泣き虫な私

嫌い

私は自分の記憶がハッキリする頃にはもう泣き虫だった。私の涙は私の中にあって、私のものなのに全く言うことを聞いてくれない。それどころか、私の意思に関係なく溢れ出して感情をぐちゃぐちゃにしてしまう。
両親が言うには昔の私は『全く泣かない強い子だった』らしい。そして、両親は私が涙を流す度に溜息ひとつと共に「昔は全く泣かなくて強い子だったのに、どうして今はこんなに泣き虫になったんだろう」と呆れたように何度も何度も口にする。そのおかげで私は『泣き虫は弱い子』と思うようになって正直苦痛でしかなかった。
両親はよく「昔はこうだったのに」と昔の私と今の私を比べたような言い方をする。(それを言ったって私の泣き虫が治るわけじゃないのに)と最近はよく思うようになった。
自分の癖というものは何かをきっかけにコロッと治ったりするような簡単なものでは無い。自分の意思とは関係なく無意識のうちにやってしまうのが癖というものであって、今まで無意識にしていた行動を意識して我慢するという行動を繰り返すうちに、その癖は自然と無くなっていく。我慢するということは一つのストレスで癖を直したあとのメリットや治すまでのデメリットもちゃんと存在する。
ちなみに私の涙は癖でもなんでもなく私の心の問題だそうだ。たがら、治そうと意識をしたって治るものじゃない。我慢しよう我慢しようと思えば思うほど涙は溢れてくる。
いつの日か、私の涙は私の意思に関係して出てくるようになるだろうか、そんな叶わない願望を私は、いつでも抱いている。
私の涙は主に、「悲しい時」「悔しい時」「感動した時」「何かを我慢した時」「思っている言葉を口に出せない時」「恐怖を感じた時」などを感じたりすると出てくる。
私は、泣き虫であるのと同時に人一倍負けず嫌いが強く、何事にも悔しいと感じる。だから、私の性格にも問題があってこの涙は今まで生きてきた15年間ずっと私の中を支配したようになっている。
だから、私はこの涙が嫌いだ。涙を流させてしまうこの弱い心も嫌いだ。負けず嫌いですぐに悔しいと思ってしまう自分が嫌いだ。思ったことを大事な時に言えない自分が嫌いだ。何より涙を流す自分が一番に嫌いだ。
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