花火の音が鳴りやむまで 私はきれいなウソをつく
第七章 花火の音が鳴りやむまで
これほど人生で、生きたいと思ったことはあるだろうか。
これほど人生で、ひとを愛おしいと思うことはあるだろうか。
私はきっと、もう死んでしまう。
いきたいと思っても、死にたくないと思っても、死んでしまう。
私はそうなんだ。そういう人間なんだ。
生まれてきてからずっと、そういう運命なんだ。
それなのに、なぜか私は辛いと思う。
それなのに、なぜか私は苦しいと思う。
不思議だ。
私はもう死ぬと、決まっているというのに。
それを知っているというのに。
私は、もう死んでしまうというのに。
私は辛いという感情を知った。
私は悲しいという感情を知った。
私は恋という感情を知った。
私は好きだという感情を知った。
私は、生きたいという感情を知った。
このままだと、消えたくない。死にたくない。生きたい。
そう思ってしまう。
あぁ、ほんとう、馬鹿だなぁ、私。
叶わぬ恋。
もう一生、貫かなきゃいけない一方通行の恋。
「…ありがと」
黒色のハンカチで涙を拭きながら、私はそういう。
「病院で洗って、返すよ。ナースさんにお願いしたら、多分洗えると思うから」
「別にいいけど。それやるよ」
「もったいないよ、上等な布なのに」
「別にいいじゃん。持っててよ」
「無理だよ。どうせ行き場を失うんだから」
私がそういうと、雲はハッと動きを止めた。
「…じゃあ、その代わり。洗って返すから、もう一回来てよ」
「…は?」
「返すから、もう一回来て。もう一回、私に会いに来て」
私は笑ってそう言った。
すると、雲も鼻で笑って、「わかった」と素直に答えてくれた。
「…久しぶりだね、こうやって話すの」
「え?あぁ…まぁ、そうかもな」
「雪、ひどくなってきてるでしょう。窓からのぞいたら、もう木にすごく積もってて。細い枝はおれてたよ」
「あー…まあ、そうかもな。俺はあんま最近外でねぇから知らねぇけど」
「そと、出てないの?勉強してるとか?」
「あー…いや。そういうわけじゃない。バイトしてんだよ。コンビニで」
「えっ?バイト?」
あまり雲からは聞かないワードが飛び出て、私は思わず聞きかえしてしまった。
「結構うちから近いとこでさ。あんまり雪とか見れてないっていうか、見てる暇ないっていうか」
「そう、なんだ。じゃあ…ごめんね。会いたいなんて送っちゃって」
「いいよ。もう帰りだったし」
ふん、とそっぽを向いた雲。
これは照れ隠しだと、私はちゃんと知っている。
「で、何してほしいんだよ」
「え?」
「俺を呼ぶってことは、なにかしてほしいんだろ。言ってみろ。やりたいこと」
やりたい、こと。
私の、やりたいこと…。
「……び」
「え?」
雲が聞き返してきた。
小さく来て聞こえずらかったと思う。
もう、私は一生見れないもの。
それでも、世界で一番きれいだと思ったもの。
それは…
「花火、見たい」
すぅ、と大きく息を吸って、息のようにそれを吐く。
「はぁ?」
「花火みたい。それ見れば、もうこの世に悔いはない」
「なにいってんだよ、おまえ。冬に花火なんて見られるわけねぇだろう」
「…」
そうだよね。
冬に見れるわけない。
私は、もう一生見ることはできない。
わかってるよ、そんなこと…。
「そうだよね、ごめ…」
謝ろうとしたとき、彼は「あ」と声を上げた。
「見れるぞ、花火。世界で一番、綺麗なもん」
「え…?」
「見せてやる。俺がお前に、世界の一番きれいなものを」
「…自分で、あるけるよ。そこまでしてもらわなくても」
冬の花火大会、当日。
車椅子を用意しくてくれたお母さんに向かって、そう吐き捨てる私。
「転んだらどうするの。結構肺、悪くなってるらしいじゃない。走ったりしたらダメですからね」
「わかってるよ。第一、花火で走ることはないでしょ」
私がそう答えると、「確かに、それもそうね」と笑うお母さん。の、すぐ横にはパーカー姿の雲。
「娘を、よろしくお願いします」
お母さんは雲に向き直って、そう深々と頭を下げる。
そこに雲は、「舞桜は、責任をもって俺が守ります」と答える雲。
あの日は、冬に花火が見られるなんて思ってもみなかったけれど、まさか本当に見ることができるなんて。
「…じゃあ、行ってきます」
病院を出る時、たくさんの看護師さんと、心配そうに手を振るお母さんを見て、私の胸は、チクリと痛んだ。
手術まで、残り五日。
もしかしたら、今日が雲と話せる最後の日になるかもしれない。
不安を募らせていると、雲が「リラックスしろ」と言われ、一気に現実に引き戻される。
「転んだらいけないから、俺の腕つかんどけ。離すなよ」
雲はさっと私に腕を寄せ、つかみやすいようにすそも垂らしてくれた。
「ありがと」
私がそう答えると、「おう」と小さく答えた雲。
あぁ、好きだなぁと、改めて思った…。
会場につくと、複数あるベンチには、もうたくさんのひとが座っていた。
私は車椅子だから、優先席にすんなりと座ることができて、雲もその横に座ってくれた。
「楽しみだね、花火!」
私がわくわくしながらそう答えると、「まぁ、そうだな」と雲からも弾んだ声が聞こえてくる。
「冬の花火なんて見たことない」
「俺も」
何度かそういう会話を交わしたあと、いきなり花火の一発目が打ちあがった。
ドーンと大きい音を鳴らしながら打ちあがった赤色の花火は、夏の時よりも、くっきりと鮮やかに見ることができた。
「…綺麗」
私がそう呟くと、横からも「綺麗だ…」という声が聞こえてきた。
ちらりと横を見ると、食い入るように花火を見る子供っぽい顔があって。
思わず笑ってしまった。
けれど、何秒か見ているうちに、だんだん子供っぽいが、格好いいに代わっていく。
頭の中にリピートされた、雲の言葉の数々が雲に重なって、どうしても格好よく見えてしまう。
「おまえ、ほかのやつに大丈夫とか言われても、笑顔で大丈夫とかしかいわねえじゃねえか。なら、嫌われてる俺が、おまえを救いに行く。それだけだよ」
「このちっせえあわの一つ一つに、世界の全部が映ってんだよ。俺も、舞桜も、公園も、空も。全部映ってる」
「おまえ、つらいって…死にたいって思うんだろ?なら俺が、世界の綺麗な部分をおまえにみせる」
「…舞桜は頑張ったよ。少なくとも、俺はそう思うけど」
「俺が認めてやる。おまえは俺を信じればいい。おまえは、俺を頼ればいいんだよ」
「当たり前だろ。忘れたことなんてねぇよ。今までも。この先も」
雲の言葉の数々が、何度も何度も頭にリピートされる。
あぁ、私、死ぬんだな。
この花火が咲く世界で、私は散っていくんだ。
大好きな人を、残して。
「……ねぇ雲」
嗚咽と共に漏らしたその言葉は、彼に聞こえるはずもない。
私の声は、花火と嗚咽で隠された。
それでも私は、何度も言う。叫ぶ。
「雲…。ねぇ雲」
返事して、というように、私は何度も彼の名前を呼んだ。
「大好き、だよ…」
一生伝わることのない、告白。
もしかしたら明日、私は目を開けることができないかもしれない。
手術の日を迎えるまでに、私は息を吸うことができなくなってしまうかもしれない。
…もう、雲の顔も、見れなくなるかもしれない。
それが怖くて、怖くてたまらない。
どうしようもなく、彼と過ごした日々は、彼と過ごした日常が頭から離れない。
ねぇ雲。
この夜が、ずっと明けなければいいのにね。
「綺麗だったね、花火」
「そうだな。夏の時より鮮やかに、くっきりと見えるっていうか」
雲がなんだか熱心にそういうので、ふふ、と私もつられて笑ってしまう。
「本当、雲って無邪気な子供っぽいところあるよね」
「あぁ?うるせぇよ。おまえだって嘘つきの子供のように思えるぜ」
「そ、それは身長が低いせいでしょ!私はちゃんと雲に尽くしてるもん」
私が言い返すと、「ほぉ?」と雲がうなる。
こうやって言い争いをするのも、こうやって笑いあうのも、あと何回できるんだろう。
病院近くまで来たとき、私は何かに引っ張られるように動きを止めた。
少し前を歩く雲が、振り向いて「どうした?」と声をかけてくる。
「…帰りたく、ない」
ぽろっと出た言葉は、涙と一緒に零れ落ちたように思えた私は、涙が落ちるたびに、ぽつりと言葉をこぼしてゆく。
「…死にたくない」
雲の表情は、真剣だった。
「…生きたい」
ついにとうとう、泣きじゃくった声をあげる私に、黙って近づいた雲。
「ねぇ…雲。逃げようよ…二人で居よう」
「…」
雲はゆっくりと私を抱きかかえたあと、まっすぐ病院の方向へ歩いていく。
「もどりたく、ない…!!生きたい…!!もっとたくさんのものを見て見たい、触れたい!」
それでも雲は、黙って歩いていく。
「ねぇ、雲…」
私がそう呼び掛けても、雲は黙って歩くだけ。
「……二人で居たいって思ったのは、私だけなの?」
私がそうこぼした瞬間、雲は私を立たせ、そしてものすごく強い力で抱き寄せた。
「…そんなわけねぇだろ!!!」
雲らしくもない、大きな声だった。
「俺だって、俺だってできることならそうしてやりたい!けど、おまえはそれじゃあ黙って死んでいくだけなんだよ!!」
ハッと目を見開くと、雲の瞳からは涙が零れ落ちていた。
「頼むから…これ以上俺を誘わないでくれ。病院に…帰ってくれ」
泣きそうな、子供の声だった。
…辛いのは、ずっと自分だけだと思っていた。
お母さんの声も、電話のときも、したくをしているときも明るかったし、きっとこれでいいと思っているんだろうと思った。
雲だって、いつも通りに接してくれて、私が死ぬという現実を、ちゃんと見ているように思えた。
けれど、違う。
みんな我慢していただけ。
私が表を見せすぎただけ…。
辛いと思ったのは、私だけじゃない…。
私は雲の涙が枯れるまで、雲をぎゅっと抱きしめた。
離れたくないこのぬくもりが、雲から剥がれ落ちないように。
やっとのことで雲の涙が枯れたとき、私は笑った。
「…もの…だよ」
「え…?」
上手く聞こえていなかったんだろうか。雲は顔が見えない私でも、首を傾げたことはわかる。
「…雲のせいだよ」
私は今度は、はっきりといった。
「雲のせいだよ。こう思ったのは、全部雲のせい。雲が…雲が世界の美しいところなんか見せるから。優しくするから…抱きしめるから、話を聞いてくれるから…!!」
ぽつりぽつりと話し始めた。
それでも私は、泣かない。
さっきたくさん泣いた分、今回は笑顔で話を続ける。
「…生きたいって、思うようになった。死にたくないって、もっと生きられたらって、死ぬのが、怖くなったの」
雲は黙って話を聞くだけ。
それでも私は、話を続ける。
「…好きだよ、雲。だいすき。だから…連れてってよ、病院」
私の声を合図に、むくりと体を起こした雲は、そのまま私を抱きかかえて、病院へ歩き出した。
きっとこれが、正しい選択。
このまま私は死んだとしても、最後はきっと幸せなはず。
怖くないといったら、きっとうそになるけれど。
それでも私の幸せは、丸ごと全部雲に上げたい。
そんな思いを胸に、私は、雲のたくましい腕を、そっと握った。
気が付くと、ベッドで運ばれていたはずの私は、元の部屋のベッドで眠っていたようだった。
そして横には、メッセージカードが添えられていて、〔ごめんね〕とだけ書かれていた。
…あぁ、私は死ぬんだな。
直感でそう思った。
今日は十二月二十四日。
ちょうどクリスマスの日。
もう夕方だから、手術をしたあとということはわかった。
そして、カードに書かれた文字を読んで、もう大体予想はついてしまった。
…手術は、失敗したんだ。
私はもう、一日もたたないうちに死ぬ。
なんだか肩の荷が、すぅっと降りたような気がした。
私は受話器を手に取って、ナースさんを呼ぶための番号を入力した。
〈はい。こちらナースの村田です〉
「あ…五百六号室の水瀬舞桜です」
私がそう名乗ると、〈あ、舞桜ちゃんね。どうしたの?〉という、柔らかい声が返ってきた。
「…えっと、面会通さないでほしいんです」
〈…え〉
奥から息をのむ声が聞こえた。
「お母さんも、雲も。通さないでほしいです。絶対」
〈で…でも。もう昨日ちらっと見た程度でしょう。あったらどう?〉
「いえ、いいんです。どうせ仏壇で顔見ますから」
私はそう言ったあと、受話器をもとの位置に戻した。
ガチャンと音がして、リセットされる電話機。
あぁ、ほんとうに、私は死ぬんだ。
…ひとり、きりで。
するとどこからか視線がきたような気がして、私は思わず振り返った。
そこには、茶色のクマの人形が置かれていた。
私はそれに見覚えなんてなかった。
私はもう一度受話器を取り、「すみません、机に置いてあったくまのぬいぐるみに見覚えがないんですが」と看護師さんに言った。
〈え、あぁ、それはね。えーと…夕凪さんが持ってきてくれたみたいよ〉
「えっ…?雲が?」
〈えぇ。名簿に彼の名前が載ってあるし、彼女にあげるぬいぐるみなんですが、持って行ってもいいですか?って言っていたわ〉
…彼女…。
「…あの、お礼を言ってもらうことって、できますか?」
〈んー…こっちも色々と今大変でね。あなたと同じくらいの年齢の子がね、もういつ死んでもおかしくない状態になってしまったから…。それに、舞桜ちゃんから言ったほうがいいと思うわ〉
きっと、これは看護師さんなりのウソだ。
なんとなくわかった私は、話をつづけた。
「…でも」
“でも、といや、を言う人は、逃げているだけ”
そよ風に乗ってきた言葉のように、ふんわりと耳に届いたその言葉。
誰も声かも、誰の言葉かも知らないけれど、私はとっさに口をつぐんだ。
「…そう、ですね。無茶言ってごめんなさい」
私はそう口にして、受話器を元に戻した。
…私が、直接伝えるんだ。
スマホを手に取って、通話アプリをタップする。
そして、名前欄から雲を見つけて、アイコンをタップした。
一コール、二コール。
もう一度コールが鳴った時に、ブツリと音がしたあと、〈…舞桜?〉と、私の大好きな、世界で一番好きな人の声が聞こえてきた。
「くも…」
てんぱっているわけではないけれど、言葉が出て来ない。
どうしようもなく、怖いと思ってしまうんだ。
〈どうした?なんかあった?肺いたくなったとか?〉
「ち、違うのっ。ごめん、忙しかったでしょう?き、切るね」
どうして。
伝えたいのに。ありがとうって。
伝えたいのに。大好きだって。
あと一言、付け加えられればいいのに。
言えない。
〈別に忙しくないよ〉
雲は平気な声でそう言った。
「…い、いいの。ただ…ただ」
ありがとうって、伝えたかっただけ。
雲は私がしゃべろうとしていることを察したように、じっと何も言わずに待ってくれた。
「…その…。えっと」
頭の中に浮かんだ言葉の数々が、一気に消えて。
「く、くまのぬいぐるみ…!ありがとう」
一生懸命に、そう伝えた。
すると、スマホの奥で、くすっと笑う声が聞こえたつかのま、
〈よかった。喜ぶかなと思って、UFキャッチャーで取ってきたんだ〉と返事してくれた。
「ほんとに…ありがとう。元気出た」
〈…うん〉
「それじゃ、切るね」
私はそう言って、雲の返事も聞かずに、電話を終了した。
そして再度、受話器を手に取って、「やっぱりさっきのお願い、取り消しで」とだけ伝えて、戻した。
…私はひとりなんかじゃない。
雲がいる。お母さんがいる。
応援してくれる人が、たくさんいる。
私の人生は、光っていた。
幸せだった…。
もう、悔いはない。
きっと、これでいい。
―12月25日。午後7時17分。水瀬舞桜、肺がんで死亡。
これほど人生で、ひとを愛おしいと思うことはあるだろうか。
私はきっと、もう死んでしまう。
いきたいと思っても、死にたくないと思っても、死んでしまう。
私はそうなんだ。そういう人間なんだ。
生まれてきてからずっと、そういう運命なんだ。
それなのに、なぜか私は辛いと思う。
それなのに、なぜか私は苦しいと思う。
不思議だ。
私はもう死ぬと、決まっているというのに。
それを知っているというのに。
私は、もう死んでしまうというのに。
私は辛いという感情を知った。
私は悲しいという感情を知った。
私は恋という感情を知った。
私は好きだという感情を知った。
私は、生きたいという感情を知った。
このままだと、消えたくない。死にたくない。生きたい。
そう思ってしまう。
あぁ、ほんとう、馬鹿だなぁ、私。
叶わぬ恋。
もう一生、貫かなきゃいけない一方通行の恋。
「…ありがと」
黒色のハンカチで涙を拭きながら、私はそういう。
「病院で洗って、返すよ。ナースさんにお願いしたら、多分洗えると思うから」
「別にいいけど。それやるよ」
「もったいないよ、上等な布なのに」
「別にいいじゃん。持っててよ」
「無理だよ。どうせ行き場を失うんだから」
私がそういうと、雲はハッと動きを止めた。
「…じゃあ、その代わり。洗って返すから、もう一回来てよ」
「…は?」
「返すから、もう一回来て。もう一回、私に会いに来て」
私は笑ってそう言った。
すると、雲も鼻で笑って、「わかった」と素直に答えてくれた。
「…久しぶりだね、こうやって話すの」
「え?あぁ…まぁ、そうかもな」
「雪、ひどくなってきてるでしょう。窓からのぞいたら、もう木にすごく積もってて。細い枝はおれてたよ」
「あー…まあ、そうかもな。俺はあんま最近外でねぇから知らねぇけど」
「そと、出てないの?勉強してるとか?」
「あー…いや。そういうわけじゃない。バイトしてんだよ。コンビニで」
「えっ?バイト?」
あまり雲からは聞かないワードが飛び出て、私は思わず聞きかえしてしまった。
「結構うちから近いとこでさ。あんまり雪とか見れてないっていうか、見てる暇ないっていうか」
「そう、なんだ。じゃあ…ごめんね。会いたいなんて送っちゃって」
「いいよ。もう帰りだったし」
ふん、とそっぽを向いた雲。
これは照れ隠しだと、私はちゃんと知っている。
「で、何してほしいんだよ」
「え?」
「俺を呼ぶってことは、なにかしてほしいんだろ。言ってみろ。やりたいこと」
やりたい、こと。
私の、やりたいこと…。
「……び」
「え?」
雲が聞き返してきた。
小さく来て聞こえずらかったと思う。
もう、私は一生見れないもの。
それでも、世界で一番きれいだと思ったもの。
それは…
「花火、見たい」
すぅ、と大きく息を吸って、息のようにそれを吐く。
「はぁ?」
「花火みたい。それ見れば、もうこの世に悔いはない」
「なにいってんだよ、おまえ。冬に花火なんて見られるわけねぇだろう」
「…」
そうだよね。
冬に見れるわけない。
私は、もう一生見ることはできない。
わかってるよ、そんなこと…。
「そうだよね、ごめ…」
謝ろうとしたとき、彼は「あ」と声を上げた。
「見れるぞ、花火。世界で一番、綺麗なもん」
「え…?」
「見せてやる。俺がお前に、世界の一番きれいなものを」
「…自分で、あるけるよ。そこまでしてもらわなくても」
冬の花火大会、当日。
車椅子を用意しくてくれたお母さんに向かって、そう吐き捨てる私。
「転んだらどうするの。結構肺、悪くなってるらしいじゃない。走ったりしたらダメですからね」
「わかってるよ。第一、花火で走ることはないでしょ」
私がそう答えると、「確かに、それもそうね」と笑うお母さん。の、すぐ横にはパーカー姿の雲。
「娘を、よろしくお願いします」
お母さんは雲に向き直って、そう深々と頭を下げる。
そこに雲は、「舞桜は、責任をもって俺が守ります」と答える雲。
あの日は、冬に花火が見られるなんて思ってもみなかったけれど、まさか本当に見ることができるなんて。
「…じゃあ、行ってきます」
病院を出る時、たくさんの看護師さんと、心配そうに手を振るお母さんを見て、私の胸は、チクリと痛んだ。
手術まで、残り五日。
もしかしたら、今日が雲と話せる最後の日になるかもしれない。
不安を募らせていると、雲が「リラックスしろ」と言われ、一気に現実に引き戻される。
「転んだらいけないから、俺の腕つかんどけ。離すなよ」
雲はさっと私に腕を寄せ、つかみやすいようにすそも垂らしてくれた。
「ありがと」
私がそう答えると、「おう」と小さく答えた雲。
あぁ、好きだなぁと、改めて思った…。
会場につくと、複数あるベンチには、もうたくさんのひとが座っていた。
私は車椅子だから、優先席にすんなりと座ることができて、雲もその横に座ってくれた。
「楽しみだね、花火!」
私がわくわくしながらそう答えると、「まぁ、そうだな」と雲からも弾んだ声が聞こえてくる。
「冬の花火なんて見たことない」
「俺も」
何度かそういう会話を交わしたあと、いきなり花火の一発目が打ちあがった。
ドーンと大きい音を鳴らしながら打ちあがった赤色の花火は、夏の時よりも、くっきりと鮮やかに見ることができた。
「…綺麗」
私がそう呟くと、横からも「綺麗だ…」という声が聞こえてきた。
ちらりと横を見ると、食い入るように花火を見る子供っぽい顔があって。
思わず笑ってしまった。
けれど、何秒か見ているうちに、だんだん子供っぽいが、格好いいに代わっていく。
頭の中にリピートされた、雲の言葉の数々が雲に重なって、どうしても格好よく見えてしまう。
「おまえ、ほかのやつに大丈夫とか言われても、笑顔で大丈夫とかしかいわねえじゃねえか。なら、嫌われてる俺が、おまえを救いに行く。それだけだよ」
「このちっせえあわの一つ一つに、世界の全部が映ってんだよ。俺も、舞桜も、公園も、空も。全部映ってる」
「おまえ、つらいって…死にたいって思うんだろ?なら俺が、世界の綺麗な部分をおまえにみせる」
「…舞桜は頑張ったよ。少なくとも、俺はそう思うけど」
「俺が認めてやる。おまえは俺を信じればいい。おまえは、俺を頼ればいいんだよ」
「当たり前だろ。忘れたことなんてねぇよ。今までも。この先も」
雲の言葉の数々が、何度も何度も頭にリピートされる。
あぁ、私、死ぬんだな。
この花火が咲く世界で、私は散っていくんだ。
大好きな人を、残して。
「……ねぇ雲」
嗚咽と共に漏らしたその言葉は、彼に聞こえるはずもない。
私の声は、花火と嗚咽で隠された。
それでも私は、何度も言う。叫ぶ。
「雲…。ねぇ雲」
返事して、というように、私は何度も彼の名前を呼んだ。
「大好き、だよ…」
一生伝わることのない、告白。
もしかしたら明日、私は目を開けることができないかもしれない。
手術の日を迎えるまでに、私は息を吸うことができなくなってしまうかもしれない。
…もう、雲の顔も、見れなくなるかもしれない。
それが怖くて、怖くてたまらない。
どうしようもなく、彼と過ごした日々は、彼と過ごした日常が頭から離れない。
ねぇ雲。
この夜が、ずっと明けなければいいのにね。
「綺麗だったね、花火」
「そうだな。夏の時より鮮やかに、くっきりと見えるっていうか」
雲がなんだか熱心にそういうので、ふふ、と私もつられて笑ってしまう。
「本当、雲って無邪気な子供っぽいところあるよね」
「あぁ?うるせぇよ。おまえだって嘘つきの子供のように思えるぜ」
「そ、それは身長が低いせいでしょ!私はちゃんと雲に尽くしてるもん」
私が言い返すと、「ほぉ?」と雲がうなる。
こうやって言い争いをするのも、こうやって笑いあうのも、あと何回できるんだろう。
病院近くまで来たとき、私は何かに引っ張られるように動きを止めた。
少し前を歩く雲が、振り向いて「どうした?」と声をかけてくる。
「…帰りたく、ない」
ぽろっと出た言葉は、涙と一緒に零れ落ちたように思えた私は、涙が落ちるたびに、ぽつりと言葉をこぼしてゆく。
「…死にたくない」
雲の表情は、真剣だった。
「…生きたい」
ついにとうとう、泣きじゃくった声をあげる私に、黙って近づいた雲。
「ねぇ…雲。逃げようよ…二人で居よう」
「…」
雲はゆっくりと私を抱きかかえたあと、まっすぐ病院の方向へ歩いていく。
「もどりたく、ない…!!生きたい…!!もっとたくさんのものを見て見たい、触れたい!」
それでも雲は、黙って歩いていく。
「ねぇ、雲…」
私がそう呼び掛けても、雲は黙って歩くだけ。
「……二人で居たいって思ったのは、私だけなの?」
私がそうこぼした瞬間、雲は私を立たせ、そしてものすごく強い力で抱き寄せた。
「…そんなわけねぇだろ!!!」
雲らしくもない、大きな声だった。
「俺だって、俺だってできることならそうしてやりたい!けど、おまえはそれじゃあ黙って死んでいくだけなんだよ!!」
ハッと目を見開くと、雲の瞳からは涙が零れ落ちていた。
「頼むから…これ以上俺を誘わないでくれ。病院に…帰ってくれ」
泣きそうな、子供の声だった。
…辛いのは、ずっと自分だけだと思っていた。
お母さんの声も、電話のときも、したくをしているときも明るかったし、きっとこれでいいと思っているんだろうと思った。
雲だって、いつも通りに接してくれて、私が死ぬという現実を、ちゃんと見ているように思えた。
けれど、違う。
みんな我慢していただけ。
私が表を見せすぎただけ…。
辛いと思ったのは、私だけじゃない…。
私は雲の涙が枯れるまで、雲をぎゅっと抱きしめた。
離れたくないこのぬくもりが、雲から剥がれ落ちないように。
やっとのことで雲の涙が枯れたとき、私は笑った。
「…もの…だよ」
「え…?」
上手く聞こえていなかったんだろうか。雲は顔が見えない私でも、首を傾げたことはわかる。
「…雲のせいだよ」
私は今度は、はっきりといった。
「雲のせいだよ。こう思ったのは、全部雲のせい。雲が…雲が世界の美しいところなんか見せるから。優しくするから…抱きしめるから、話を聞いてくれるから…!!」
ぽつりぽつりと話し始めた。
それでも私は、泣かない。
さっきたくさん泣いた分、今回は笑顔で話を続ける。
「…生きたいって、思うようになった。死にたくないって、もっと生きられたらって、死ぬのが、怖くなったの」
雲は黙って話を聞くだけ。
それでも私は、話を続ける。
「…好きだよ、雲。だいすき。だから…連れてってよ、病院」
私の声を合図に、むくりと体を起こした雲は、そのまま私を抱きかかえて、病院へ歩き出した。
きっとこれが、正しい選択。
このまま私は死んだとしても、最後はきっと幸せなはず。
怖くないといったら、きっとうそになるけれど。
それでも私の幸せは、丸ごと全部雲に上げたい。
そんな思いを胸に、私は、雲のたくましい腕を、そっと握った。
気が付くと、ベッドで運ばれていたはずの私は、元の部屋のベッドで眠っていたようだった。
そして横には、メッセージカードが添えられていて、〔ごめんね〕とだけ書かれていた。
…あぁ、私は死ぬんだな。
直感でそう思った。
今日は十二月二十四日。
ちょうどクリスマスの日。
もう夕方だから、手術をしたあとということはわかった。
そして、カードに書かれた文字を読んで、もう大体予想はついてしまった。
…手術は、失敗したんだ。
私はもう、一日もたたないうちに死ぬ。
なんだか肩の荷が、すぅっと降りたような気がした。
私は受話器を手に取って、ナースさんを呼ぶための番号を入力した。
〈はい。こちらナースの村田です〉
「あ…五百六号室の水瀬舞桜です」
私がそう名乗ると、〈あ、舞桜ちゃんね。どうしたの?〉という、柔らかい声が返ってきた。
「…えっと、面会通さないでほしいんです」
〈…え〉
奥から息をのむ声が聞こえた。
「お母さんも、雲も。通さないでほしいです。絶対」
〈で…でも。もう昨日ちらっと見た程度でしょう。あったらどう?〉
「いえ、いいんです。どうせ仏壇で顔見ますから」
私はそう言ったあと、受話器をもとの位置に戻した。
ガチャンと音がして、リセットされる電話機。
あぁ、ほんとうに、私は死ぬんだ。
…ひとり、きりで。
するとどこからか視線がきたような気がして、私は思わず振り返った。
そこには、茶色のクマの人形が置かれていた。
私はそれに見覚えなんてなかった。
私はもう一度受話器を取り、「すみません、机に置いてあったくまのぬいぐるみに見覚えがないんですが」と看護師さんに言った。
〈え、あぁ、それはね。えーと…夕凪さんが持ってきてくれたみたいよ〉
「えっ…?雲が?」
〈えぇ。名簿に彼の名前が載ってあるし、彼女にあげるぬいぐるみなんですが、持って行ってもいいですか?って言っていたわ〉
…彼女…。
「…あの、お礼を言ってもらうことって、できますか?」
〈んー…こっちも色々と今大変でね。あなたと同じくらいの年齢の子がね、もういつ死んでもおかしくない状態になってしまったから…。それに、舞桜ちゃんから言ったほうがいいと思うわ〉
きっと、これは看護師さんなりのウソだ。
なんとなくわかった私は、話をつづけた。
「…でも」
“でも、といや、を言う人は、逃げているだけ”
そよ風に乗ってきた言葉のように、ふんわりと耳に届いたその言葉。
誰も声かも、誰の言葉かも知らないけれど、私はとっさに口をつぐんだ。
「…そう、ですね。無茶言ってごめんなさい」
私はそう口にして、受話器を元に戻した。
…私が、直接伝えるんだ。
スマホを手に取って、通話アプリをタップする。
そして、名前欄から雲を見つけて、アイコンをタップした。
一コール、二コール。
もう一度コールが鳴った時に、ブツリと音がしたあと、〈…舞桜?〉と、私の大好きな、世界で一番好きな人の声が聞こえてきた。
「くも…」
てんぱっているわけではないけれど、言葉が出て来ない。
どうしようもなく、怖いと思ってしまうんだ。
〈どうした?なんかあった?肺いたくなったとか?〉
「ち、違うのっ。ごめん、忙しかったでしょう?き、切るね」
どうして。
伝えたいのに。ありがとうって。
伝えたいのに。大好きだって。
あと一言、付け加えられればいいのに。
言えない。
〈別に忙しくないよ〉
雲は平気な声でそう言った。
「…い、いいの。ただ…ただ」
ありがとうって、伝えたかっただけ。
雲は私がしゃべろうとしていることを察したように、じっと何も言わずに待ってくれた。
「…その…。えっと」
頭の中に浮かんだ言葉の数々が、一気に消えて。
「く、くまのぬいぐるみ…!ありがとう」
一生懸命に、そう伝えた。
すると、スマホの奥で、くすっと笑う声が聞こえたつかのま、
〈よかった。喜ぶかなと思って、UFキャッチャーで取ってきたんだ〉と返事してくれた。
「ほんとに…ありがとう。元気出た」
〈…うん〉
「それじゃ、切るね」
私はそう言って、雲の返事も聞かずに、電話を終了した。
そして再度、受話器を手に取って、「やっぱりさっきのお願い、取り消しで」とだけ伝えて、戻した。
…私はひとりなんかじゃない。
雲がいる。お母さんがいる。
応援してくれる人が、たくさんいる。
私の人生は、光っていた。
幸せだった…。
もう、悔いはない。
きっと、これでいい。
―12月25日。午後7時17分。水瀬舞桜、肺がんで死亡。