わたしの結婚〜異能の御曹司に見出され、愛されて〜

12、涙のしまい方

 びっくりした。

 どれほどか口を吸われ、離れた。

 柊理の目がわたしを見ていた。

 「何をする」

 「落ち着いたか?」

 突然の接吻で驚き、涙も止まった。確かに気分もやや変わったように思う。

 肌に現れた紋様の影響を恐れて、わたしに手を出さないのではなかったのか。

 「うつるのじゃないかと言っていたのは、そなたではないか」

 「これくらいいいだろ」

 「適当な男だの」

 まあ、いい。

 彼の胸をどんと突き、離れた。

 部屋を出ようとするわたしへ、彼が声をかける。

 「おちょぼに話すのか?」

 「そうだ」

 「明日でもよくないか?」

 「今話す。夜の方がよい」

 人目のある昼間より、夜なら一人で考える時間がたっぷり持てる。

 そのままおちょぼの部屋へ向かった。

 ふすま越しに声をかけると、返事があった。まだ起きていたようだ。中に入ると、二間続きの部屋の奥に布団が延べられて、おちょぼが身を起こしていた。

 枕元の明かりで本を読んでいたようだ。少女向けの小説が伏せて置かれてある。

 衣桁に掛かったワンピースは明日の支度だろう。彼女はすっかりお嬢さんだ。着物ばかりではなく、愛らしい洋服もいくつもあつらえた。

 勉強机が置かれ、小ぶりな書棚に本が揃う。舶来のぬいぐるみも並ぶ。

 「姉様、何のご用?」

 「…うん、ちょっとな」

 柊理に聞いたことをそのまま話した。親が見つかり、おちょぼを引き取りたいと求めていることだ。

 一瞬ぽかんとした表情を見せた彼女が、すぐの後でふわっと笑顔になった。

 「一緒に暮らせるの?」

 「うん…。嬉しいか?」

 「どうだろう…、わからない、けど…」

 けど、嬉しいのだ。

 わたしが寄り添ってきた五年超の日々は、おちょぼを売った親の「引き取りたい」に敵わない。ざっくり気持ちを切られるようにそれが突きつけられる。

 彼女が情が薄いのでも恩知らずなのでもない。親への思慕が子供の本能だ。物品でまわりを飾り立てても、差が埋まるものではない。

 柊理の言った通りだ。甘えられる親がいるなら、それが子供の最大の幸福だろう。

 「よかったな。詳しいことはまた柊理に聞く。明日話そう」

 「はい」

 それでわたしは部屋を出た。



 おちょぼとは邸で別れた。車に乗り親元へ向かう彼女へ、

 「元気でな」

 と言葉をかけたのが終わりになった。

 あっけない幕に、胸の中にぽかんと大きな穴が出来た気がした。

 『武器屋』時代は煩わしいことも多かった。自分も子供なのに、もっと幼い子供の面倒を押しつけられる。しかも金がかかる子供だ。習い事も衣装もすべてわたしの出費で、店への借金も増えた。ああ、これは遊郭を抜けるなど無理だ。と冷たく観念したのを思い出す。

 彼女を乗せた車が去った後を、長く眺めたままでいた。

 一緒に見送った柊理が、後ろからわたしを抱いた。

 「寂しいな」

 「わかりきったことを口にするな」

 おちょぼに作った服の多くを持たせてやった。親に買ってやる余裕はないだろうし、背が伸びて着られなくなれば、売ってもいい。暮らしの足しになる。

 親が『武器屋』におちょぼを売ってもらった金は、彼女の抱えた借金になったが、柊理が身請けしたことでそれも消えた。その身請け金を親に請求するべきところを彼はしなかった。

 「親に勝手にしたことだ。褒められたやり口じゃなかった。その詫び金だ」

 とあっさりしている。

 「そなたが遊郭の楼主なら、遊女も楽そうだの」

 「どうして? 環境は変わらんだろ」

 「ない者からむしり取るのが楼主だ。…身を売るのが嫌さに、髪をざんばらに切った女がいた。そなたならどうする?」

 「伸びるまで待つのか?」

 「待たない。『武器屋』の先代は、女を坊主に丸めて尼僧の格好で客を取らせた。好き者が大勢あふれ返った。そなたには無理だろう」

 「無理だ」

 「…そなたの言う通り、おちょぼはあれでよかった。親に甘えられるのだろう?」

 親の話を告げた時の彼女の頬が緩むような笑みは、胸を打った。五歳で別れた親の何を覚えているのか、と反発した気持ちもあった。でも、あの笑顔にわたしの感情は溶かされた。

 おちょぼは言わなかっただけで、小さな胸が痛むほど繰り返し親を思ったのだろう。愛された記憶を引っ張り出し、自分を慰めた日もあったはず。

 わたしだって、幼い頃の許婚の君を忘れ得ないでいる。目が合った自分のときめきさえも。甘やかな記憶は、宝だから。

 「そんな顔をするな」

 柊理が顔をのぞく。

 「…おちょぼの親になれなかった。青藍の制服を着せてやりたかった…」

 「我慢するな。泣いていい。姫には俺がついてる」

 その声が涙を呼んだ。心の水栓が抜けたように、涙が止まらなかった。彼なら感情をぶつけてもいい。何とかやり過ごしてくれる。

 別れの切なさに溺れながら、自分が今彼に甘えていると思った。
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