花火の音が鳴りやむまで 私はきれいなウソをつく
第四章 君の痛み
「ありがとうね。お米が一番重かったんだよ」
「これくらい普通に持てるし。簡単な仕事だよ。で?給料はいくらなんですか」
「えー。じゃあ百円のたかい飴三つプレゼント!」
「よっしゃ」
嬉しそうに笑った雲が可愛くて、どうしても甘やかしてしまいたくなる。
でも、私は思うんだ。
きっと雲にだって、「闇」はある。
きっと雲だって、「悩み」くらいあると。
「…ねえ、雲」
言いたい。
私と一緒にかんがえようって。
雲がしてくれたみたいに、今度は私が、雲を救ってあげたいって。
言いたいんだ。ほんとうは。
「あ?なんだよ」
ねえ…雲。
言っても、いいかな。
「…わたしさ、雲に救われたんだよね」
薄暗い帰り道、ぽつりとこぼした声は、きっと雲にだって聞こえにくかったと思う。
けれども私は続けた。
「最初はずっとなんだコイツ!みたいな感じだっけど、雲と話すうちに、楽しいとか、嬉しいとか、そんな感情が増えていって…」
「…」
「気づいたら私、雲のこと大好きになっちゃってた」
笑顔の告白。
照れたり、涙を流したり。
そんなこともなく、伝えられた。
「すきだよ」って。
ずっと秘めていた思いを、今、彼に打ち明けた。
「…私ね。ガンなの」
急な二つの告白に、雲は目を見開いて立ちすくむ。
そうだよね。普通、仲がいい女子が、ガンだって言われたら驚くよね、と思いながら、私は続きを話した。
「見つかった時にはね、もう手遅れって言われたの。将来の夢だって定まってなかったけれど、ショックだった。私、もう一年生きれるか、わからないんだって」
ふふ、と笑うと、雲はギロりとわたしをにらむ。
けれどその目も、いつもの覇気はなくなっていた。
「…死ぬんだ、わたし」
ポロッとこぼれた涙は、夕陽を写して、地面に消えた。
それが何度も続いて流れ落ちていく。
「…そんな私を救ってくれたのは、いつも雲だった。雲が、私の太陽なの」
こんなキザなセリフ、私が言うとは思ってもみなかった。
でも、今はわかる。
言いたい。この思いを、伝えたい。
「…付き合いたいとか、思いを一緒にさせたいとか、そういうつもりは全くなくて」
涙声でそう言っても、何にも説得力がないのはわかってる。
けれど、言いたい。
最後だけど…言いたい。
「…死ぬ前に、伝えたかったって、だけだから。ほんとに、それだけ」
すぅ、と雲の息をのむ音が聞こえる。
そうだよ、雲は好きな人がいる。
わたしじゃ到底、雲には釣り合わない。
それでも、言いたい。
好きですって…愛してたって。
「ありがと、運んでくれて。私の家、もうここらへんだし、いいよ」
私は彼の手からビニール袋を奪い取った。
「ありがとうね。ばいばい」
あえて、またね、と言わなかったのは…「もう話さないよ」っていう意味を込めて。
「…ごめんね」
思わずつぶやいた声に、雲が動きを止めた。
「ばいばい」
私は再度そう言い残し、雲から離れた。
これも全部、全部雲のため。
…いや、違うかもしれない。
あふれてくる涙を拳で受け止めながら、私は歩く。
…全部、全部自分のためかもしれない。
私の思いを打ち明けたのは、雲にわたしを知ってもらうため。
私が死ぬと打ち明けたのは、雲と居るのが怖いというため。
…考えてみれば、全部自分のためかもしれない。
あふれる涙をぬぐった私は、決めた。
もう一生恋をすることはない。
もう一生…雲と話すことはない。
心に決めながら、私はそっと、未来への階段を上った。
「おはよ、舞桜」
次の日から、雲が定期的に、私の机に来るようになった。
話したくないとわかっていながら、ウソの笑顔で「おはよう」と返してしまう私は、ほんとうに馬鹿だ。
「なあ、次の授業のテスト、勉強ちゃんとしてきたか」
「…ノート見せてって言われても見せてあげないから」
「チッ。使えねぇな」
そんな他愛もない会話も、わたしと雲は会話するようにまでなってしまった。
頭ではだめだとわかっているのにしてしまうのはきっと、雲のことが好きだから。
無視なんてしたくない。
まるで恋愛ゲームの様だ。
ほんとうはダメだとわかっていながら会いに行くような、そんな感じ。
「でさ…」
「ねぇねぇ雲くんっ!次のテストのことなんだけどぉ、わたし、ノート忘れちゃってさぁ。見せてくれないかなっ?」
すると救世主、如月さんが現れ、私と雲の間に壁を作ってくれた。
「あ?ノートぉ?俺も持ってねぇし」
「えーそっかぁ。じゃあ、補習一緒になっちゃうかもねっ。それはそれで嬉しいなー二人きりだったらもっといいのに!」
そしてみるみるうちに、二人の世界が出来上がってしまった。
複雑な気持ちを隠したまま、私は机をなるべく二人から遠ざけ、手元にある文庫本に目を落とす。
すごく悔しいけれど、これが現実。
ダメだと思って告白した、女の末路だ。
「あっ、舞桜ちゃん。次のテストのことなんだけど、どうしてもわかんない問題あってさ。教えてくれない?」
すると、クラスメイトの女子生徒たちがそろそろとわたしの机にノート片手に集まってきた。
またか…と思いつつも、「うん。いいよ」と笑顔で答える。
まるで、雲が大嫌いだったころの私の様だ。
世界が醜く見えて、自分の思い通りにならない世界が大嫌い。
明日が来なければいいのにと何度思ったことか。
そんな毎日が、またへそを曲げず、戻ってきたような、そんな気がする。
「秋も近づいてきたよねぇ。そろそろイチョウとか落ちてそう!」
「確かに…もう秋だね」
うんうん、と返事をするけれど、私はそれが怖くてたまらない。
秋まで生きれるだろうか。
冬を、ちゃんと越せるだろうか。
今年は年越しそばなんて食べられないかもしれない。
それが怖くて、怖くて、怖くてたまらない。
「…そろそろ受験勉強、ちゃんとしとかなきゃだなぁ」
ひとりの女子がそう、ポロッとこぼす。
そうだ…みんなには未来があるんだ。
わたしだけ、ない。
ホロリと一筋しずくが頬に通る。
…あれ。
どうしてだろう…。
涙が、止まらないよ…。
「…えっ!?えっ…み、水瀬さん!?どうしたの…?受験、そんなにいや?」
違う、違うと私は首を振る。
「違うでしょ、こういうのは。えーと…お腹空いた!?それとも、どっか痛い…?」
女の子たちがあわあわしている。
大丈夫だよって笑わなきゃいけなのに、笑えない。
涙だけが出てくる。
どうしよう。誰にも、見られたくないよ…!
次第に人も集まって来たみたいだ。
みんなの視線が、私に突き刺さる。
それでも涙は止まらない。
ここにいるひとたちはみんな未来があって。
進むべき道があって。
いつかは結婚したりもしちゃって。
みんな平等なハズなのに。
わたしだけ、ない…。
未来がない。
私だけ、死んでしまう。
わたしだけ、結婚もできず、夢もかなえられず、進むべき道を大きく外れて、みんなに置いて行かれる。
そう思うと、涙が止まらない。
どうしようもなく、辛いと思ってしまうんだ…。
「…も」
「え?なんて?何か欲しい?」
一番前に立っている女子が、耳を傾けてそう言った。
ねぇ…助けてよ。
いつもならそうしてくれるでしょ。
私を救ってくれたひと。
私に恋を与えてくれたひと。
私に…希望を教えてくれたひと。
ねえ…ねえ。
「…けて」
「え?」
まえに立つ女の子は、どうしたの、どうしたのと、難しそうに言うだけ。
みんなに言わなきゃ。
伝わるように。
彼に…この声が届くように。
すぅ、と大きく息を吸った私は、全力でそれを吐き出した。
「くも…助けて…」
最後の言葉は、小さくなって、みんなに埋もれてしまったけれど。
きっと彼には届いてる。
私の思いが、きっと届いてる。
ね…そうでしょ。
「…行くぞ」
彼の低い声に思いを隠しきれないまま、私たちは教室を出た。
誰もいない体育館。
まるで私の過去を話した、あのときみたく、私たちは二階に上がった。
そして、私は声にならない声で、嗚咽を漏らした。
どうして君はいつも助けてくれるの。
どうしていつも君は私の傍にいてくれるの。
辛いとき、どうして君は私を救ってくれるの。
そんな言葉はどうでもいい。
まず私がしたことは、ただ彼の胸の中で泣くこと。
「死にたくない」「生きたい」と叫ぶこと。
生まれて初めて恋をして、あっけなく終わってしまった。
はずなのに、私は雲が好きだ。
きっと死ぬまでずっとそうだろう。
それでも、許される気がした。
夢がかなわない私でも、最初で最後の初恋だけは、自分の胸にため込んでいていいと思った。
そう思わせてくれたのは、雲だった。
雲が私を救ってくれた。
雲が私の太陽だった。
ねえ…雲。
「死にたくっ…ないっ…」
思わず口にした声は、体育館中に響き渡った。
ねえ…雲。
雲は今、どんな顔をしているのかな。
どんな顔で、私を見ているのかな。
悔しい?それとも、頼ってくれたことを嬉しいと思ってる?
どっちだって私はかまわないけれど、でも一つ約束してほしいのは、
「絶対私を忘れないでね…?」
私のか細い声に、ピクリと反応した雲は、私を離して、じっと目を見てこういった。
「当たり前だろ。忘れたことなんてねぇよ。今までも。この先も」
一気に嬉しさでいっぱいになった胸は、どうしようもないほど嬉しくて。
それでいて、悲しくて。悔しくて。
ずっと一緒に居たいと、そう思ってしまいそうで。
ねぇ、雲。
それ、告白の返事ってことで受け取っても、いいかな。
一年だけ、私の命が尽きるまで。
そうやって勘違いしてもいいかな。
いいよね。
いいよね?
うん、きっと君はいいよって言ってくれる。
君はそういうひとだって、私は知ってる。
不器用で、でも素直で優しくて。
あぁ、私が恋したひとが……、生まれて初めてで、最後の恋が、雲でよかった。
直感で思った言葉全部、彼に伝えたいけれど、今はやめておこう。
今はつらかった思いを全部彼にぶつけてやる。
それだけが、私の今やるべきことだから。
「送ってくれてありがとね。もう遅いから、早く帰ってよ?」
「わかってるって。今日の飯カレーだから余計足取り軽いわ」
そう言って帰り道を歩く私と雲。
こんな毎日が、ずっと続けばいいのに…なんて、少女漫画の読みすぎかな。
「カレーかぁ。じゃあうちもカレーにしちゃおうかな」
「え、なに。おまえが作ってんの?」
「そりゃあね。お母さんもお父さんも仕事大変だろうし、私が手伝えることは手伝ってるよ。雲は…何にもしてなさそうだね」
「ふっ。バレバレか」
そう言って二人で笑いあう夕暮れた道。
「…雲」
「あ?どうした」
珍しく足を止めた私を、気遣うように横に並ぶ雲。
心配してくれているのだろうか。
「ありがとう。こんな私を救ってくれて…。否定しないでくれて、ありがとう」
私は笑顔でそう伝えた。
「ほんと、そういうところ大好きだよ」と愛の言葉でも付け加えればいいものの、私はそんなことも許されない。
これ以上好きになることは言語道断。
笑止千万とでもいえるほど、馬鹿野郎がすることである。
出来れば、普通の恋がしたいと思ってしまう。
限りがない世界で、大学生になった雲を見れる時間帯まで生きていたい。
人生ではじめて、「生きていたい」と願うときは来るんだ。と改めて自分が可笑しくなって苦笑する。
…きっとそうさせてくれたのは、雲だろうけれども。
「もうこの辺でいいよ。雲、反対方向でしょ。私はもうこの辺だし、あとは自分で帰れる」
「そうか。まあ、最近の女子はこえーからな。大丈夫だろ」
そういってうなずく雲に、私は笑顔を浮かべる。
「もう!そんなだからクールって言われるんだよ、雲は」
「うっせ」
前、LINEで雑談をしていたときのことを思い出すなぁ。
あの時、確かなりたいタイプみたいな話になって、雲は「明るい陽キャ」とか言っていたような気がする。
…考えただけで、爆笑してしまうほど面白い話だ。
薄暗い帰り道、私たちは立ち止まる。
何秒も、何分も時間が過ぎていく。
離れるのが嫌で、時間を惜しんでいる証拠。
「…雲」
―夕暮れどきだ。
いつものハスキーボイスが、いつも以上にわたしに突き刺さる。
どうしたことか、私は笑顔になっていた。
たった一言のその声が、私を明るく照らし、私をほめてくれるよう名感覚に陥った。
「…ほんとにそろそろ帰らなきゃだね。親も心配するでしょ」
「俺の親はパートだから。安心しろよ」
「…そっか」
か細い声は、日に飲み込まれて消えていく。
それでも雲は、ちゃんと声を拾ってくれた。
「…いつか雲の家に行きたいなー」
そんなありきたりな言葉で笑いを取る私は、どれだけ雲に好かれたいんだろう。
「俺の家?汚ねぇぞ」
「予想してるよ。雲の部屋、散らかってそうだなーって。家政婦さん雇う?時給二十円でいいよ。一か月に三回とかどう?」
「乗った」
ニヤリと笑った雲は、私に向かって拳を突きつけてきた。
握手替わりなのだろうか。
私もニイと笑顔を作り、彼の拳に向かって、自分の拳を突きつけた。
「じゃ、土曜から頼むわ。家政婦さん」
「うん。任せといて…って。え!?土曜!?明日じゃんっ…!」
彼は私の声なんて無視して、夕陽に照らされた道を進んでいく。
「…やっぱり意地悪」
ひとりきりの帰り道が、なぜか弾んで楽しくなる。
雲と居る時と一緒だ。
違うところと言えば…。
「ちょっとだけ、明日が楽しみ」だということだ。
「これくらい普通に持てるし。簡単な仕事だよ。で?給料はいくらなんですか」
「えー。じゃあ百円のたかい飴三つプレゼント!」
「よっしゃ」
嬉しそうに笑った雲が可愛くて、どうしても甘やかしてしまいたくなる。
でも、私は思うんだ。
きっと雲にだって、「闇」はある。
きっと雲だって、「悩み」くらいあると。
「…ねえ、雲」
言いたい。
私と一緒にかんがえようって。
雲がしてくれたみたいに、今度は私が、雲を救ってあげたいって。
言いたいんだ。ほんとうは。
「あ?なんだよ」
ねえ…雲。
言っても、いいかな。
「…わたしさ、雲に救われたんだよね」
薄暗い帰り道、ぽつりとこぼした声は、きっと雲にだって聞こえにくかったと思う。
けれども私は続けた。
「最初はずっとなんだコイツ!みたいな感じだっけど、雲と話すうちに、楽しいとか、嬉しいとか、そんな感情が増えていって…」
「…」
「気づいたら私、雲のこと大好きになっちゃってた」
笑顔の告白。
照れたり、涙を流したり。
そんなこともなく、伝えられた。
「すきだよ」って。
ずっと秘めていた思いを、今、彼に打ち明けた。
「…私ね。ガンなの」
急な二つの告白に、雲は目を見開いて立ちすくむ。
そうだよね。普通、仲がいい女子が、ガンだって言われたら驚くよね、と思いながら、私は続きを話した。
「見つかった時にはね、もう手遅れって言われたの。将来の夢だって定まってなかったけれど、ショックだった。私、もう一年生きれるか、わからないんだって」
ふふ、と笑うと、雲はギロりとわたしをにらむ。
けれどその目も、いつもの覇気はなくなっていた。
「…死ぬんだ、わたし」
ポロッとこぼれた涙は、夕陽を写して、地面に消えた。
それが何度も続いて流れ落ちていく。
「…そんな私を救ってくれたのは、いつも雲だった。雲が、私の太陽なの」
こんなキザなセリフ、私が言うとは思ってもみなかった。
でも、今はわかる。
言いたい。この思いを、伝えたい。
「…付き合いたいとか、思いを一緒にさせたいとか、そういうつもりは全くなくて」
涙声でそう言っても、何にも説得力がないのはわかってる。
けれど、言いたい。
最後だけど…言いたい。
「…死ぬ前に、伝えたかったって、だけだから。ほんとに、それだけ」
すぅ、と雲の息をのむ音が聞こえる。
そうだよ、雲は好きな人がいる。
わたしじゃ到底、雲には釣り合わない。
それでも、言いたい。
好きですって…愛してたって。
「ありがと、運んでくれて。私の家、もうここらへんだし、いいよ」
私は彼の手からビニール袋を奪い取った。
「ありがとうね。ばいばい」
あえて、またね、と言わなかったのは…「もう話さないよ」っていう意味を込めて。
「…ごめんね」
思わずつぶやいた声に、雲が動きを止めた。
「ばいばい」
私は再度そう言い残し、雲から離れた。
これも全部、全部雲のため。
…いや、違うかもしれない。
あふれてくる涙を拳で受け止めながら、私は歩く。
…全部、全部自分のためかもしれない。
私の思いを打ち明けたのは、雲にわたしを知ってもらうため。
私が死ぬと打ち明けたのは、雲と居るのが怖いというため。
…考えてみれば、全部自分のためかもしれない。
あふれる涙をぬぐった私は、決めた。
もう一生恋をすることはない。
もう一生…雲と話すことはない。
心に決めながら、私はそっと、未来への階段を上った。
「おはよ、舞桜」
次の日から、雲が定期的に、私の机に来るようになった。
話したくないとわかっていながら、ウソの笑顔で「おはよう」と返してしまう私は、ほんとうに馬鹿だ。
「なあ、次の授業のテスト、勉強ちゃんとしてきたか」
「…ノート見せてって言われても見せてあげないから」
「チッ。使えねぇな」
そんな他愛もない会話も、わたしと雲は会話するようにまでなってしまった。
頭ではだめだとわかっているのにしてしまうのはきっと、雲のことが好きだから。
無視なんてしたくない。
まるで恋愛ゲームの様だ。
ほんとうはダメだとわかっていながら会いに行くような、そんな感じ。
「でさ…」
「ねぇねぇ雲くんっ!次のテストのことなんだけどぉ、わたし、ノート忘れちゃってさぁ。見せてくれないかなっ?」
すると救世主、如月さんが現れ、私と雲の間に壁を作ってくれた。
「あ?ノートぉ?俺も持ってねぇし」
「えーそっかぁ。じゃあ、補習一緒になっちゃうかもねっ。それはそれで嬉しいなー二人きりだったらもっといいのに!」
そしてみるみるうちに、二人の世界が出来上がってしまった。
複雑な気持ちを隠したまま、私は机をなるべく二人から遠ざけ、手元にある文庫本に目を落とす。
すごく悔しいけれど、これが現実。
ダメだと思って告白した、女の末路だ。
「あっ、舞桜ちゃん。次のテストのことなんだけど、どうしてもわかんない問題あってさ。教えてくれない?」
すると、クラスメイトの女子生徒たちがそろそろとわたしの机にノート片手に集まってきた。
またか…と思いつつも、「うん。いいよ」と笑顔で答える。
まるで、雲が大嫌いだったころの私の様だ。
世界が醜く見えて、自分の思い通りにならない世界が大嫌い。
明日が来なければいいのにと何度思ったことか。
そんな毎日が、またへそを曲げず、戻ってきたような、そんな気がする。
「秋も近づいてきたよねぇ。そろそろイチョウとか落ちてそう!」
「確かに…もう秋だね」
うんうん、と返事をするけれど、私はそれが怖くてたまらない。
秋まで生きれるだろうか。
冬を、ちゃんと越せるだろうか。
今年は年越しそばなんて食べられないかもしれない。
それが怖くて、怖くて、怖くてたまらない。
「…そろそろ受験勉強、ちゃんとしとかなきゃだなぁ」
ひとりの女子がそう、ポロッとこぼす。
そうだ…みんなには未来があるんだ。
わたしだけ、ない。
ホロリと一筋しずくが頬に通る。
…あれ。
どうしてだろう…。
涙が、止まらないよ…。
「…えっ!?えっ…み、水瀬さん!?どうしたの…?受験、そんなにいや?」
違う、違うと私は首を振る。
「違うでしょ、こういうのは。えーと…お腹空いた!?それとも、どっか痛い…?」
女の子たちがあわあわしている。
大丈夫だよって笑わなきゃいけなのに、笑えない。
涙だけが出てくる。
どうしよう。誰にも、見られたくないよ…!
次第に人も集まって来たみたいだ。
みんなの視線が、私に突き刺さる。
それでも涙は止まらない。
ここにいるひとたちはみんな未来があって。
進むべき道があって。
いつかは結婚したりもしちゃって。
みんな平等なハズなのに。
わたしだけ、ない…。
未来がない。
私だけ、死んでしまう。
わたしだけ、結婚もできず、夢もかなえられず、進むべき道を大きく外れて、みんなに置いて行かれる。
そう思うと、涙が止まらない。
どうしようもなく、辛いと思ってしまうんだ…。
「…も」
「え?なんて?何か欲しい?」
一番前に立っている女子が、耳を傾けてそう言った。
ねぇ…助けてよ。
いつもならそうしてくれるでしょ。
私を救ってくれたひと。
私に恋を与えてくれたひと。
私に…希望を教えてくれたひと。
ねえ…ねえ。
「…けて」
「え?」
まえに立つ女の子は、どうしたの、どうしたのと、難しそうに言うだけ。
みんなに言わなきゃ。
伝わるように。
彼に…この声が届くように。
すぅ、と大きく息を吸った私は、全力でそれを吐き出した。
「くも…助けて…」
最後の言葉は、小さくなって、みんなに埋もれてしまったけれど。
きっと彼には届いてる。
私の思いが、きっと届いてる。
ね…そうでしょ。
「…行くぞ」
彼の低い声に思いを隠しきれないまま、私たちは教室を出た。
誰もいない体育館。
まるで私の過去を話した、あのときみたく、私たちは二階に上がった。
そして、私は声にならない声で、嗚咽を漏らした。
どうして君はいつも助けてくれるの。
どうしていつも君は私の傍にいてくれるの。
辛いとき、どうして君は私を救ってくれるの。
そんな言葉はどうでもいい。
まず私がしたことは、ただ彼の胸の中で泣くこと。
「死にたくない」「生きたい」と叫ぶこと。
生まれて初めて恋をして、あっけなく終わってしまった。
はずなのに、私は雲が好きだ。
きっと死ぬまでずっとそうだろう。
それでも、許される気がした。
夢がかなわない私でも、最初で最後の初恋だけは、自分の胸にため込んでいていいと思った。
そう思わせてくれたのは、雲だった。
雲が私を救ってくれた。
雲が私の太陽だった。
ねえ…雲。
「死にたくっ…ないっ…」
思わず口にした声は、体育館中に響き渡った。
ねえ…雲。
雲は今、どんな顔をしているのかな。
どんな顔で、私を見ているのかな。
悔しい?それとも、頼ってくれたことを嬉しいと思ってる?
どっちだって私はかまわないけれど、でも一つ約束してほしいのは、
「絶対私を忘れないでね…?」
私のか細い声に、ピクリと反応した雲は、私を離して、じっと目を見てこういった。
「当たり前だろ。忘れたことなんてねぇよ。今までも。この先も」
一気に嬉しさでいっぱいになった胸は、どうしようもないほど嬉しくて。
それでいて、悲しくて。悔しくて。
ずっと一緒に居たいと、そう思ってしまいそうで。
ねぇ、雲。
それ、告白の返事ってことで受け取っても、いいかな。
一年だけ、私の命が尽きるまで。
そうやって勘違いしてもいいかな。
いいよね。
いいよね?
うん、きっと君はいいよって言ってくれる。
君はそういうひとだって、私は知ってる。
不器用で、でも素直で優しくて。
あぁ、私が恋したひとが……、生まれて初めてで、最後の恋が、雲でよかった。
直感で思った言葉全部、彼に伝えたいけれど、今はやめておこう。
今はつらかった思いを全部彼にぶつけてやる。
それだけが、私の今やるべきことだから。
「送ってくれてありがとね。もう遅いから、早く帰ってよ?」
「わかってるって。今日の飯カレーだから余計足取り軽いわ」
そう言って帰り道を歩く私と雲。
こんな毎日が、ずっと続けばいいのに…なんて、少女漫画の読みすぎかな。
「カレーかぁ。じゃあうちもカレーにしちゃおうかな」
「え、なに。おまえが作ってんの?」
「そりゃあね。お母さんもお父さんも仕事大変だろうし、私が手伝えることは手伝ってるよ。雲は…何にもしてなさそうだね」
「ふっ。バレバレか」
そう言って二人で笑いあう夕暮れた道。
「…雲」
「あ?どうした」
珍しく足を止めた私を、気遣うように横に並ぶ雲。
心配してくれているのだろうか。
「ありがとう。こんな私を救ってくれて…。否定しないでくれて、ありがとう」
私は笑顔でそう伝えた。
「ほんと、そういうところ大好きだよ」と愛の言葉でも付け加えればいいものの、私はそんなことも許されない。
これ以上好きになることは言語道断。
笑止千万とでもいえるほど、馬鹿野郎がすることである。
出来れば、普通の恋がしたいと思ってしまう。
限りがない世界で、大学生になった雲を見れる時間帯まで生きていたい。
人生ではじめて、「生きていたい」と願うときは来るんだ。と改めて自分が可笑しくなって苦笑する。
…きっとそうさせてくれたのは、雲だろうけれども。
「もうこの辺でいいよ。雲、反対方向でしょ。私はもうこの辺だし、あとは自分で帰れる」
「そうか。まあ、最近の女子はこえーからな。大丈夫だろ」
そういってうなずく雲に、私は笑顔を浮かべる。
「もう!そんなだからクールって言われるんだよ、雲は」
「うっせ」
前、LINEで雑談をしていたときのことを思い出すなぁ。
あの時、確かなりたいタイプみたいな話になって、雲は「明るい陽キャ」とか言っていたような気がする。
…考えただけで、爆笑してしまうほど面白い話だ。
薄暗い帰り道、私たちは立ち止まる。
何秒も、何分も時間が過ぎていく。
離れるのが嫌で、時間を惜しんでいる証拠。
「…雲」
―夕暮れどきだ。
いつものハスキーボイスが、いつも以上にわたしに突き刺さる。
どうしたことか、私は笑顔になっていた。
たった一言のその声が、私を明るく照らし、私をほめてくれるよう名感覚に陥った。
「…ほんとにそろそろ帰らなきゃだね。親も心配するでしょ」
「俺の親はパートだから。安心しろよ」
「…そっか」
か細い声は、日に飲み込まれて消えていく。
それでも雲は、ちゃんと声を拾ってくれた。
「…いつか雲の家に行きたいなー」
そんなありきたりな言葉で笑いを取る私は、どれだけ雲に好かれたいんだろう。
「俺の家?汚ねぇぞ」
「予想してるよ。雲の部屋、散らかってそうだなーって。家政婦さん雇う?時給二十円でいいよ。一か月に三回とかどう?」
「乗った」
ニヤリと笑った雲は、私に向かって拳を突きつけてきた。
握手替わりなのだろうか。
私もニイと笑顔を作り、彼の拳に向かって、自分の拳を突きつけた。
「じゃ、土曜から頼むわ。家政婦さん」
「うん。任せといて…って。え!?土曜!?明日じゃんっ…!」
彼は私の声なんて無視して、夕陽に照らされた道を進んでいく。
「…やっぱり意地悪」
ひとりきりの帰り道が、なぜか弾んで楽しくなる。
雲と居る時と一緒だ。
違うところと言えば…。
「ちょっとだけ、明日が楽しみ」だということだ。