わたしの結婚〜異能の御曹司に見出され、愛されて〜

23、柊理と麒麟

 柊理の療養が終わったのは、年も明けた二月に入ってことだ。

 それでも当分は帝都を離れる出張は控えさせ、無理のないようにと念を押した。

 礼司の個展の興奮も冷め、人々の関心はすぐに次へと移って行く。柊理はまだ頑なな態度を崩しておらず、礼司も参っているようだ。わたしに彼との仲裁を頼まれた。

 「帰蝶さんの言葉なら柊理も耳を貸すよ。頼む。柊理には嫌われていたくないんだ」

 「嫌われるようなことをしたから、避けられるのだろう」

 誰も見向きもしない頃から、柊理は礼司の絵を破格の値で買ってやってきた。彼が世を拗ねて腐らないための友情のみの行為だ。それを、背に腹は代えられぬと、あっさり裏切った。しかも、柊理が一番嫌うやり方で。

 柊理の憤りは至極もっともで、わたしも相手が礼司でなければ、そんな人間は縁を切るべきだと強く思う。

 「真に詫びる気持ちならば、誠意を見せるべきだ。安易にわたしに頼るのではなく」

 「誠意って、例えば?」

 「頭を丸めて山門にでも入れば、ちょっとは見直すのではないか?」

 「冬に寺はな」

 「本当に出家しろと言っているのではない。それほどの覚悟を見せろ、と言うことだ」

 わたしたちのやり取りを、花がくすくすと笑いながら聞いている。彼女はカフェの女給を辞め、子を産むことに専心している。礼司のアトリエで会っていた時より明るく、愛らしい女に見えた。

 わたしが今日来たのは、礼司に誘われてだ。

 ここは、礼司が出産を控える彼女とその子のために用意した家だ。小ぎれいな平屋で庭もある。女中を一人置いて、花が暮らしていた。絵を売った費用はここを買う資金の他、今後の生活養育費に充てるつもりのようだ。

 花との関係や二人の間に子供ができたことは、両親や姉の香子、義兄にはまだ秘密だ。生まれてくる子の認知の意思はあるようで、そうなれば、いずれ家族には知られてしまう。彼にはいい縁談が引も切らずの今、大きな騒ぎになるだろう。

 その時に備え、一人でも味方を増やしたくての招待の意味もあると思った。

 礼司は時折ここに来て、様子を見ているという。

 「お前、菓子を買ってあるのだろう。さっさと用意しろ」

 礼司が部屋の隅いる彼女へ言う。

 「あ、はい。すぐに」

 「気が利かないな」

 「ごめんなさい」

 まだ腹も目立たない花はすぐに立ち上がった。彼女に接待の気持ちがないのではなく、頃合いを測っていたのだ。なのに、言い訳もしない。目をやるとしつけられた素養もあり、挙措がきれいだ。

 礼司の花への言葉はきついが、尾を引くものではなく、直接そのまま気持ちをぶつけているようだ。それを彼女は当たり前に受けて、流す。

 以前、礼司がわたしや姉の香子をわがままだと言ったことがあった。それに柊理や有明の君が言いなりになっていると。

 きっとわたしたちのような譲らない女は趣味ではないのだ。礼司は彼の意を汲んでそれに沿って動いてくれる優しい女が向くのだろう。

 二人は彼らなりの関係を築いている。世間はどう評価するのか知らないが、歪なようで完成した形であるようにも思えた。

 ちょうどわたしと柊理のように。


 「絵を外さないのか?」

 帰宅した柊理にたずねた。邸には礼司の絵が多い。彼とのつき合いを絶った今も、柊理はそれらには無頓着だった。目にするたびに礼司の裏切りを思い出すことになり、不快でないのか。

 「気づかなかった」

 「まあ凡庸な絵だからの」

 食事の後で花の家に行ったことを伝えた。家の様子や二人の雰囲気を話す。柊理は聞いているのか、無言でタバコをくわえて、マッチの代わりにまた火鉢の炭に顔を近づけて火をつけた。

 「花はどんな女だ?」

 「わたのような女だ」

 「わた?」

 「礼司のそのままをそっくり吸い取ってやっているようだ」

 「上手くやっているんならいいじゃないか」

 「そなたに絶交されたままなのが堪えているようだぞ。仲を取り持ってほしいと頼まれたから、頭を剃って山門にでも入ればどうかと勧めておいた」

 「あいつは何て?」

 「冬に寺に入るのは気が向かないそうだ」

 そこで柊理が笑った。

 「あいつはいいな」

 「何がいいのだ?」

 「何をしたって、女にモテる。姫だって、結局はあいつの肩を持ってやっているじゃないか。俺に折れてやれという顔をしている」

 礼司は、生まれてくる子のための彼なりの最善を考えたのではないか。

 「折れてやるのだろう?」

 「ほら、俺が悪者みたいになる」

 柊理が拗ねた声を出すからおかしい。子供の喧嘩のようだ。この頃には、ほぼ身体も前に戻っていて、元気なその様子がしみじみとうれしい。


 風呂上がりで部屋への戻り道、窓ガラス越しに庭に降る雪が見えた。ちらちらと降るさまに見惚れて、肩が冷えた。

 布団の延べられた部屋で、洗い髪をよくふいた。

 しばらくして声がかかる。柊理だ。

 部屋に入ってきた彼が、わたしを見て目を逸らす。

 「雪が降っている」

 「そうだの」

 彼がわたしの前に腰を下ろし、手の何かをわたしへ差し出した。

 「これを」

 それは銀の指輪で、ガラスのような石が中央に輝いていた。指を取られ、左手の薬指にはめられた。香子や華族の夫人には、指にこれをつけているものが多かった。

 「すまん、用意するのが遅れた。結婚指輪だ。普通、結婚と同時に男が贈るものなんだ」

 いつも着けていてほしいと言う。

 「これで殴ると痛そうだの」

 「誰を殴るんだ」

 柊理は笑う。

 「ありがとう。美しいものだな」

 ランプの光を受けてきらりと光る石のせいで、自分の指ではないみたいだ。見入っていると、その手を引かれて抱きすくめられる。

 すぐに口づけられた。深まった後で、

 「姫の白い肌が頭から離れない。身体ごと妻になってほしい」

 と、熱っぽい声で言う。瀕死の柊理の前で素肌になったあの時のことだ。羞恥など微塵もなく、ただ必死でいただけだった。

 今彼がわたしに望むことはわかっていた。そして、応えたいとわたしも思う。

 「…脱げばよいのか?」

 浴衣の帯に手をやった。

 「それは俺にさせてくれ」

 再び接吻を受けた。ゆっくりと布団に倒される。彼の手がわたしの帯を解いた。合わせ目が開き、肌が露わになる。凝視するような強い視線を受けた。

 彼の紺を思わせる瞳に会って、強い羞恥に思わず身をよじらせた。それを彼が許さず、両の手首を押さえつけた。

 「逃げないでくれ」

 「逃げていない。そなたがあんまり見るから…」

 「見惚れているんだ」

 その低い声に力が抜けた。

 目を閉じた。

 行為の折々、肌をざらりとした感触が走る。以前、彼の胸に現れた紋様に乳房が触れた時と同じ。大きな舌、もしくは大きな手でなでられるような心地がした。

 そのたび、麒麟が側にいるのを感じた。

 わたしは柊理と麒麟に抱かれている。
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