「アイリーン」
「え……」
カウンターに手をつき、ひょいと飛び越えてくるテオにわたしは腰を抜かしそうになった。
さすがは未来の勇者である。
あまりにも身軽であ……
「ちょっ、ちょっと、テオ……」
掴んだうでをぐっと引き寄せられ、いつの間にかテオの胸の中にすっぽり収まっていた。
「ちょっ……」
ち、違う。
違う違う違う。
このムードは、決してわたしたちに訪れるべきムードではないことをわたしが一番良くわかっている。
だけど、この心地よい空間から情けなくもわたしは脱することができない。
「アイリーン」
「は、はい……」
「安心した」
見上げた先でテオが笑っている。
昔と変わらない人懐っこい笑顔だ。
わたしのよく知るテオの姿だった。
「魔物と遭遇したとき、アイリーンが遠くに行ってしまう気がして気が気じゃなかったんだ」
わたしに回す腕を緩めることなくテオは続けた。
「アイリーンになにかあったらって、そう思うと怖くなった」
十歳のわたしが魔物に襲われたことを唯一知るテオだからこそ、心配してくれているのだろう。
そう思うとなんだか申し訳なく思う反面、心が暖かくなって嬉しかった。
「わたしは大丈夫」
自然な笑みが浮かべられた。
「テオもついていてくれるし、心強いわ」
この状況は、わたしたちには用意されるべきではないムードだとは思うのだけど、わたしの言葉にテオがあまりにも嬉しそうな笑顔を浮かべるものだから、この違和感は感じなかったことにする。
一年後、わたしは物語の中、そしてテオの中から姿を消す。
美琴ともうひとりの主人公とも言える人気者の勇者の過去に、作中では語られないキャラクターとのこんな物語があってもいいものなのだろうか。
というか、本当はこんな展開があったのだろうか。
語られていない部分の物語については勇者が物語の中で語らない限りわたしにはわからない。
番外編くらいで登場するのなら複雑だなぁ、と客観的に思ってしまうのは、愛理が美琴推しのせいだろう。
「やっぱり……」
「ん?」
テオの大きな手が両頬に添えられ、ぼんやりそんなことを考えていたとき、このおてんば娘、と聞こえた気がして顔をあげると、テオの美しい顔がとても近くに見えた。
「テ……」
言い終わる前にゆっくり重ねられた唇に身動きを封じられる。
じんわりと伝わる熱に我に返る。
えっ……
ちょっ……
「ちょっ!」
思わず顔を反らせ、今度こそこの世のものとは思えないくらいの奇声を発してわたしは思いっきり腰を抜かした。
「な、なんでっ!」
「……アイリーン?」
不思議そうにわたしを見下ろすテオはなぜわたしが動揺しているのかわかっていない様子だ。
「ちょ、ちょっとちょっと……」
ゆでタコみたいになって大パニックを起こすわたしにテオは頬を染めて笑った。
その笑顔はあまりにも屈託のないもの。
わたしのよく知るテオで……って、ちょっと待って!!
ち、違う!
違うのよ。
これはわたしたちに与えられた物語じゃない。
わたしに与えられた物語じゃないのよ!!
魔物がわたしたちの街に現れるまであと一年。
わたしは、勇者にこんな過去があったなんて信じたくない!
王道のラブストーリーに勇者の過去の過ちのシーンは不要なのよ!!
微かにそんな言葉が脳裏をよぎった。
三回目くらいのあくびで母さんに怒られ、針先で四回くらい盛大に指をついてようやくほんの少しだけ脳内の霧が晴れた。
いろいろあったし、かなり疲れていた。
結局無力さを見せつけられたし、ショックと悔しさでいっぱいだけど、あの変な生き物のことも気になった。
兵士たちにつれていかれたようだったから、今頃はいろいろ調べられているはずだ。
あれは、魔物だったのだろうか?
美琴が転生してテオが勇者になる前にもこうして少しずつ魔物たちは街に入ってきていたというのか。
わからない。
そして、なにより昨日からお花畑な脳内からなかなか消えてくれないのは、帰り際にテオに手を捕まれ、引き止められたときの瞬間のことだ。
当然わたしは当事者だからすべての光景を客観的に見たわけではないけど、それでも脳裏には愛理とテオの麗しい構図がしっかりと浮かび上がっていた。
あれは、物語の中で採用されていれば『スチル』というものの一枚になっていたのでは……と考え、頭を振る。
いやいやいやいや。
その直後に何度目かになるもうひとりの自分からの否定が入る。
物語には愛理というキャラクターさえも存在していなかったのだから、愛理はテオとは出会うべきキャラクターではないのだ。
まぁ、正確にはモブキャラにさえなりそこねたわたしが変装することで作り上げられたキャラクターなのだけど。
「アイリーン」
「は、はい!」
いつの間にか後ろにクロエ姉さんが立っていたことに気が付き、驚く。
「驚きすぎ! 昨日からぼーっとしてるわよ」
「ご、ごめんなさい……」
「もう、すぐ謝る」
ふふ、と笑って姉さんはわたしの頭に手を乗せる。
「昨日のメイク、よかったわよ。本当に夢のようだったって、お褒めの言葉と感謝の言葉をいただいているわ」
すごいわね、アイリーン!と姉さんの温かい手で撫でられくすぐったい気持ちになる。
「わたしが見ても息を呑むくらい美しかった」
「それならよかった……」
不思議だな、といつも思う。
愛理のときは前向きでどちらかというと強気になれるのに、アイリーンの時は言葉を選んで気を使ってばかりだ。
姉さん相手なのだから、もっと素のわたしでいたいものだけど。
わたし自身も魔力のおかげで愛理というキャラクターに変身しているということなのだろうか。
そう考えるとますます不思議だった。
「あ、あとアイリーン」
「ん?」
「これから一週間は急な用事がない限り、女性や子どもは外へ出ないよう発表されたから、そのつもりでいてね」
「え?」
「何かあったら父さんに……」
「そうなの?」
「昨日、夜遅くに突然現れた魔物が人間を襲ったそうよ」
「え……」
ぎくっとした。
「ま、魔物……」
やはり、あれは魔物だったというのか。
「今日は兵士の見回りも増えたし、この国の術師が朝から魔物よけの結界を張り直してくれているようよ」
有り難いわね、と姉さん。
いろいろと進んでいる情報に置いてきぼりになりかける。
「魔物が、出たんだ……」
ほんのちょっとだけ呆然としてしまった自分がいた。
やはりあれは魔物で、街は襲われたのだ。
わたしが把握しているだけでも二体程度だったから見回り兵士たちの力で取り押さえられたけど。
そこまで考えてぞっとした。
あと一年先。
一年先だと思っていたけど、予定の日は徐々に迫りつつあるのだ。
確実にその日に向かって現実は進み出している。
そう実感させられる。
軽い魔力が使えるからって喜んでいるだけでは足りない。
もっともっと強くなる必要がある。
でも、どうやって。
あれだけの力を使っただけで疲れてしまうし、右腕から背中にかけて、術式が施されている部分がすぐに締め付けるように痛くなる。
自分で限界を決めるのは好きじゃないけど、わたしには制限されていることが多すぎる。
「おおっ! 来ると思っていたわ」
姉さんが嬉しそうににこにこして外を眺める。
「ん?」
わたしも同じくカウンター越しに覗き込み、その先に見えるテオの姿に亀のようにあわてて首を引っ込める。
「ふふ、いらっしゃい、テオルド」
「お、クロエ姉さん、お久しぶりです」
律儀に頭を下げ、テオは店内に足を踏み入れてくる。
「お仕事、大変みたいですね」
「そうよ、本当に……」
大げさな素振りでおどけて見せる姉さんにテオははは、と声を上げて笑う。
「でも、残念だったわね」
「え?」
「アイリーンの舞姫姿はどうやら見られそうになさそうね」
「えっ!」
テオよりも先に反応してしまったのはわたしだ。
顔を出してしまってから後悔をする。
「そ、そうか……外出禁止だもんね」
もちろんだけど、舞いの練習もできなければこのままじゃ収穫祭自体を開催されるのかどうか、怪しいものだ。
しぶしぶとはいえ、せっかくようやくやる気になったところだったので複雑な気持ちだけど、肩の荷が降りた気がするのは嬉しい。
「そう! そのことなんだけど……」
思い出したようにテオがつかつかわたしの方に近づいてくる。
「魔物が出たんだ。アイリーン、何があっても絶対しばらくは外へ出るなよ!」
カウンター越しから乗り出すようにして、隠れよう隠れようとするわたしに向かってそう告げてくる。
昨日の紳士的な様子とは裏腹に、熱のこもった様子に驚かされる。
「で、出ないよ。出るわけないじゃない」
魔物が出たのよ、と慌てて返すわたしに姉さんがクスクス笑った。
「心配で心配で仕方がないのよ」
「なっ!」
テオのかわりにまたしてもわたしが飛び上がる。
「ね、姉さん! からかうのはやめ……」
「ふふふ。邪魔者は退散するわ」
テオ、ごゆっくり!と弾むように去っていく姉さんをじっも睨む。
どうしてこうも気まずい状態で残していくのかしら。
「心配なのは本当だ」
ほんの少しの沈黙を破ったのはテオだった。
「アイリーンには、安全なところにいてほしいと思っている」
「あ、ありがとう。大丈夫よ」
向けられた瞳があまりにも真剣で、見返すことができない。
ますます夜遅くに徘徊していただなんて事実は話すことができなさそうだ。
「俺が守るから」
「え?」
ぐっと手首を掴まれ、言葉を失う。
「命をかけてでも、アイリーンを守るから」
え?
えええ??
熱い瞳に引き込まれそうだ。
頬が少しずつ火照っていくのを感じる。
「い、命をかけられても困るわ。て、テオにも無事でいてほしいわよ」
雰囲気がなんとなく今までに感じたことのないものに変わり、あわてて空気を変えようと言葉を並べる。
こ、これは……
「あ、ありがとう」
適切な答えがこれなのかよくわからない。
だけど、わたしと彼との間に生まれるべきではないムードを壊すには思いつく言葉を発し続けるしかなかった。
できればテオにも危険なことはしてほしくないけど、彼がいてくれるから、わたしが心穏やかに過ごせているのは間違いない。
「アイリーン」
「え……」
カウンターに手をつき、ひょいと飛び越えてくるテオにわたしは腰を抜かしそうになった。
さすがは未来の勇者である。
あまりにも身軽であ……
「ちょっ、ちょっと、テオ……」
掴んだうでをぐっと引き寄せられ、いつの間にかテオの胸の中にすっぽり収まっていた。
「ちょっ……」
ち、違う。
違う違う違う。
このムードは、決してわたしたちに訪れるべきムードではないことをわたしが一番良くわかっている。
だけど、この心地よい空間から情けなくもわたしは脱することができない。
「アイリーン」
「は、はい……」
「安心した」
見上げた先でテオが笑っている。
昔と変わらない人懐っこい笑顔だ。
わたしのよく知るテオの姿だった。
「魔物と遭遇したとき、アイリーンが遠くに行ってしまう気がして気が気じゃなかったんだ」
わたしに回す腕を緩めることなくテオは続けた。
「アイリーンになにかあったらって、そう思うと怖くなった」
十歳のわたしが魔物に襲われたことを唯一知るテオだからこそ、心配してくれているのだろう。
そう思うとなんだか申し訳なく思う反面、心が暖かくなって嬉しかった。
「わたしは大丈夫」
自然な笑みが浮かべられた。
「テオもついていてくれるし、心強いわ」
この状況は、わたしたちには用意されるべきではないムードだとは思うのだけど、わたしの言葉にテオがあまりにも嬉しそうな笑顔を浮かべるものだから、この違和感は感じなかったことにする。
一年後、わたしは物語の中、そしてテオの中から姿を消す。
美琴ともうひとりの主人公とも言える人気者の勇者の過去に、作中では語られないキャラクターとのこんな物語があってもいいものなのだろうか。
というか、本当はこんな展開があったのだろうか。
語られていない部分の物語については勇者が物語の中で語らない限りわたしにはわからない。
番外編くらいで登場するのなら複雑だなぁ、と客観的に思ってしまうのは、愛理が美琴推しのせいだろう。
「やっぱり……」
「ん?」
テオの大きな手が両頬に添えられ、ぼんやりそんなことを考えていたとき、このおてんば娘、と聞こえた気がして顔をあげると、テオの美しい顔がとても近くに見えた。
「テ……」
言い終わる前にゆっくり重ねられた唇に身動きを封じられる。
じんわりと伝わる熱に我に返る。
えっ……
ちょっ……
「ちょっ!」
思わず顔を反らせ、今度こそこの世のものとは思えないくらいの奇声を発してわたしは思いっきり腰を抜かした。
「な、なんでっ!」
「……アイリーン?」
不思議そうにわたしを見下ろすテオはなぜわたしが動揺しているのかわかっていない様子だ。
「ちょ、ちょっとちょっと……」
ゆでタコみたいになって大パニックを起こすわたしにテオは頬を染めて笑った。
その笑顔はあまりにも屈託のないもの。
わたしのよく知るテオで……って、ちょっと待って!!
ち、違う!
違うのよ。
これはわたしたちに与えられた物語じゃない。
わたしに与えられた物語じゃないのよ!!
魔物がわたしたちの街に現れるまであと一年。
わたしは、勇者にこんな過去があったなんて信じたくない!
王道のラブストーリーに勇者の過去の過ちのシーンは不要なのよ!!
微かにそんな言葉が脳裏をよぎった。