わたしの結婚〜異能の御曹司に見出され、愛されて〜
5、柊理
高司家の邸は元大名の中屋敷跡に建っていた。
新築ではなく、大名屋敷を改築修復して利用している。武家屋敷はどこも似たような造りだ。足を踏み入れるだけで育った霧林の家を思い出させた。
使用人が大勢いる。男は主に柊理のように洋装だ。
家令の壮年の男に、柊理はわたしを紹介した。
「野島という。家のことは彼が詳しい。何かあれば何でも言ってくれ」
「わかった。帰蝶だ。よしなに」
「先代様の主筋の姫様というのはまことにこざいますな」
頭を戻した後で、野島は柊理に言った。
「俺より大名邸が似合うよ」
「ははは」
仲がいいようだ。二人は古いつき合いなのだろう。
中を見せながら、彼はわたしを奥向きの女に合わせた。白髪をきれいに結った老人で、邸の生活面を取り仕切る者だという。
「冴婆さんだ。長く親父に付いている」
恭しく頭を下げながらも、態度が冷ややかだ。わたしへの警戒心を感じた。若主人が連れてきた遊郭上がりの花魁だ。色眼鏡で見られてもしょうがない。
「何と呼べば?」
「何とでもお好きに」
霧林の邸には、似たような頃合いの台所の女がいた。わたしが顔を出すと、ないなりにおやつを用意して食べさせてくれた。おふうと呼んでいた。あの女はどうしているだろう。
「では、お冴と呼ぶ。よいな?」
「はい」
柊理は養子だ。亡くなったおじい様の他家族はいない。わたしはおじい様から息子がいるとは耳にしていたが、他の家族のことは聞いたことがなかった。遊里では現実的な話を嫌がる人も多い。
庭を歩きながら、柊理が話した。
「妻のような人はいた。俺を育ててくれたのは、その人だ」
「お冴か?」
「冴婆じゃない。俺が小学校を出る頃に胸の病で亡くなった」
「麒麟を育てて…」
そこまで言って口ごもった。『武器屋』で強くたしなめられたのを思い出したからだ。麒麟の話は彼がするまでしない約束だった。
「ここならいい。誰も聞いていない。姫が言いたいのは、麒麟を持つ俺の側にいて、何で病むのか、だな?」
「それだ」
「その辺から親父も色の翳りを気にし出した。俺は信じちゃいなかった。だが、結局親父も倒れて…。麒麟が痩せてきているのは本当のようだ」
「おじい様は大酒飲みでいらした。病はそのせいでは?」
「普通の死に方じゃなかった。決まって紋様が現れるんだ。あんたには言いたくないが、気味のいいものじゃない」
その言葉から、彼の母親格だった人もその亡くなり方をしたのだと想像できた。大きな幸運と引き換えた宿命と呪いのようにも感じる。
「まあそれはいい」
柊理は話の向きを変えた。わたしたちの結婚のことだ。おじい様の喪の内で、披露などは控えたいと言った。
否やはない。
「籍だけ入れる。内実があればいいだろ」
その日のうちに、彼が呼んだ弁護士によってわたしたちは夫婦になった。
柊理が連れて来たのは、帝都の一等地に建つ大きな百貨店だ。
陳列棚の商品が美しく並び、大勢の客が好き勝手に店内を歩き回って品定めしている。誰も靴を脱がないのが驚きだった。
「客の靴を預かるのは大きな手間だ。脱ぐ方も面倒だろ」
「床が汚れないのか?」
「畳と違って水で流せる。ずっと清潔だ」
建物の内部に噴水まである。
百貨店で柊理はわたしに洋服をいくつもあつらえてくれた。試着用のスカートをはくと、脚が何とも頼りない。女店員に、
「これでは中がのぞかれるのでは?」
と思わず質問してしまった。それ用の下着もあり安心だと笑って返される。おかしなことを聞いたのかと首を傾げた。採寸したそれは、後日邸に届くという。
店の者を邸に呼べば用が済むところを、足を運んだのはわたしに百貨店の光景を見せたいためのようだ。確かに、わたしの目には外のすべてが新鮮で刺激がある。
柊理がわたしが欲しがった大きな舶来のクマを抱えている。小さいのもおちょぼに買った。
「他にはないか?」
首を振る。夢のような場所だと思った。きらきらと照明が輝き、珍しいあらゆるものがそろう。眺めているだけで別世界にいるようだ。
つくづく遊郭を旧びた環境に感じる。わたしは、こんな場がそんなに遠くない同じ帝都にあるとも知らずにいた。
潮目が変わり、京の都におられた天子様が東の江戸に都を移された。徳川の江戸城は天子様の宮殿に様変わりしている。
「ここは天子様の持ちものか?」
都の華やかな豪華なもの、美しいものは天子様の所有なのだろうと単純に考えた。
百貨店の前に高司の黒塗りの自動車が停められている。柊理の姿に気づいた運転手が、素早く彼からクマのぬいぐるみを受け取った。
「見てみろ」
手の空いた彼が、わたしに建物の基礎部分を指し示した。目をやると、平らな石が埋め込まれていて、定礎と刻まれている。竣工の年数の他、所有者としておじい様の名があった。
つまりは、柊理のものだ。
新築ではなく、大名屋敷を改築修復して利用している。武家屋敷はどこも似たような造りだ。足を踏み入れるだけで育った霧林の家を思い出させた。
使用人が大勢いる。男は主に柊理のように洋装だ。
家令の壮年の男に、柊理はわたしを紹介した。
「野島という。家のことは彼が詳しい。何かあれば何でも言ってくれ」
「わかった。帰蝶だ。よしなに」
「先代様の主筋の姫様というのはまことにこざいますな」
頭を戻した後で、野島は柊理に言った。
「俺より大名邸が似合うよ」
「ははは」
仲がいいようだ。二人は古いつき合いなのだろう。
中を見せながら、彼はわたしを奥向きの女に合わせた。白髪をきれいに結った老人で、邸の生活面を取り仕切る者だという。
「冴婆さんだ。長く親父に付いている」
恭しく頭を下げながらも、態度が冷ややかだ。わたしへの警戒心を感じた。若主人が連れてきた遊郭上がりの花魁だ。色眼鏡で見られてもしょうがない。
「何と呼べば?」
「何とでもお好きに」
霧林の邸には、似たような頃合いの台所の女がいた。わたしが顔を出すと、ないなりにおやつを用意して食べさせてくれた。おふうと呼んでいた。あの女はどうしているだろう。
「では、お冴と呼ぶ。よいな?」
「はい」
柊理は養子だ。亡くなったおじい様の他家族はいない。わたしはおじい様から息子がいるとは耳にしていたが、他の家族のことは聞いたことがなかった。遊里では現実的な話を嫌がる人も多い。
庭を歩きながら、柊理が話した。
「妻のような人はいた。俺を育ててくれたのは、その人だ」
「お冴か?」
「冴婆じゃない。俺が小学校を出る頃に胸の病で亡くなった」
「麒麟を育てて…」
そこまで言って口ごもった。『武器屋』で強くたしなめられたのを思い出したからだ。麒麟の話は彼がするまでしない約束だった。
「ここならいい。誰も聞いていない。姫が言いたいのは、麒麟を持つ俺の側にいて、何で病むのか、だな?」
「それだ」
「その辺から親父も色の翳りを気にし出した。俺は信じちゃいなかった。だが、結局親父も倒れて…。麒麟が痩せてきているのは本当のようだ」
「おじい様は大酒飲みでいらした。病はそのせいでは?」
「普通の死に方じゃなかった。決まって紋様が現れるんだ。あんたには言いたくないが、気味のいいものじゃない」
その言葉から、彼の母親格だった人もその亡くなり方をしたのだと想像できた。大きな幸運と引き換えた宿命と呪いのようにも感じる。
「まあそれはいい」
柊理は話の向きを変えた。わたしたちの結婚のことだ。おじい様の喪の内で、披露などは控えたいと言った。
否やはない。
「籍だけ入れる。内実があればいいだろ」
その日のうちに、彼が呼んだ弁護士によってわたしたちは夫婦になった。
柊理が連れて来たのは、帝都の一等地に建つ大きな百貨店だ。
陳列棚の商品が美しく並び、大勢の客が好き勝手に店内を歩き回って品定めしている。誰も靴を脱がないのが驚きだった。
「客の靴を預かるのは大きな手間だ。脱ぐ方も面倒だろ」
「床が汚れないのか?」
「畳と違って水で流せる。ずっと清潔だ」
建物の内部に噴水まである。
百貨店で柊理はわたしに洋服をいくつもあつらえてくれた。試着用のスカートをはくと、脚が何とも頼りない。女店員に、
「これでは中がのぞかれるのでは?」
と思わず質問してしまった。それ用の下着もあり安心だと笑って返される。おかしなことを聞いたのかと首を傾げた。採寸したそれは、後日邸に届くという。
店の者を邸に呼べば用が済むところを、足を運んだのはわたしに百貨店の光景を見せたいためのようだ。確かに、わたしの目には外のすべてが新鮮で刺激がある。
柊理がわたしが欲しがった大きな舶来のクマを抱えている。小さいのもおちょぼに買った。
「他にはないか?」
首を振る。夢のような場所だと思った。きらきらと照明が輝き、珍しいあらゆるものがそろう。眺めているだけで別世界にいるようだ。
つくづく遊郭を旧びた環境に感じる。わたしは、こんな場がそんなに遠くない同じ帝都にあるとも知らずにいた。
潮目が変わり、京の都におられた天子様が東の江戸に都を移された。徳川の江戸城は天子様の宮殿に様変わりしている。
「ここは天子様の持ちものか?」
都の華やかな豪華なもの、美しいものは天子様の所有なのだろうと単純に考えた。
百貨店の前に高司の黒塗りの自動車が停められている。柊理の姿に気づいた運転手が、素早く彼からクマのぬいぐるみを受け取った。
「見てみろ」
手の空いた彼が、わたしに建物の基礎部分を指し示した。目をやると、平らな石が埋め込まれていて、定礎と刻まれている。竣工の年数の他、所有者としておじい様の名があった。
つまりは、柊理のものだ。