花火の音が鳴りやむまで 私はきれいなウソをつく
第六章 またね
「またね、雲」
時計の針が七時を回ったとき、私はそう口にした。
「…おう」
雲はなんだか寂しそうに、そう言った。
きっとこれが、最後になることがわかっていた。
けど、どうしても「ばいばい」は言いたくない。言わない。
だから雲も、「またね」って言って。
二人すれ違う最後。
後ろを歩く私と、前を歩く雲。
二人の体がすれ違ったとき、さっきさんざん泣いて枯れたと思った涙があふれた。
ねぇ、雲。
家に帰って、食事を済ませたあと、ベットに倒れこんだ私は、心の中でそう呟いた。
世界で一番、大好きだよ。
「この家ももう最後かぁ」
ふふ、とつぶやきながら、私は手当たり次第に部屋の中にあるものを触りまくる。
まだ読み終わっていない推理小説から、もう速攻で読み終わった恋愛小説まで、全部。
これが私の、一緒に生きてきたものたち。
大好きなものたち。
あぁ、好きだ。
私はこんなにも、世界が好きなんだ。
この世界を、愛していたんだ。
そう気づかせてくれたのは、雲だ。
私は、眠った。
明日死ぬわけじゃないのに、眠るのが怖くて、あまりよい眠りというわけではなかった。
それでも、私には次の日がやってきた。
次の日がくるのは、こんなにも幸せで、幸福なことなんだと、人生で一番思った日だった――。
〈どう?そっちの気分は。痛いところとか、嫌なこととかある?〉
久しぶりに聞いた、お母さんの声に、「ううん。ないよ、大丈夫」と答える私。
「強いて言うなら、日当たりが強いところかなぁ。カーテンしたいんだけど、修理してもらってなくて」
〈へえ、大変ねぇ。手術はいつだって?〉
「うん、来週の日曜」
私はカレンダーに視線を向けながら、そう答える。
入院してから、二週間。
ちょうど学校のみんなは、冬休みの時期だ。
急に学校をやめるなんて、みんなは驚いただろうか。
あの先生を、見返すことはできたのかな。
彼方くんも、元気かな。
雲も……学校を楽しめたのかなぁ。
そんなことを思いながら、窓から見える雪を眺める私。
〈そう。じゃあその日までにまたお見舞い行くね〉
「えぇーまたあの腐ったみかんなんて持ってこないでよ」
そうおどけて見せると、〈持ってこないわよ〉と笑うお母さん。
〈じゃあ、また連絡するね〉
「うん。ありがと」
私がそう言ったのと同時に、画面はメッセージ画面に切り替わった。
正直、寂しくないと言えばうそになるけれど、私はそう口にすることはない。
どうせ最後はきっと、寂しいと思うんだから。
今味わって、それが普通だと思うほうが、幸せに死ぬよりずっといい。
私の部屋は、一人部屋で、一番奥の窓がわの席に居座っているのが、私だ。
たまに彼方くんから、【大丈夫?無理しないで、話したいときはいつでも言って】というメールが届いたりするけれど、雲からの連絡は一切ない。
もう他に好きな人ができたんだろうかと心配になるほどの悲しみだった。
「…送って、みようかな」
今まで雲に送るのは拒んできたけれど、勇気を出して送ってみてもいいんだろうか。
私は震える指で、そっと“雲”の名前をタップした。
そして、ゆっくりと画面をタップして、文字をうちこむ。
やっとのことで、送信ボタンを押した私は、ハッと我に返って、今送ったメッセージを読み返す。
【会いたい】
私が送ったメッセージには、ただそれだけ、書かれていた。
…私はなんて、バカなんだろう。
思っていることを素直に伝えるなんて、本当に馬鹿だ。
…けど、これが私の想いなんだろうか。
これが私の、本当の気持ちなんだろうか。
そう思うと、なんだか気楽になってくる。
そう。私は彼に会いたい。
また一緒に、花火を見たい。
笑いたい。
話したい。
馬鹿みたいに喧嘩したい。
また、シャボン玉をしたい。
私はスマホをぎゅっと握りしめて、返信を待った。
ちなみに雲には、あらかじめ病院の場所は伝えている。
何号室になったかも、すべて。
でも、既読がつくだけで、返信は、来なかった。
もしかしたら、今回もそうなんじゃないか。
私は、また無視されて、悲しい人間のまま死んでいくんじゃないだろうか。
不安が募った矢先、スマホが振動した。
私は急いで電源を入れ、送られたメールをタップした。
そこの一番上には、【雲】と表示されていて、胸が高鳴ったのと同時に、すごく怖くなった。
【そうか】とだけ返されたら、どうしよう。
【俺は会いに行かねえよ】なんて言われてしまったら、どうしよう。
【我慢しろ】と、そう言われたら、どうしよう。
それでも。
私はゆっくりと、目を開いた。
すると、そこには【すぐいく】という文字。
何度も何度も読み返した、死ぬほど嬉しい言葉。
とたん、画面が通話画面に切り替わった。
私は震える指で、通話ボタンをタップして、スマホを耳に押し付けた。
「もし、もし…雲?」
〈そうだけど〉
そこからは、待ち望んだあの愛おしい声が聞こえてきた。
「…えっと。すぐ行くって、どういう意味…?」
〈そのまんま。あと十分程度でつく〉
「え…?う、うそっ…。来なくていいよ!雲も忙しいでしょう。受験するんでしょう?勉強したほうが…」
〈うるせぇ。俺の勝手だ。それに俺に会いたいって言ったのはおまえだろ〉
うっ、と言いたかった言葉が喉につかえる。
確かに、会いたいと言ったのは、私の方だ。
それでも、私は無理にとは言っていないし、できれば雲の用事を優先してほしいと思っている。
それに、手術前に会うならば、今日じゃなくてもいいはず。
それなのに、どうして…。
〈俺はおまえが病室にいったら嫌がるだろうと思ってずっと我慢してたんだぞ。いまさら来るなって言われても、もうおせぇから〉
「…」
どうして。
どうして雲は、こんな私にそんな言葉をかけてくれるの。
〈で?何号室?〉
声が震える。
それでも、伝えなきゃいけない。
私も、雲に会いたいから。
「ご、五百六号室」
〈わかった。すぐ行く〉
その言葉が聞こえたあと、プツリと切れた通話。
ようやく静かな時間がもどってきて、ふと考える。
…本当に、雲は来るんだろうか。
もしかしたら、ネタかもしれない。
ドッキリかもしれない。
もし本当に来たとして、そこで話す内容は、別れの挨拶かもしれない。
他に好きな人ができたということを、報告しに来るのかもしれない。
それでも。
『俺はおまえが病室にいったら嫌がるだろうと思ってずっと我慢してたんだぞ。いまさら来るなって言われても、もうおせぇから』
あの言葉は…嘘じゃない気がするのは、どうしてだろう。
ベッドの上で、ちょこんと座り込んだ私。
目を閉じて、秒数だけを数えていく。
いつくるんだろう。
そんな期待を胸に、私は秒数を数える。
ちょうど十分になろうというとき、ガラガラッと病室のドアが開く音が聞こえた。
だから私は、そっと目を開けた。
すると、そこにはやっぱり、息を切らした雲が立っていた。
服装は長袖パーカーで、心配するような、なんだか雲らしくない表情をしていた。
「…舞桜」
低く、深くつぶやかれたその言葉に、私は思わず泣きそうになるのを、必死でこらえて、「雲」と呼びかけた。
「…泣くなよ」
そんなことを言われ、私も負けじと「泣いてないよ」と答える。
「嘘だ」
「嘘じゃない」
そんなやりとりが数回繰り返されたあと、雲はあらあらしく私の顎を自分と目線が合わさるように引き上げた。
ばっちりと目と目が合う。
「やっぱり、泣いてる」
あぁ、ダメだなぁ、私。
気づくと私は、雲の腕の中にいた。
すっぽりとおさまった私の顔は、涙でぐちゃぐちゃに濡れていた。
―会いたかった。ずっと会いたかった。
そう言いたいのに、嗚咽が邪魔して言えない。
それでも、私はあきらめなかった。
嗚咽を我慢しようと、下唇を噛んでいると、雲がポンポンッと私の背中を優しく撫でた。
だから私の顔は、もっと涙があふれて、嗚咽が止まらなくなってしまった。
雲の体温は、冬なんじゃないかと想うほど、冷たかった。
それでも、雲は必死に私を温めようとしてくれた。
雲にあえて嬉しい。
…この涙が止まったら、きっと君に“ありがとう”を伝えるからね。
心の中でそう呟いて、私は再度、嗚咽を零した。
時計の針が七時を回ったとき、私はそう口にした。
「…おう」
雲はなんだか寂しそうに、そう言った。
きっとこれが、最後になることがわかっていた。
けど、どうしても「ばいばい」は言いたくない。言わない。
だから雲も、「またね」って言って。
二人すれ違う最後。
後ろを歩く私と、前を歩く雲。
二人の体がすれ違ったとき、さっきさんざん泣いて枯れたと思った涙があふれた。
ねぇ、雲。
家に帰って、食事を済ませたあと、ベットに倒れこんだ私は、心の中でそう呟いた。
世界で一番、大好きだよ。
「この家ももう最後かぁ」
ふふ、とつぶやきながら、私は手当たり次第に部屋の中にあるものを触りまくる。
まだ読み終わっていない推理小説から、もう速攻で読み終わった恋愛小説まで、全部。
これが私の、一緒に生きてきたものたち。
大好きなものたち。
あぁ、好きだ。
私はこんなにも、世界が好きなんだ。
この世界を、愛していたんだ。
そう気づかせてくれたのは、雲だ。
私は、眠った。
明日死ぬわけじゃないのに、眠るのが怖くて、あまりよい眠りというわけではなかった。
それでも、私には次の日がやってきた。
次の日がくるのは、こんなにも幸せで、幸福なことなんだと、人生で一番思った日だった――。
〈どう?そっちの気分は。痛いところとか、嫌なこととかある?〉
久しぶりに聞いた、お母さんの声に、「ううん。ないよ、大丈夫」と答える私。
「強いて言うなら、日当たりが強いところかなぁ。カーテンしたいんだけど、修理してもらってなくて」
〈へえ、大変ねぇ。手術はいつだって?〉
「うん、来週の日曜」
私はカレンダーに視線を向けながら、そう答える。
入院してから、二週間。
ちょうど学校のみんなは、冬休みの時期だ。
急に学校をやめるなんて、みんなは驚いただろうか。
あの先生を、見返すことはできたのかな。
彼方くんも、元気かな。
雲も……学校を楽しめたのかなぁ。
そんなことを思いながら、窓から見える雪を眺める私。
〈そう。じゃあその日までにまたお見舞い行くね〉
「えぇーまたあの腐ったみかんなんて持ってこないでよ」
そうおどけて見せると、〈持ってこないわよ〉と笑うお母さん。
〈じゃあ、また連絡するね〉
「うん。ありがと」
私がそう言ったのと同時に、画面はメッセージ画面に切り替わった。
正直、寂しくないと言えばうそになるけれど、私はそう口にすることはない。
どうせ最後はきっと、寂しいと思うんだから。
今味わって、それが普通だと思うほうが、幸せに死ぬよりずっといい。
私の部屋は、一人部屋で、一番奥の窓がわの席に居座っているのが、私だ。
たまに彼方くんから、【大丈夫?無理しないで、話したいときはいつでも言って】というメールが届いたりするけれど、雲からの連絡は一切ない。
もう他に好きな人ができたんだろうかと心配になるほどの悲しみだった。
「…送って、みようかな」
今まで雲に送るのは拒んできたけれど、勇気を出して送ってみてもいいんだろうか。
私は震える指で、そっと“雲”の名前をタップした。
そして、ゆっくりと画面をタップして、文字をうちこむ。
やっとのことで、送信ボタンを押した私は、ハッと我に返って、今送ったメッセージを読み返す。
【会いたい】
私が送ったメッセージには、ただそれだけ、書かれていた。
…私はなんて、バカなんだろう。
思っていることを素直に伝えるなんて、本当に馬鹿だ。
…けど、これが私の想いなんだろうか。
これが私の、本当の気持ちなんだろうか。
そう思うと、なんだか気楽になってくる。
そう。私は彼に会いたい。
また一緒に、花火を見たい。
笑いたい。
話したい。
馬鹿みたいに喧嘩したい。
また、シャボン玉をしたい。
私はスマホをぎゅっと握りしめて、返信を待った。
ちなみに雲には、あらかじめ病院の場所は伝えている。
何号室になったかも、すべて。
でも、既読がつくだけで、返信は、来なかった。
もしかしたら、今回もそうなんじゃないか。
私は、また無視されて、悲しい人間のまま死んでいくんじゃないだろうか。
不安が募った矢先、スマホが振動した。
私は急いで電源を入れ、送られたメールをタップした。
そこの一番上には、【雲】と表示されていて、胸が高鳴ったのと同時に、すごく怖くなった。
【そうか】とだけ返されたら、どうしよう。
【俺は会いに行かねえよ】なんて言われてしまったら、どうしよう。
【我慢しろ】と、そう言われたら、どうしよう。
それでも。
私はゆっくりと、目を開いた。
すると、そこには【すぐいく】という文字。
何度も何度も読み返した、死ぬほど嬉しい言葉。
とたん、画面が通話画面に切り替わった。
私は震える指で、通話ボタンをタップして、スマホを耳に押し付けた。
「もし、もし…雲?」
〈そうだけど〉
そこからは、待ち望んだあの愛おしい声が聞こえてきた。
「…えっと。すぐ行くって、どういう意味…?」
〈そのまんま。あと十分程度でつく〉
「え…?う、うそっ…。来なくていいよ!雲も忙しいでしょう。受験するんでしょう?勉強したほうが…」
〈うるせぇ。俺の勝手だ。それに俺に会いたいって言ったのはおまえだろ〉
うっ、と言いたかった言葉が喉につかえる。
確かに、会いたいと言ったのは、私の方だ。
それでも、私は無理にとは言っていないし、できれば雲の用事を優先してほしいと思っている。
それに、手術前に会うならば、今日じゃなくてもいいはず。
それなのに、どうして…。
〈俺はおまえが病室にいったら嫌がるだろうと思ってずっと我慢してたんだぞ。いまさら来るなって言われても、もうおせぇから〉
「…」
どうして。
どうして雲は、こんな私にそんな言葉をかけてくれるの。
〈で?何号室?〉
声が震える。
それでも、伝えなきゃいけない。
私も、雲に会いたいから。
「ご、五百六号室」
〈わかった。すぐ行く〉
その言葉が聞こえたあと、プツリと切れた通話。
ようやく静かな時間がもどってきて、ふと考える。
…本当に、雲は来るんだろうか。
もしかしたら、ネタかもしれない。
ドッキリかもしれない。
もし本当に来たとして、そこで話す内容は、別れの挨拶かもしれない。
他に好きな人ができたということを、報告しに来るのかもしれない。
それでも。
『俺はおまえが病室にいったら嫌がるだろうと思ってずっと我慢してたんだぞ。いまさら来るなって言われても、もうおせぇから』
あの言葉は…嘘じゃない気がするのは、どうしてだろう。
ベッドの上で、ちょこんと座り込んだ私。
目を閉じて、秒数だけを数えていく。
いつくるんだろう。
そんな期待を胸に、私は秒数を数える。
ちょうど十分になろうというとき、ガラガラッと病室のドアが開く音が聞こえた。
だから私は、そっと目を開けた。
すると、そこにはやっぱり、息を切らした雲が立っていた。
服装は長袖パーカーで、心配するような、なんだか雲らしくない表情をしていた。
「…舞桜」
低く、深くつぶやかれたその言葉に、私は思わず泣きそうになるのを、必死でこらえて、「雲」と呼びかけた。
「…泣くなよ」
そんなことを言われ、私も負けじと「泣いてないよ」と答える。
「嘘だ」
「嘘じゃない」
そんなやりとりが数回繰り返されたあと、雲はあらあらしく私の顎を自分と目線が合わさるように引き上げた。
ばっちりと目と目が合う。
「やっぱり、泣いてる」
あぁ、ダメだなぁ、私。
気づくと私は、雲の腕の中にいた。
すっぽりとおさまった私の顔は、涙でぐちゃぐちゃに濡れていた。
―会いたかった。ずっと会いたかった。
そう言いたいのに、嗚咽が邪魔して言えない。
それでも、私はあきらめなかった。
嗚咽を我慢しようと、下唇を噛んでいると、雲がポンポンッと私の背中を優しく撫でた。
だから私の顔は、もっと涙があふれて、嗚咽が止まらなくなってしまった。
雲の体温は、冬なんじゃないかと想うほど、冷たかった。
それでも、雲は必死に私を温めようとしてくれた。
雲にあえて嬉しい。
…この涙が止まったら、きっと君に“ありがとう”を伝えるからね。
心の中でそう呟いて、私は再度、嗚咽を零した。