わたしの結婚〜異能の御曹司に見出され、愛されて〜

32、日々の模様

 おちょぼが学校に通い出して、しばらくだ。有明の君の妻の香子が邸にやって来た。おちょぼへリボンのかかった贈りものをくれた。

 女学校の推薦の礼を改めて言い、おちょぼにも自分から感謝を述べさせた。

 「ちょっとお目にかからない間に、お背も伸びたかしら? 可愛いお姉さんにおなりね」

 挨拶の後で宿題をしに、彼女は下がった。わからないとべそをかき、夕食の後で柊理に勉強をよく見てもらっている。

 「勉強は難しいようですけど、やっぱり学校は楽しいみたいで」

 「お勉強はいいのよ。青藍はお習字とお裁縫、あとは音楽を一つ得意にしておけば、優がもらえるという話よ」

 成績表に「優」があると、お見合いなどに有利だという。まだ十一歳のおちょぼには早い話だ。初等部を終えた高等部からは、教室に息子の嫁候補を探す観覧人が来て、女学生を物色し始めるのだとか。

 香子はふとわたしをじっと見つめた。その間の後で、

 「帰蝶さん、わたしに隠しごとがないかしら?」

 少し硬い声で言う。

 香子に対しての秘密は、大きいものが二つある。花魁の過去を持つことと、礼司が女を妊娠させたことだ。わたしが目を逸らさず見返すと、彼女はほろりと涙をこぼした。

 「礼司の女性のこと…、あなたご存知だったでしょう?」

 花の腹も目立ち始めた。とうとう礼司が打ち明けたのか。

 親しく会う機会も多かったのに、そんな重大事を隠されていたとなれば、香子も腹立たしいのはよく理解できる。

 「いいご縁のお話があって、進んでいたの。先様が念のためにと、礼司の身辺を調査されたのよ。そうしたら、あの子が女性を囲っているというではないの。しかもその人は妊娠していて…」

 香子は声を震わせた。涙をハンカチで抑えている。

 わたしはその彼女の前に頭を下げた。椅子から下り、床に手をついて土下座をした。香子はこれまで、わたしに優しくて親切だった。社交界に不慣れなわたしを上手に導いてくれた人だ。礼司の肩を持ったことで、彼女を裏切っていたのは否めない。

 「嫌だ、帰蝶さん。止めて。そんなことをしてほしいのじゃないの」

 香子が土下座するわたしを慌てて止めた。自分も椅子から下り、わたしの手を取った。

 「礼司が頼んだのでしょう? わかるの。あなたたち仲がよいから。意地悪ではないってわかるのよ」

 「でも、申し訳ありません。隠されていて、面白いわけがない」

 「とにかく、帰蝶さんにそうそうされたら、話ができないわ。座ってちょうだい」

 確かにそうだ。わたしの態度は彼女の口を封じることになる。ある意味卑怯かもしれない。もう一度深く頭を下げてから、椅子に戻った。

 「縁談はもちろん白紙に戻った。両親は怒るし、落胆するし…。大変だったの。夫も珍しく礼司を責めたわ」

 「それで、礼司さんは?」

 「あの子は…、図々しいのか太々しいのか。露見したことで、すっかり居直っているの。見ていて腹が立つわ。せっかくのいいご縁を自分から壊しておいて、飄々としているの」

 家族にとっての「いいご縁」で、礼司にとってはそうではないのだ。周囲の憤りもどこ吹く風。あっけらかんとしているその様が、すぐ浮かぶ。

 「結婚前に別宅を持って、子供までいるとなれば、もういいお話は来ないわ」

 柊理がいつか言っていた。礼司は華族の跡継ぎで、妻は名家の令嬢でなければならない。花では無理なのだ、と。花は本来旧旗本の娘で出自はいい。しかし、カフェの女給の過去が足を引っ張る。控えめ過ぎて優柔な様子はあるが、我がままな礼司には合うようだ。

 「礼司さんに尽くして優しい女です」

 「そういう人を見つけて、言いなりにさせたのよ。いい関係に思えないわ。どちらにとっても。礼司は現状維持なだけで、何も考えていないの。無責任よ」

 さすが姉で、甘いだけかと思ったが弟をよく見ている。

 香子はわたしに文句を言いたかっただけのようだ。他に身内の恥を言うあてもないだろうし。

 時々怒り、ため息をつく。「将来を捨てたのよ」と涙を見せて、あきれて首を振った。たっぷり不満を吐いてから帰って行った。


 自宅にいづらいのか、礼司が邸に泊まり込むようになった。

 人物画の次は風景画に気が向くのか、邸内をスケッチして歩いている。おちょぼの制服姿も描いて渡してやっている。

 絵を描いてもらうなど始めての経験だ。おちょぼは目をきらきらさせて喜んだ。

 予定より一月ほど早いが、花が出産した。ちょうど柊理と将棋を指している時で、連絡がきて出かけて行った。

 わたしも祝いに行ったが、丈夫な女の子で、産後の花も調子がいいようだった。名前は結衣に決まった。花との約束事らしく、礼司は結衣を自分の子と認知して届け出た。

 当然ながら、両親と香子たちからの祝いはない。立場上黙殺という形だ。

 妊娠した女が出産し、子が生まれるところまでをわたしは遠くない位置で見た。自分にも近い未来訪れるはずの出来事だ。柊理はどうなのだろう。子供を急くようなことは、何も口にしない。

 ふと、二人の時にたずねてみた。彼は布団にうつ伏せに寝て、タバコをくわえていた。側の行灯が朱塗りに金箔の華やかなもので、そうしていると、遊郭の客のように見えた。

 「出来たらそれで嬉しいだろうが…。あんまり考えたことがない。姫は礼司を見て羨ましくなったのか?」

 「いや。今のところ、おちょぼ一人で寂しくもない」

 彼が身体をひねり、わたしの腰を引いた。布団の脇で髪を束ねていたわたしは、それで彼の腕に倒れ込んだ。

 口づけて、ゆっくりわたし組み敷いた。

 「柊理」

 「何だ?」

 「そなた、どうしていつもわたしの布団にもぐり込んでくる?」

 「姫が寝室を分けたいと言うからだろ」

 「夫婦で寝間が同じというのは好かぬ」

 「ほら、な」

 「そうではなくて、主人が妻を呼ぶものではないのか?」

 「ここが好きなんだ。女の部屋という感じで、艶っぽい。そこに姫がいる。何も要らなくなる」

 「遊郭に居続け(連泊)の客ではないか」

 「いいじゃないか。そもそもの出会いが、『武器屋』だ。それ以来、姫にのぼせっぱなしだ」

 「そうか」

 肌に彼の唇を感じて目を閉じた。
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