謎めいたおじさまの溺愛は、刺激が強すぎます
 社会人になると、休み明けの出勤は時折憂鬱になる。
 
 私の場合は仕事ではなく、一方的に別れ話をしてきた尚弥とどんな顔をして会ったらいいのかわからないという理由で、いつもは八時には出勤するところを、三十分も遅れた。
 始業は九時だから、それでも十分余裕があるが、就職して三年目、まだスタッフなので色々と雑務がある。
 それでも今年は新人を採用してくれて、彼らのお陰で随分楽になった。

「わあ、すごいわ。素敵ね」
「おめでとう」
「ありがとうございます」

 出勤すると、何人かが固まってお祝いを言っていた。

「おはようございます」

 ICカードを通しすと、私は自分の席に向かった。

「あ、おはようございます! 柳瀬さん」

 机の上に鞄を置いた私に、同僚の栗山さんが挨拶を返してくれた。

「柳瀬さん、小林さんの左手の薬指見て」
「え?」

 小林綺羅は会計士ではなく、受付や事務をしている。美人と言うよりは、かわいい系で、ゆるふわパーマとばっちりメイク。服装も袖がフリフリしたブラウスを着て、膝丈プリーツスカート、足元は細いヒールのパンプスを履いている。
 その彼女は、私に満面の笑みを浮かべて、左手をこちらに向けた。
 そしてその指には、きらりと光る指輪があった。

「その指輪」
「ふふ、週末、彼から求婚(プロポーズ)されたんです」
「素敵ね」

 素直に感想を述べる。

「ありがとうございます」
「で、相手は誰なの? 年収は? 式はいつ挙げるの?」

 栗山さんが次から次へと質問をする。

「あ、相手はですね。ふふ」

 意味ありげに、彼女はちらりと私を見て笑う。

「おはようございま〜す」

 ちょうどそこへ、森本尚弥が出勤してきた。
 底抜けに明るい声で、金曜日私に電話してきた口調とは全く違う。

「あれ、どうしました? 皆で…、あ、これ出張のお土産です」
「あらありがとう、森本君」

 彼が持ってきた紙袋を、上井さんが受け取った。彼女は事務所の女性の中で一番年上なので、森本さんのことも「君」付けだ。

「あら、森本君、その指、あらあらあら」

 彼女は紙袋を持った彼の指を見て、それから小林さんの左手を掴んだ。

「やだ、そう言うことなのね。いつの間に。あらあらびっくりだわ」
「え、何々、あ、やだ、そう言うことなのね」

 栗山さんも加わって、二人で森本と小林さんを交互に見た。何に驚いているんだろう。

「やだ、ばれちゃいましたか。困ったわ」
 
 ちっとも困っていない様子で、小林綺羅は森本の腕に掴まった。

「そうです。私の婚約者は森本尚弥さんです」

 栗山さん達越しに見えた小林綺羅は、勝ち誇ったような笑みを私に向けた。
 私は驚きで、頭が真っ白になった。
 尚弥が小林綺羅にプロポーズ? 二人はそんな関係だったの?
 私の脳裏には、この前の電話のことが思い出された。
 あの時、彼と電話で話していた時、女性の声が聞こえてきた。
 小林さんに似ていたと思ったけど、気のせいでは無かったということだろうか。

「そうなのね。あら、そう言えば先週の金曜日、小林さんはお休みだったわね。もしかして」
「はい。彼の出張先の大阪に合流して、土日はずっと一緒でした。素敵な夜景の見えるレストランで、豪華なディナーの後、プロポーズしてくれました」

 きゃっと、彼女は乙女の顔でその状況を語る。

「やるわね、森本君。でもいつから付き合っていたの。知らなかったわ」

 栗山が質問すると、二人の顔が一瞬曇った。

「実は…」
「どうしたの?」

 二人は言い淀み、互いに顔を見合わせてから、頷き合う。

「秘密にしていたのには、訳があるんです」
「訳?」
「実は、彼、ある人に言い寄られていて」
「ええ、それって、ストーカー?」

 栗山さんと上井さんが同時に驚く。

「いや、そこまでは…数回一緒に食事をしたら、つきあっていると勘違いされて、つきまとわれているんです。僕が綺羅とつきあっているのがバレたら、彼女が危ないと思って」
「まあ、そんな…・それで、もう大丈夫なの」
「はい。僕たちは何も悪いことをしていないのに、コソコソするのは違うと思って、二人でその相手に立ち向かうことにしました」

 二人は互いに手を握り合って、悪と戦おうとするヒーローとヒロインのように決意を込めて頷く。

「柳瀬さん。もう僕につきまとわないでください。あなたは同じ職場の同僚としてしか思っていない」

 皆が一斉に私の方を向く。

「え?」

 何を言われているのか、瞬時には理解できなかった。

「柳瀬さん、あなた森本さんのこと…・」
「やだ、信じられない」
「真面目で良い子だと思っていたのに」

 皆が口々に私を責める。

「そんな…・わ、私、な、何も」
「柳瀬さん、ごめんなさい。尚弥さんとつきあっているのは私。彼が好きなのも私。あなたはただの同僚でしかない」

 私の足元がぐらりと揺れた。
 

 

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