花火の音が鳴りやむまで  私はきれいなウソをつく

第三章 眠れない日

『肺がんです。まず、手遅れですね。早期発見ではありませんし、しかも結構進んでいます。もう助かる見込みはないでしょう』
胸の痛みと動いた時の息苦しさを感じ、私はお母さんと一緒に、よく知る先生に尋ねた。
それでもう、全部おしまい。
助かる見込みはない、とまで言われたわたしは、自分の生きる未来をうまく想像することができない。
もう私の未来はない。
だから進路表なんてもちろん出すこともできないし、出す必要もない。
私は大学生になる前に、この世を去ってしまう。
それはもう決まってる。
ということは、私はもう、一年も生きることができない。
冬、私が生きているかもわからない。
春にはもう、確実に死んでいる身の私は、死ぬ運命を受け入れているように見えるかもしれない。
「まえは、そうだったんだけどなあ」
ふふ、と嗚咽と共に漏らした声は、ぼやけて消えていくだろう。
けれど、これは本心だ。
私は前、もう受け入れようとしていた。
自分が死ぬ未来を。
自分が死ぬ世界で、みんながのうのうと暮らすのを。
受け入れようと。受け入れるしかないと、そう考えていたんだ。
なのに。なのに。
「…雲のせいだよ。全部、全部。雲のせいだよ!!」
大声はたぶん、リビングにも聞こえているだろう。
「舞桜…」
心配そうなお母さんの声が聞こえてきた。
それでも私は、止められない。
涙と声も。枯れるまで鳴くしかない。

「…あ」
新学期が始まった次の日。
…目と目があった瞬間に、彼はすべてを悟ったように想えた。
「…おはよ、雲」
いつも通り、挨拶できただろうか。
あまりにも不自然だったなら、彼にきっと気まずいことがばれてしまうだろう。
「…おはよ」
どうしよう、と焦っている私を置いて、雲はいつも通り返事をしてくれた。
「暑いね」
何でもない会話のように聞こえるこれは、緊張がゆえに作り出した、意味不明の会話でもある。
「そうだな」
「…雲。あの、あのときはほんとうにごめん。無責任、だった」
「…別にいいよ」
言えた。言えたよ、舞桜。
「ごめん」って、言えた。
「…でも、この前言ったことは、本心、だから。もう無理にかかわらないで」
…強めの口調になったこと。
…最低な言葉をぶつけていること。
そんなことは本当はわかってる。
けれど、どうしても言うことができない。
「ごめん」ともう一度言うことができるのならば、そうしたい。
けれど、できない。
これ以上雲と一緒に居ると、私が危ない。
…死にたくない。
…消えたくない。
…まだ生きたい。
そう、思ってしまいそうになってしまうから。
「…雲は一回、言ったよね。私に世界の美しいところを見せてくれるって」
私が小さく言うと、「おう」と図太い声が返ってくる。
「…もう、見せなくていいよ」
ああ、私はなんでこんなに不器用人になったんだろう。
私はいつの間にこんなに汚い人になっていたんだろう。
「…わかった」
雲の顔は、無表情。
わたしと関わらなくなることが、そんなにダメージに来ていないようだ。
「…今日だけは、一緒に居ようよ」
それがすごく悲しくて、わたしの口からはそんな声が漏れていた。
雲は同じ無表情で、頷くだけだった。
そういうことが得意ではない私は、学校の門をくぐりぬけると、「ねえ」と声をかける。
「あ?なんだよ」
彼はさっそくお得意の暴言を吐き、私を鋭い目つきで見る。
「……私ね、ほんとうはずっと、雲のこと嫌いだったんだよね」
誰にも言ったことのない悪口を、今本人に言う。
「無責任だし、暴言吐いてくるし、性格最悪だし。だから嫌いだった。ずっと」
私がそういうと、彼はにっこり笑って、「知ってた」と答える。
「…けどね、最近はすごく、雲のこといい人だなって思うこと、増えてきてるよ」
「そりゃそうだろ。俺ほどおまえにつきっきりのやついねえぞ」
彼は威張ったようにそう言ったあと、私を待たずに校舎の中へ入る。
私も靴を履き替え、彼の後を追った。
「…雲はさ、運命の人って信じる?」
「運命のひと?」
「そう。私たちは誰かに恋をすることが、もう決まってる。例えば、私の運命の人が雲だったとしたら、私たちは絶対に恋に落ちる。そう決まってるんだよ」
「ああ…でもまあ、そういうもんじゃね?」
雲からは予想通りの発言が飛び出た。
だよね、と笑いながら、私は首を振る。
「…でも、それって無責任だよね。全部決められてるんだよ。恋をする人も、しない人も。よくドラマや漫画とかで、あなたは私の運命の人っていうフレーズ出てくることあるでしょう。けど、この先もしかしたら違う人を好きになるかもしれない。違う人を愛すると決めるかもしれない」
私がそう言葉を並べると、彼は一度口を開き…閉じた。
「…生まれて初めての恋が叶わない人もいるように、高校になって恋をして、かなわない人がいるように。運命の人って、きっといないって私は思う。運命なんて、信じない」
私がそう言い切ると、「なんで」と低い声で彼は言う。
私は微笑んで、「それは、」と言葉を紡ぐ。
「その方が、都合がいいの。運命じゃないって思った方が。言い逃れもできるし、自分のせいだった想うこともできるでしょう?」
私がそういうと、彼は、あははと笑って、「まあ、そうだな」と頷いてくれた。
「だからね、くも。もし好きな人ができたら、その人は運命の人なんかじゃないよ。“自分の今一番救いたいって思う人”は、雲の好きな人なんだよ」
私がそう笑いかけると、雲はちょっと考えて、「そうか」と答える。
「えーなに?その反応、もしかしてもういるとか?」
冗談半分で言ってくせに、彼は少し顔を赤らめ、そっぽを向いた。
「だったら何だよ」
低い声で発した彼の声に、私は思わず硬直する。
「…ぇ」
私が放った言葉は、その何倍も小さくて、何倍もか細い声だった。
雲の好きな人。
その言葉が頭の中でぐるぐる回って、苦しい。
自分から聞いたくせに。自分から話し始めたくせに。
「…そ、そうなんだ。驚いたなあ。こんな雲にも好きな人いたんだ…」
「なんだよ。悪いか」
ううん、と首を振った私は再度歩き出す。
「…じゃ、じゃあ私、今日委員会の仕事たくさんあるから、もう行くねっ」
私は真横にある階段を上り、教室とは反対側の方向へ駆け出す。
「は?ちょっ…待てって!」
雲の声が聞こえたけれど、もう止まることはできない。
スピードがついてきた足で、私は一気に階段を上る。
そして違う学年の階についたとき、へにょり…と座り込む。
なんで、逃げ出したんだろう。
思い出すだけで目頭が熱くなる。
…好きだから。
頭の中に浮かんだ文章を、何度も何度もリピートする。
雲が好きだから、逃げたんだ。きっと。
―好きな人には、好きな人がいた。
たったそれだけのことなのに。
生まれて初めて恋をして、失恋をしてって考えると、すごくみじめだな。
滑稽だなぁ、わたし。
最初で最後の恋を、失恋で終わらせた。
涙はとどめなくあふれてくるけれど、私はそれをもう、止めることはなかった。
「…え。あれっ?舞桜ちゃん…?」
あまり聞きなれない声に、私は思わず拍子抜けする。
今、目の前に誰かがいる。
泣いているところを、誰かに見られた。
そう考えただけで、自然と涙は止まり、顔は青ざめる。
恐る恐る顔を上げると、そこにいたのは……幼馴染の三つ上のお兄さん、藤堂彼方くんだ。
「え…彼方くん…??」
「うわあ、ほんとに舞桜ちゃんだ。まさか会えるとは思ってなかったから、嬉しいなあ」
そう言って笑う彼方くんに、私は足を必死に動かして立ち上がる。
「えっ…どうして、ここに。今は大学にいるはずじゃ」
「そうそう。大学進んで、カウンセラーの免許取ったんだ。で、今この高校で、頑張ってるって感じ」
「カウンセラー…?すごいね。ちゃんと夢に向かって、頑張ったんだね」
私が素直にほめると、彼は「そんなすごいことじゃないよ」と笑った。
「俺、ほんとは心理学じゃなくて、物理の方に行きたかったんだよね。けど、先生に見込みはないって言われちゃって。あきらめて、心理学に通うことにしたんだ」
「へえ…それでも、すごいよ。何かに進むって、すごく怖いと思う。けど、それを乗り越えるっていうのは、すごいことだと思うよ。たとえそれが、第一志望じゃなくても」
私がそうやって励まして見せると、彼は驚いたように私を凝視した。
「…あはは。なんかカウンセラーの俺が悩み相談しちゃった」
そう言って「俺も頑張らなきゃな」と私の頭をぐしゃぐしゃにした。
「…ありがとう。元気出たよ」
彼方くんは優しい目で私を見つめ、そう笑ってくれた。
茶色の短い髪が、日に当たってまぶしく光る。
優しく私を見る瞳は、まるで愛らしい小動物を見るようで。
…少しだけ、格好いいと思ってしまった。
「あ、そうだ。連絡先、交換しない?ようやく会えたし。いつでも連絡していいよ」
そう言ってスマホを取り出した彼方くんに、私も頷いて連絡先を交換する。
ラインの欄に、「藤堂彼方」と現れ、嬉しいと思ってしまう自分は、ほんとうに気分屋だ。
さっきまで、失恋で泣いていたくせに。
「ありがとう。嬉しい」
素直な感想を口にすると、「俺のほうこそ、どうもありがとう」と返してくれる彼方くん。
そのとき、だだだっとものすごいスピードで階段を駆け上がってきた雲と、ばっちり目が合ってしまった。
瞬間、目を見開く彼。
「雲…」
「舞桜」
彼は少し怒ったような口調でそう言った。
「なんだよ、ソイツ」
まるで、恋の強敵にでもあったかのようなショックそうな顔と、怒り気味の顔。両方を持った雲は、私の指先に少しだけ触れて、離れた。
「…幼馴染のひと。カウンセラーなんだ」
少し自慢してやろうと思って、そう口にする。
すると彼は、ますます怒ったような顔で、キッと彼方くんをにらんだ。
「…」
何も言わない男同士の睨み合いが始まった、かと思いきや。
彼方くんはにっこりした表情を崩さず、雲に一言、「…を泣かせるようじゃダメだよ。…は俺のだから」とつぶやいた。
「…」
雲はその声をじっと聴いたあと、チッと舌打ちをして、私たちの横を通っていった。
「何だったんだろう…?」
思わず口にした言葉に、「さあ」と平常心を保つ彼方くん。
さっぱり意味も分からない私は、ただただ、そこに立ち尽くすことしかできなかった……。

【今日はなんだか大変だったね。体調の方は大丈夫?お母さんに聞いたよ】
ああ、知られてしまった。
夜、八時四十五分。
彼方くんから、少し大人びた返信をもらったときは、どう返信するかさえも迷った。
【大丈夫だよ!メッセージありがとう】
しょうがないなと思いつつ、そんなありきたりな返信を送った。
「…ふぅ」
メッセージ一つでこんなに緊張するなんて。
そう思ってベットに寝そべったとき、スマホが振動した。
彼方くんかな、と思いながらすぐ電源をつけると、雲からだった。
【あの彼方とかいうやつ、おまえの何なんだよ】
なぜか怒り気味のメッセージに、私は首をかしげながら普通に返信する。
【幼馴染だけど、ほんとのお兄ちゃんって感じのポジションかな。彼方くん、恋愛には疎いみたいだし、そういうのを気にせず話せる仲…?】
私がそう送ると、彼からまた返信が来た。
【ふぅん。っていうか、俺と話したくないってどういうこと?】
なんだか彼と話すのは気が楽だなと思いつつ、そのメッセージを見た途端、私の思考は停止した。
どうする。どうする…。
いや、ウソはつかないほうがいいだろう。
けれど、どういえばいい…?
あと一年も生きられるかわからないからもう関わらないでほしい?
いや、そんなことまで言ってしまえば、きっと「はあ?そんなの知らねえよ」と言われるに決まってる。
雲はそういうひとだから。
私の思いなんて無視して、自分が正しいと思うものを貫く。
それが雲なんだ…。
私は震える指でスマホの画面をタップした。
一文字ずつ、丁寧に打ち込んでいく。
【今はまだ言えない。そのときになっても後悔しないように。まだ嫌だと思わないように】
これは私の本心だ。
彼とこれから関わっていけば、私はもっと彼のことを好きになってしまう。
好きです。そう伝える日が来るかもしれない。
もし思いが通じ合い、付き合ってしまえば、私の死に悲しまないわけがない。
あの雲であっても。雲はそういうひとだから。
きっとそうだ…。
ピロン♪とスマホが再度振動した。
私は食いつくようにスマホの画面を開いて…絶句した。
相手は彼方くんだったから。
【何かあったら絶対言ってね。力になりたい。】
まっすぐなその文章に、思わず息をのむ。
「力になりたい」そんな言葉を、生涯言われたことすらなかった。
あの雲でさえ、そんな格好いい言葉は口にしない。
でも彼方くんは、言ってくれた。
LINEであったとしても、そんなことを言ってくれるひとは、この世界に極端に少ないから。
【ありがとうございます。信用してますよ、彼方先輩】
少しおどけて見せた私の返信は、やっぱり心とは裏腹なものであった。
けれど、私はほんとうに嬉しかったんだ。
雲の言葉が私の救いになったように、彼方くんの言葉が、私の勇気になるんだ。
彼方くんとのやり取りをスクロールして眺めていると、雲からLINEが一件届いた。
開いて読むと、そこには、【俺にも話せないようなことなのか】というもの。
どうしてだろう。
どうして私は、つらいって思ってしまうんだろう。
言えないことが、ほんとに、ほんとにつらい。
そのとき、私の部屋のドアから、トントンと音が鳴る。
そして、ガチャとドアが開き…そこからはお母さんが出てきた。
「…え」
「舞桜…大丈夫?最近はずっと浮かない顔してるでしょう。何かあったの?もしかして、病気のことで悩んでるんじゃ…」
「…ちがう、よ」
私が声を振り絞ってこたえると、お母さんはぐしゃっと顔をゆがめ、
「ねえ舞桜」と私の名前を呼んだ。
「あなたが病気なのは、舞桜のせいじゃないのよ…。わたしのせい。全部お母さんのせいよ」
「それは違う…。誰も悪くないよっ!それにわたし、辛くない。病気になんて負けないよ」
そういって笑って見せるけれど、心ではもう疲れ切っている。
「…嘘よね。舞桜はいつもそうよ…!自分のことは考えず、周りの人のことだけ考える優しい子」
違うよ。違う。私はそんな優しいひとじゃない。
自分の立場が有利になるように仕向けるひと。
私は優しくもなんともないんだ。
優しいひとのフリをしているだけ。
「優しいひと…じゃないよ。そんなひとになるように仕向けてるだけ」
「…ねえ舞桜。あなた、病気ってわかってからつらいと思ったことはある?」
「…」
そんなのいくらでもある。
病気なんでしょって笑われたり、早く死ねよって急かされたり。
そんな辛さは私しかきっとわからないし、わからなくていい。
「…舞桜。私はあなたが生まれてきてくれて、ほんとうによかったと、そう思ってるのよ」
ああほんと。私の涙腺は最近おかしい。
こんな些細な言葉を投げかけられただけで、涙腺なんて簡単に崩れてしまう。
「お母さんっ…!!」
だから私は、思いっきり甘えることにした。
お母さんの優しさとぬくもりに。
思いっきり。
いつか、雲にも言えたらいいなと思いながら。
「好きだよ」って…「ごめんね。私もう死ぬんだ」って。
伝えられたらどんなにいいことかわからない。
けれど私はきっと、そのときは、一番幸せな時だろう。
「…あのね、お母さん」
思い切り泣いて、泣いて、泣いて。
泣き止んだとき、私はお母さんに話をしようと手を握る。
「…私、わたしね、恋したの」
「え」
「初恋なの」
「…相手はどんな子?」
お母さんは優しい声でそう言った。
「優しいよ。優しいけど、すごく不器用。ひどい言葉ばっかり言ってくるし…ひどい奴だよ…ほんと」
「あら。じゃあどうして好きになったの?」
お母さんの言葉に、私は笑みをこぼした。
好きですと言ったらどうなるかわからない。
それでもあのひとはきっと…。
「救ってくれたんだ。病気になってから、何もかも捨てた私を、救ってくれた。それがあのひとなんだ」
今ならもう言える。
「私、あのひとのこと大好きなんだ」
言っちゃった。言っちゃった…!
そろそろと顔を上げると、そこには満面の笑みのお母さんがいた。
「…よかった…舞桜。よかった。あなたが幸せを知ってくれて…生きる意味を見つけてくれて…本当に」
最後は少し涙目になったお母さんに、私までまた涙があふれそうになった。
わたし、ほんとう恵まれてるなあ。
こんなに優しいひとがお母さんで。
こんなに優しいひとの娘に生まれて。
ほんとうに…よかった。

「彼方くんっ!」
次の日の朝早く、私は一番に彼方くんに会いに行った。
「おう、舞桜!おばさんと仲深められたって?よかったなあ」
まるで自分のことのように笑顔になる彼方くんに、私は思わずまた泣きそうになってしまった。
「…ありがとう。彼方くんは優しいね」
ふふ、と声を漏らしながら笑うと、彼方くんは「そうかな」と嬉しそうに笑った。
「ねぇ、雲と仲悪いんでしょう。カウンセラーならみんなと仲良くなきゃだよ。よぼうか、雲」
私がそう申し出ると、「いや、いいよ!」と否定する彼方くん。
「アイツとはもういいんだよ。言いたいことは言ったから」
「…なら、いいんだけど」
そう呟くと、「うん」と笑顔で私の頭をくしゃくしゃと撫でる彼方くん。
「そっ…そろそろ授業始まっちゃうから、行くね」
雲からされているとはいえ、慣れていない行動に、私は思わずそう口にして、速足で廊下をかけていく。
階段を駆け下りたそのとき、目が合ったのは…
雲、ではなく、如月さんだった。
「…あっ、如月さん」
「…」
彼女はぎろりと私をにらんだあと、後ろにいた女子生徒たちに何か言う仕草をして、階段を昇っていった。
どうして無視されたんだろうと考えながら、彼女たちの横を通り過ぎようとしたとき。
ドンッと肩を押され、視界がぐらついた。
「え…」
思わずこぼした声に、女子ら全員があざ笑う。
「如月さんの恋心知ってたくせに!!」
ギリギリで体制を保つと、今度は違う女子生徒に肩を軽く押された。
「そうよ!雲くんのこと好きって相談されたでしょ!?なのに急に頼ったりして見せつけて…。ほんとう、水瀬さんがこんなことやるなんて知らなかった」
あ…そうだ。私。
如月さんに、恋愛相談されたんだ。
雲のことが好きなんだって相談を受けて、わたし…どう答えたっけ。
「…く、雲は好きな子、いるみたいだよ。ハッキリ言ってた。きっと如月さんのことだよ…!」
ぐさり、と私の言葉が、私の胸に刺さる。
私が好きな子いる、といった瞬間、足を運んでいた如月さんの身体が反応して止まった。
「…それ、ほんと?」
低い声でそう言った如月さん。
それくらい、雲のことは本気なんだとわかる。
「…ほんとうなら、どうして一歩引かなかったの」
聞かれてる。答えを求めてる。
けれど私は言えない。
数学の式みたいに、いろんな考えが私の頭を遮ってくる。
「…」
私が黙っていると、「はあ」と盛大なため息をついた彼女。
「ほんとさぁ。ひどいと思うんだよねぇ。私が応援して、って言ったのに…そう思って泣いた夜もあるけど、しょうがない」
如月さんはニヤリと笑って、ずいっと顔を寄せてきた。
「あの彼方くんとかいう男…頂戴よ」
「…え」
頂戴、という言葉がよくわからない。
彼方くんはものじゃない。
私のものでもないし、頂戴、という言葉の選び方はあまりにも不自然だ。
「格好良かったよね、結構。アンタの友達なんでしょう?なら私の紹介くらいできるよね。アンタが雲くん狙うなら、私はあっち狙うから。ね?いい条件だと思うのよね。ウィンウィンってやつ?」
ふふ、と笑う如月さんに、私は立ち尽くすことしかできない。
…目の前にいる彼女はただ、幸せという恋愛を求めているただの女の子だ。
きっと、一週間後も、一か月後も、一年後だって、如月さんは輝き続ける。恋をし続ける。
それなら…初恋をかなえてやってもいいんじゃないか。
「…ごめん。如月さん。今まで、ずっと」
私は正直に頭を下げた。
周囲の子たちが、ぐっと息をのむのが分かる。
私が謝るなんて考えもしなかったみたいだ。
「…」
「如月さんが雲のこと好きって知ってて、わたしずっと仲良くしてた。如月さんの恋、応援することできなかった…」
私が本心を告げると、「ふん」と顔を背ける彼女。
「…けど、彼方くんは物でも、私のものでもない。彼方くんは人間で、私の大事なお兄ちゃんだから…如月さんのものにはならない」
「それって、雲くんのこと、あきらめてくれるってこと?私の初恋を実らせてくれるっていうことでいい?」
うっ、と息をのむ私。
雲のことは大好きだ。
生まれて初めての恋だ。
それでも。
この恋は叶わない。
叶ったとしても、途方もない未来だ。
…今はきっと、幼馴染っていう関係である彼方くんの方が、もっと重要かもしれない。
「…く、雲は私の大切な人で…私を救ってくれ」
「そんなの私も一緒!!あんたとわたしの間に、雲くんの愛おしいと思う気持ちに差はないのよ。思い上がらないで!!」
ずばずばと本当のことを言われ、私の心はもうズタズタ。
言い返す気力もない。
さて、どうしようかと頭をひねらせたとき。
「これって修羅場ってことでもいいの?雲くん」
「…何が何だろうと、舞桜が傷つけられてる時点で被害者が生まれてるだろう」
いつもの低音トーンの声と、なんだか苦しそうな聞きなれた声。
どっちも、私の大好きな人だ。
「雲くん!?」
「彼方くんっ…」
わたしと如月さんの声が階段にこだまする。
「…お前らさあ。ほんと面倒くさいよな。恋がどうだの、誰が誰を選ぶだの、俺らが選ぶ権利があるんじゃねぇのか。おまえ、よっぽど自分に自信持ってんだなぁ?」
「…ち、違うんだよっ雲くんっ。あたしは、雲くんを傷つけるやつをやっつけようって思ったんだよぉ」
いつもの可愛い声にもどった如月さんは、精一杯雲のご機嫌を取ろうとしている。
「うぜえ。きもいんだよ急に声かえてさぁ。おい、彼方とかいうやつもなんか言ってやれよ」
「あー…俺は別にこの件にはあんまり関係ないと思うけど、いち先生として注意します。恋愛とは戦というものだけれども、自分の価値観を人に押し付けるのは違うと思うよ」
イケメンスマイルをやってのけた彼方くんは、「行こうか、舞桜ちゃん」と私の腕を引っ張った。
「…舞桜は俺が連れて帰る。同じクラスだし」
そのとき、雲が彼方くんの手を払いのけ、自分の方へとわたしを引き寄せる。
どうしてそこで喧嘩をしているのかが何もつかめないけれど。

「…それで、決まったのか。進路は」
「…決まっていません。進路は…親にも無理に決めなくていいって言われてます」
私がそう答えると、先生はあきれ半分でため息をつく。
「うそだろう…。親も認めているだなんて。とりあえず、なんでもいいから出してくれ。じゃないと俺が叩かれるんだよ」
「…どうしても、適当には書きたくないんです。自分の未来は、自分で、ちゃんと定めて決めたくて…」
「なら早く書きなさい。興味のある仕事くらい、いくらでもあるだろう!」
「…」
先生は知らない。
私が、あと一年も持たず死ぬことは。
先生は知らない。
この学校の誰も知らない。
私が知らないところで死んでいくのを、誰も知らない。
雲さえ、知らない。
だから、彼方くんという存在は嬉しかった。
雲にも言えない言葉を、言える存在だから…。
「…先生。私、実は」
これだけ言われるなら、言ってやってもいいんじゃないかと本心が言う。
別に誰かに言われるわけでもない。
良いだろう。もう、この際…言えばすっきりするのだから。
「私」
そのときだ。
「せんせー。俺も進路表出してねぇんですけど。そんなにボコスカ言われなかったですよ」
いつものハスキーボイスと共に、教務員室に、彼が姿を現した…。
「雲…?」
「ゆっ、夕凪はこれから叱りつけようとしていたところだ!!」
先生は少し焦ったように声を荒げた。
「…でもこの前も舞桜に強く接してましたよね?俺、見たんすけど」
「…ち、違うんだ。別に差別とかではなくてね」
先生はたじたじになってそう答える。
「…先生?」
最後にわたしがくぎを刺すようにそう言えば、先生の背中は震えあがった。
「…す、すまん…。卒業までに出してくれれば、それでいいから!!じゃあな」
そう言って逃げるように去っていく先生の背中は、とても小さく見えた。
「あ…ありがとう。雲」
「別に。差別が大っ嫌いなだけだよ」
雲はそう言って、「じゃあ」とわたしに背を向けた。
それがなんだか無性に寂しくて、「ねっ、雲」とわたしは声をかけた。
「今日、スーパーの特売日で、たくさん買いものするの。荷物運び手伝ってよ」
「はあ?」
「いいでしょう。雲が私を連れまわしたみたいに、私も一回くらい連れまわす」
「…」
雲は黙ったまま、一分、二分と立ち尽くした。
私はごくりと飲み込んだ息を、すぅ、と吐く。
三分が経過したとき、「ったく、しょうがねえなあ」と声が聞こえ、ハッと我に戻る。
「…いいの?」
「おう。それくらいしてやるよ」
雲は手をふらりと手を振って、廊下を歩いていく。
そんな姿を眺めながら、私は再度、「ありがとう」と口にして、その想いを胸に残すんだ……。
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