トリップしたら魔王の花嫁⁉ ~勇者の生贄にされそうだったので敵の敵は味方と思い魔王に助けを求めたら本当に来ました~
「異世界人、お前が死ねば解決する」
「私を殺しても、次の生け贄を殺す頃には、ギルはとっくに魔界に帰っているわ」

 精一杯の虚勢を張って、言い返す。
 そんな私にカシムは、「帰りはしないさ」と鼻で笑ってみせた。

「魔王はお前に執心だと聞く。竜の習性を考えれば、妻にしたということはそうなのだろう。だからお前がこの地で死ねば、魔王はここを離れられない」
「‼」

 ガキンッ
 喉元に突き立てられた短剣が、何かに弾かれた音がする。

「チッ、まだ結界は健在か」

 「小賢しい」と吐き捨てたカシムに、私は遅れて自分が置かれた状況を理解した。
 カシムが私を殺す気なのは知っていた。彼自身も、そう口にしていた。
 けれど私は今この瞬間まで、本当の意味では理解していなかったのかもしれない。
 『死』は遠い出来事で、最後には助けが来るものと、自分はどこかそう思っていた節はなかっただろうか。

(私、今……死んでた)

 結界が短剣を阻んだと、カシムは言った。
 私に迷いなくそれを振り下ろした、彼が。

(殺されたんだ、私)

 衝撃に、頭の中が真っ白になる。
 目の前が、暗くなって行く。

「だが、こうして私が触れられるあたり、直接的な殺意以外は通るほど弱まってはいるらしいな」

 ドッドッという不安を煽る心音が、私の耳を支配する。
 その音に、短剣が布を切り裂いた音が、不協和音となって重なった。
 ワンピースとその下のシュミーズが、胸の中央から下腹部に掛けて裁たれる。
 生地がパクリと口を開け、肌が外気に晒された。

「お前の心が死ねば、魔王はやはりここを離れられない。忌まわしいこの地を、焼き尽くすまで」
「……っ」

 大きく開かれた胃のある辺りを、カシムが短剣を持った右手の甲で触れてくる。
 素肌に直接触れられ、ぞわりとした感覚が全身を走った。

「……そうまでして彼を引き留めて、何になるっていうの?」

 嫌悪感に、逆に思考がクリアになった。皮肉にも、『死』よりも身近な恐怖が私を正気に戻らせた。

(落ち着け。諦めるな。時間を稼いで、隙を見つけ出すの)

 私に跨がっていたカシムが、身をずらす。左足が自由になる。

(慌てるな。まだ。今じゃない)

 膝立ちになったカシムが、右膝を私の大腿の間に移動させる。
 短剣が、私の衣服を下腹部からさらに裾までを切り裂いた。

(まだ)

 左右に分かたれた布の片方が地面に滑り落ち、左の脇腹から足先に掛けてが露わになる。
 私を見下ろす、カシムの感情の見えない目。それを真っ正面から見据え、敵の動きに集中し、止まらない冷汗を遣り過ごす。

「魔王は死なない限り、世代交代をしない。そして私が討たない限り、奴は死なないだろう。狂って統べる力を無くした魔王と、魔王の保護を失った魔物。これ程、人間にとって都合の良い話はない」
(! 今‼)

 短剣を仕舞おうとしたカシムの手を、私は思い切り蹴り上げた。
 私を縛る左手にばかり気を取られていたのか、彼の右手にあった短剣が難なく後方に弾け飛ぶ。

「なっ⁉」

 予想以上にカシムが驚く反応を見せ、そればかりか彼は立ち上がって遠くに転がった短剣を追った。
 この隙を逃しては駄目だ。震える身体を(しつ)()して立ち上がり、走ろうと足を前に出す。

「あっ」

 二歩目を踏み出そうとして、足がもつれた。
 倒れる。そう思って、けれど『く』の字に折れた私の身体は、そのまま九十度回転した。
 『く』の字の姿勢のまま、腰が下に、地面を離れた足が上になる。
 背中と膝裏に当てられた手。横抱きのこの体勢は、最近ではもう慣れたものになった。
 そうされることも、

「ギル!」

 誰に、そうされるかも。
 私はカシムに視線を固定させたギルの横顔に、泣きたいほどの安心を感じた。
< 59 / 106 >

この作品をシェア

pagetop