わたしの結婚〜異能の御曹司に見出され、愛されて〜

35、紙風船

 礼司との縁談をおちょぼに話した。学校帰りで、おやつのカステラを食べている時だ。

 口をもぐもぐさせ、わたしをじっと見た。

 意味がわかっていないのかと、繰り返す。

 「礼司とそなたの縁談だ。どう思う?」

 「礼司兄様とわたし?」

 「すぐにではない。そなたが女学校を出てからでよいそうだ」

 「ふうん」

 先日礼司が実際に言った言葉を伝えた。おちょぼがちょっとでも嫌がったら話を白紙にしてほしい、と。

 「小さいのに可哀そうだからと、の」

 そこでおちょぼが恥ずかしそうに下を向いた。首を振る。

 「嫌か。そうだの、礼司は年が上過ぎる。しょうがない。そのように伝えよう」

 「わたしはもう小さくない」

 「え」

 「結衣ちゃんのお世話もできる。子供じゃないもの」

 「おちょぼ」

 頬を染めるおちょぼを前に、言葉に詰まってしまった。わたしや柊理に気を使っての答えではない。

 礼司が好きなのか。

 「そなたも知っているように、結衣は礼司の子供だ。あやつは品行方正ではない。面がよく絵も上手いが、他に取り柄はないぞ。金もない」

 「でも柊理小父様のお友達でしょう。悪いお人ではないと思う」

 「先方に伝えてもよいのか? おちょぼの返事で婚約が決まるのだ。ゆっくり考えてもよいぞ」

 「ううん。迷ったりしたら、礼司兄様が嫌な思いをなさるから」

 こくりとうなずく。

 おちょぼの答えは柊理から有明の君に伝わり、香子に伝わった。すぐに彼女の両親にも届き、日を置いて礼司に伝わった。

 わたしが強く求めた条件の「婚約期間中、礼司に著しい不祥事があれば、一方的に婚約を解消できる」をのんでもらうことで、内々の婚約は整った。

 双方が納得しているのなら、わたしにも不満はなかった。結婚では互いの家同士のつき合いが濃くなる。今回の場合、そのどちらもが祝福する中で結ばれる。おちょぼにとって大きな幸せなのは違いない。



 邸の庭から人声がする。そういえば、昨日野島が植木屋が入ると告げていた。

 開け放した縁側から、庭木の剪定や手入れの様子が見えた。そろいの紺のはっぴの背に『花政』と屋号が染め抜かれている。

 彼らが作業を終える頃、学校帰りのおちょぼが、友人らと庭で紙風船を投げて遊び始めた。

 お冴がおやつを用意したと少女らに声をかけた。

 「お座敷にご用意しましたから。お上がりなさいませ」

 「はーい」

 おちょぼが誘い、少女らが遊びを切り上げてきた。明日の運動会の話をしながら、歩いて行く。

 女中が庭の職人たちへも茶を出した。礼を言い、彼らが休憩を取る。

 庭を見に行くと、彼らがわたしへ頭を下げた。

 「よい。楽に」

 「へい」

 親方らしい男が他の者に合図した。彼らが休む中、さっぱりとした木々の梢を眺めた。庭も広く樹木も多い。親方は職人を十人連れているが、ほぼ仕上がっているようだ。少女の頃の邸の庭の手入れを覚えているが、ひどく時間が掛かった。あれは費用の関係で間延びしていたのだろう。

 「仕事が早いの」

 声をかけると、親方がタバコの手を止め答えた。

 「ありがとうございます。若いが腕のいい者が一人おりまして、仕切ってくれております。当世風の段取りだそうで」

 「そうか」

 植木屋が帰り、少女らも帰った。庭木の一つに、彼女らが遊んだ紙風船が引っかかっているのが見えた。
 日暮前には、柊理が帰宅した。

 彼が、川辺公爵が帝都を引き払うと知らせた。落首事件以後失脚し、謹慎を続けていたが、近々遠方へ転居するという。

 「転地療養がその理由で、引退のお許しが下ったらしい。権力があるうちは見えなかったが、かなりの借財があって、返済も迫られているとか。それから逃れるためもあるようだ。助ける人もいない。もう復活は無理だ」

 「さんざんだの」

 夕食の席で礼司の就職の話が出た。おちょぼとの婚約前に持ち上がっていたものが本格化したという。

 「新設する大学の美術科の教員だ。非常勤で自由も効くから、あいつにぴったりだろ。有明の君が推挙したのもあったが、去年の水彩画の実績が決め手らしい。実力だ」

 「おちょぼ、そなたの婿君は偉いの」

 おちょぼは恥ずかしげに顔を背けた。


 翌朝、言い合うような声に目が覚めた。

 肩に回った柊理の腕をそっと解き、身を起こした。日の早い季節で、もう辺りが明るくなっている。浴衣にもう一枚羽織り、寝間から出た。廊下の奥で早出の女中らが話すのが聞こえた。急ぎ足で向かう。

 わたしの気配に話し声が止んだ。怯えたような表情が気になる。

 「何があった?」

 「はい、日を入れるために縁の雨戸を開けて気づいたんです…」

 話した女中が半ば開いた広座敷の奥を指差す。日が入り切らず、部屋の中は暗い。ふすまに手を掛けて引く。するりと開いたふすまに、日の光が差し込んだ。

 「これがどうしたのだ?」

 「あれを、奥方様…」

 女中が指差す先を見る。そこは広座敷の壁で、新たな額装を施した礼司の水彩画が掛けられている。

 「…絵が!」

 声に、改めて壁を見る。立派な額の中にあるはずの水彩画が消えていた。信じがたい思いで部屋に入る。額に近づくまでもなく、絵がないのは明らかになった。代わりに、額に白い紙片が貼り付いてあった。


 『霧雨 参上』。


 「『怪盗霧雨』の仕業だわ。お邸に盗みに入ったのよ」

 「奥様の絵を盗みに来たのだわ」

 「旦那様があの絵をお持ちなのは有名ですもの」

 恐々、しかし興奮した声が騒がしい。

 「騒ぐでない」

 そこへ、声に起き出したらしい柊理が現れた。髪をかき上げながら、部屋に入ってくる。何事かと問う前に、消えた絵と額縁の『霧雨 参上』の紙片が目に入ったようだ。

 しばしの絶句の後で、

 「他に被害がないか、調べてくれ」

 と、指示を出す。

 女中らが散って行った。その時、くるぶしがくすぐられた。起きた風のせいかと目をやると、畳に転がるのは、紙風船だった。思いがけないものが目の前に現れた奇妙さに、胸がどきりと鳴る。

 どうしてこここに? 

 昨日、おちょぼらが庭でこれで遊んでいた。それが、のち木の上に引っかかっているのをわたしは見ている。

 なぜ、ここに?

 まるで誰かの置き土産のように感じ、何となく拾い上げた。昨日の植木屋の言葉がふと思い出される。「段取り」と言っていた。

 まさか。

 胸がくすぐられるように騒いだ。

 肩を抱かれた。柊理だ。それで鮮やかな今に引き戻される。

 「怖いのか?」

 「え」

 「思いつめた顔をしている」

 「そうか…?」

 「大丈夫だ、俺がいる」

 「うん」

 抱き寄せられて、手の風船が落ちた。

 「礼司の絵が怪盗霧雨に盗られた。これが表沙汰になれば絵の価値はうなぎのぼりだ。おちょぼとの縁談で我が家とも縁付いた。あいつはついている」

 わたしをなだめるためか、柊理は寝起きの割にちょっと饒舌だ。

 「麒麟憑きのそなたの近くにいるご利益かの」

 いつまでも寝衣のままではいられない。この日はおちょぼの女学校で、運動会が開かれる日だ。弁当を持って父兄が観覧に行くのお決まりだ。柊理にも伝えてある。

 「今日は青藍女学院の運動会だ。そなた来られるな?」

 「大丈夫だ。昼前には抜けて来る」

 寝室に戻り、着替えながら、弁当には甘い卵焼きを用意させねば、と考える。髪の具合を確かめてから、部屋を出た。おちょぼの部屋のふすま越しに声を掛けた。

 「早く起きねば、また遅刻するぞ。おちょぼ」

 「うん…、わかってる」

 眠そうな声が返ってくる。

 開いた縁から明るい朝の庭が目に入った。広座敷から風に追われて、紙風船が地面に落ちていた。




                        終
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