トリップしたら魔王の花嫁⁉ ~勇者の生贄にされそうだったので敵の敵は味方と思い魔王に助けを求めたら本当に来ました~

イスカ

 ()(たつ)で蜜柑なお茶会をした翌日。魔王城でのシナレフィーさんたちの部屋に、私はミアさんと二人でいた。
 夫妻はカルガディウムに居を移したため、シナレフィーさんが年輪を数え始めたという例の木製テーブルセットだけを残して、室内はガランとしている。そのテーブルを挟んで、私とミアさんは向かい合っていた。
 テーブルには数冊の本と、それから紙、ペン、インク。私たちは現在、昨日私が提案したあの話――『和オプ辞典』制作の真っ最中である。

「本当はレフィーが協力してくれたなら、一瞬で出来上がるのだろうけど。彼も彼で別の仕事があるものだから……私でごめんなさいね」
「そんなっ、滅相もないです。ミアさんに手伝ってもらえて、本当に助かりました。私から言い出したのに、私はイスカで使われている文字がわからないですし」

 申し訳なさそうな顔のミアさんに、私は慌てて両手を振って否定した。
 確かにシナレフィーさんなら一瞬でできるのだろうが、彼を動かすにはミアさんに頼むしかない。ギルが言うには、シナレフィーさんが魔界帰還計画に協力しているのは、あくまで報酬目当て。幼馴染みだからという理由だけで、動いてくれるような奴ではないとのこと。私はおろかギルが頼んでも、辞典作りの協力なんてしてくれないだろう。
 そのシナレフィーさんはというと、お子さん二人と一足先にカルガディウムの邸へ行ってしまった。ミアさんが口にした別の仕事――転移の魔法陣を描く染料を作成するためだ。
 染料作成……そう、アレだ。王都で買った宝石を砕いて作るという、アレ。想像厳禁、しただけで胃がキリキリすること必至。
 彼らを見送った際に、シナレフィーさんは片手に娘のイベリスちゃん、頭に息子のアルトくんを乗せていた。ミアさんが言うには、イベリスちゃんは百二十キロ、アルトくんは九十キロほどあるという。合計約二百キロ……微笑ましい光景を生み出すために要求される身体能力がエグすぎる。
 混血だと純血の竜よりも人間よりも、成長が早いそう。妊娠して半年くらいで生まれて焦ったというミアさん。それ以上にシナレフィーさんが狼狽えていて冷静になれたというオチは、こっそり耳打ちしてくれた。竜の聴力からいって聞かれていそうだけれど、うっかりしていたのかそれともわざと聞かせたのか。

「自分で申し出ておいてあれなのだけど、うーん……やっぱり読めるけれど内容が難しいわね。私は、あまりこういった勉強はしてこなかったものだから……」

 ミアさんが手にした本の頁を捲りながら、ほぅっと溜息をつく。

「オプストフルクトも日本語も読み書きできるというだけで、かなりの才女ですよ。自信を持って下さい」
「ありがとう。内容は難しいけれど、これはまだ何となくわかるから頑張るわ。前にレフィーに見せてもらった本なんて、読めても内容はサッパリ理解できなかったものだから」

 ミアさんが目線は本のままに、返事をする。
 私はミアさんが一つ前に読んだ本のメモを(まと)めながら、「わかります」と実感込めまくりの相槌を打った。
 読めても理解できないという状況、わかる。物理や三次関数の教科書が、まさにそれだった。わかる。

「私たちは触りだけでいいと思っているんです。簡単な単語だけでも拾って、繋げて。後はそれを基礎として誰かが応用してくれると信じましょう」

 ミアさんが日本語で本のメモを取り、私がそれを纏める。纏めたものに、本の概要としてアイテム説明欄の文章を書き加える。それらをミアさんが、イスカの村で使われている旧言語と呼ばれるものに訳していく。訳が書かれた紙を本に添えて、一冊分完了だ。
 時間も限られているので、訳すジャンルは『農業』に絞った。カシムが食料と火を(おこ)すための油の話をしていたからだ。
 農業を行うための農地は、魔物が激減したならイスカの村周辺に確保できるはず。イスカの環境で育てやすい野菜や、油が採れる植物の栽培方法をメインに訳す本をチョイスしてみた。
 出来上がった訳付き本は、オーブ奪還の際にオーブの代わりに置いていくつもりだ。これで少しでも時代の変化が加速すればいいと願っている。

「後は他の人に任せればいい……そうね、そうよね」
「そうです、そうです」

 ミアさんと二人、頷き合う。
 二人の心は一つだ。「後は偉い人、よろしく」という心で。

「頑張りましょう、ミアさん」
「ええ」

 ゲームなら友情度とか、そういった感じのステータスが上がったんじゃないだろうか、今。
 私たちはもう一度頷き合い、それからお互いの作業に戻った。
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