恋を知らない聖剣の乙女は勇者の口づけに甘くほどける。
 我が儘な継母たちよりも、アメリを苦しめていたのはむしろ父親の無関心だった。
 明るく振る舞ってみたり、花を飾ってみたり、父親の好物を作ってみたり。
 母の死を嘆く父を元気づけるために、アメリは子供なりにいろいろとやってみた。しかしどんなに頑張ってみても、父の気を引くことは叶わなかった。

 それが継母たちがやってきて、重苦しかった家はいっぺんに様変わりした。
 良く笑うデボラ。活発なベリンダは常に話題の中心だ。ベリンダが我が儘を言っても、父親はいつでもどんなことでもうれしそうに聞き入れた。
 その日々の中でアメリは父親にとって、いてもいなくてもどうでもいい、ずっとそんな存在だった。
 アメリが父親のことをどれほど大好きで、どれほど大切にしたいと思っていても――。

 ふいにアメリの手が止まる。水を張った桶に沈んでいたのは、いつも父親が使っていたカップだった。
 幾度これにコーヒーを注いだだろう。二杯の砂糖と少しのミルク。淹れたての香りを運ぶ時だけが、父親の顔がほんの少し和らぐ瞬間だった。
 それでも父はアメリを見ようとしてくれなかった。飲んでくれるだけでもうれしくて、無視され続けてもアメリはこのカップでコーヒーを作り続けた。

 自分の何がいけなかったのか。
 今でもアメリはその答えを見つけられないでいる。
 アメリが医者を呼びに行っている間に、父親は天に旅立った。そばに継母たちがいてくれたので、きっとさびしくはなかったのだろう。

「大丈夫……わたしにはロランがいる……」

 言い聞かせるようにつぶやいて、アメリは大きく目を見開いた。
 そうでもしないと、瞳から涙がこぼれ落ちそうで。

 結局アメリは、食器やテーブルから戸棚、床壁に至るまで、隅々を朝までかけて無心で磨きあげた。
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