わたしの結婚〜異能の御曹司に見出され、愛されて〜
19、暗い夜
柊理は死ぬのか。
喉の奥からえ嗚咽の塊が込み上げてきた。それを無理に飲み込み、部屋を急がせた。
すでにお冴の延べた布団に、静かに彼が寝かされる。彼は帰宅して間もなく、上着を脱いだなりの姿だ。シャツにベスト、ネクタイまでしていた。いかにも寝苦しい。
「お着替えはわたしが…」
ネクタイを緩めるわたしへ、野島が言った。男を着替えさせるには、わたし一人では無理と思ったのだろう。
「そうか」
手を離した時、ごくゆっくりだが、柊理が起き上がった。
それを見て、わたしは彼の脚に額を押し当てた。胸の張っていた何かが崩れそうになった。
死なない。
柊理は死なない。
「心配させたな。…姫と二人にしてくれないか」
かすれた声で彼が告げた。野島がすかさず言う。
「お医者様をすぐにお呼びします」
「いや、いい」
「それでは、あまりにも」
お冴も涙声で言う。
「いいんだ。すぐにどうなるものでもない。頼む、好きにさせてくれ」
「柊理、悪かった。僕が怒らせて刺激したせいで、こんなことに…」
礼司の詫びを遮り、柊理は彼をにらんだ。
「帰ってくれ。お前の顔は見たくない」
と、か細い声でそれだけはきつく言い放った。二人に何があったのか。ともかく柊理の神経に障りそうで、礼司を部屋から出した。
「容体は知らせてほしい」
そう言う彼にうなずいて、野島に見送らせた。お冴には柊理の部屋が冷えるから、火鉢の火を用意させるよう命じた。
戻れば、彼は脚を投げ出して後ろ手をつき、ぐったりとした様子だ。
「どうした? 側にいるぞ」
お冴が支度した新しい浴衣もある。着替えを手伝おうと、シャツに手をかけた。ボタンを外す。そこで気づいた。第二ボタンを外してすぐにあの紋様が目についた。もどかしい思いで胸を露わにすると、以前見た螺旋の紋様が胸から腹部にまで伸びている。
彼が医者を呼ぶなと命じた理由がわかる。不調の原因は麒麟が痩せたための紋様のせいだ。
前にわたしが目にした時、大丈夫だと彼は言った。気にするなと、詮索を封じた。それが知らぬ間に、こんなにも柊理を蝕んでいる。
愕然とした。
ズボンを脱がせ、浴衣を羽織らせた。帯はわたしが急いで締めた。そこにお冴と共に女中が火鉢の火を運んできた。水差しとたらいもある。
主人の急病におろおろする女中に、
「うろたえるでないぞ。お冴に従え。いつも通りでよい」
と告げ、下がらせた。
たらいの水にふきんを浸し顔をふいてやった。血色は非常に悪い。紙のように白く感じる。
呼吸が浅い気がした。熱はない。逆に冷えているようだ。
「苦しくはないか?」
「胸に何か溜まっている感じがある。それに身体を乗っ取られて、自由が効きにくい」
「無理せずともよい」
「姫、俺に何かあったら…」
「黙れ。何かなどあるか」
遺言など聞きたくもない。柊理の手を取って握った。大きな不安が胸に渦巻いていた。何かを口にすれば、涙があふれて止まらないだろうと思った。それを衰弱した彼に見せるのは、どうしても嫌だった。
そして、泣くことは柊理の死を容認してしまうようで、怖かった。
互いに黙ったまま、時が過ぎた。まさか、このまま。もしやこれで。そんな恐怖に心が震え続けた。
瞳を閉じた彼の静かな寝息が聞こえ、肩や背に乗った重しがそっと緩んだ。しばらくつき合い、そっと手を外す。
静かに部屋を出た。
台所では使用人が溜まっていた。わたしが現れ、彼らの目がこちらを見る。
「旦那様のお加減はいかがでしょうか? 本当にお医者様は呼ばないでよろしいのでしょうか?」
代表して口を開いた野島に向かい、わたしははっきりとした声で告げた。
「そう柊理が言っておる。本人の望むようにさせたい。今後、わたしが側に付き添おうと思う。隣りに布団を延べてほしい」
「それで、わたしどもはどうすれば…」
これは台所の女だ。普段朗らかなおしゃべりが、勤め先の変化に不安がっている。
「普段通りに。何が変わったわけでもない。同じようにな。時間になれば休んでよい」
お冴の指示で女中が動いた。
部屋に戻ると柊理はこんこんと眠っていた。そういえば、わたしは彼の寝顔を知らないと思った。帯を解き襦袢だけになり、結った髪をほどいた。
女中が間を開けて敷いたわたしの布団を、柊理の方へ引っ張ってきた。ぴたりとつなげる。
布団に入り、彼に寄り添った。手に触れる。指はとてもひんやりとしていた。それが不吉で自分の手で包んだ。
柊理の指が少し温まる気がした。そして、微かに動く。
ああ、と思う。
誰よりも怖いのはわたしだ。
今、とても怖い。
柊理を失いそうで、怖い。
喉の奥からえ嗚咽の塊が込み上げてきた。それを無理に飲み込み、部屋を急がせた。
すでにお冴の延べた布団に、静かに彼が寝かされる。彼は帰宅して間もなく、上着を脱いだなりの姿だ。シャツにベスト、ネクタイまでしていた。いかにも寝苦しい。
「お着替えはわたしが…」
ネクタイを緩めるわたしへ、野島が言った。男を着替えさせるには、わたし一人では無理と思ったのだろう。
「そうか」
手を離した時、ごくゆっくりだが、柊理が起き上がった。
それを見て、わたしは彼の脚に額を押し当てた。胸の張っていた何かが崩れそうになった。
死なない。
柊理は死なない。
「心配させたな。…姫と二人にしてくれないか」
かすれた声で彼が告げた。野島がすかさず言う。
「お医者様をすぐにお呼びします」
「いや、いい」
「それでは、あまりにも」
お冴も涙声で言う。
「いいんだ。すぐにどうなるものでもない。頼む、好きにさせてくれ」
「柊理、悪かった。僕が怒らせて刺激したせいで、こんなことに…」
礼司の詫びを遮り、柊理は彼をにらんだ。
「帰ってくれ。お前の顔は見たくない」
と、か細い声でそれだけはきつく言い放った。二人に何があったのか。ともかく柊理の神経に障りそうで、礼司を部屋から出した。
「容体は知らせてほしい」
そう言う彼にうなずいて、野島に見送らせた。お冴には柊理の部屋が冷えるから、火鉢の火を用意させるよう命じた。
戻れば、彼は脚を投げ出して後ろ手をつき、ぐったりとした様子だ。
「どうした? 側にいるぞ」
お冴が支度した新しい浴衣もある。着替えを手伝おうと、シャツに手をかけた。ボタンを外す。そこで気づいた。第二ボタンを外してすぐにあの紋様が目についた。もどかしい思いで胸を露わにすると、以前見た螺旋の紋様が胸から腹部にまで伸びている。
彼が医者を呼ぶなと命じた理由がわかる。不調の原因は麒麟が痩せたための紋様のせいだ。
前にわたしが目にした時、大丈夫だと彼は言った。気にするなと、詮索を封じた。それが知らぬ間に、こんなにも柊理を蝕んでいる。
愕然とした。
ズボンを脱がせ、浴衣を羽織らせた。帯はわたしが急いで締めた。そこにお冴と共に女中が火鉢の火を運んできた。水差しとたらいもある。
主人の急病におろおろする女中に、
「うろたえるでないぞ。お冴に従え。いつも通りでよい」
と告げ、下がらせた。
たらいの水にふきんを浸し顔をふいてやった。血色は非常に悪い。紙のように白く感じる。
呼吸が浅い気がした。熱はない。逆に冷えているようだ。
「苦しくはないか?」
「胸に何か溜まっている感じがある。それに身体を乗っ取られて、自由が効きにくい」
「無理せずともよい」
「姫、俺に何かあったら…」
「黙れ。何かなどあるか」
遺言など聞きたくもない。柊理の手を取って握った。大きな不安が胸に渦巻いていた。何かを口にすれば、涙があふれて止まらないだろうと思った。それを衰弱した彼に見せるのは、どうしても嫌だった。
そして、泣くことは柊理の死を容認してしまうようで、怖かった。
互いに黙ったまま、時が過ぎた。まさか、このまま。もしやこれで。そんな恐怖に心が震え続けた。
瞳を閉じた彼の静かな寝息が聞こえ、肩や背に乗った重しがそっと緩んだ。しばらくつき合い、そっと手を外す。
静かに部屋を出た。
台所では使用人が溜まっていた。わたしが現れ、彼らの目がこちらを見る。
「旦那様のお加減はいかがでしょうか? 本当にお医者様は呼ばないでよろしいのでしょうか?」
代表して口を開いた野島に向かい、わたしははっきりとした声で告げた。
「そう柊理が言っておる。本人の望むようにさせたい。今後、わたしが側に付き添おうと思う。隣りに布団を延べてほしい」
「それで、わたしどもはどうすれば…」
これは台所の女だ。普段朗らかなおしゃべりが、勤め先の変化に不安がっている。
「普段通りに。何が変わったわけでもない。同じようにな。時間になれば休んでよい」
お冴の指示で女中が動いた。
部屋に戻ると柊理はこんこんと眠っていた。そういえば、わたしは彼の寝顔を知らないと思った。帯を解き襦袢だけになり、結った髪をほどいた。
女中が間を開けて敷いたわたしの布団を、柊理の方へ引っ張ってきた。ぴたりとつなげる。
布団に入り、彼に寄り添った。手に触れる。指はとてもひんやりとしていた。それが不吉で自分の手で包んだ。
柊理の指が少し温まる気がした。そして、微かに動く。
ああ、と思う。
誰よりも怖いのはわたしだ。
今、とても怖い。
柊理を失いそうで、怖い。