わたしの結婚〜異能の御曹司に見出され、愛されて〜

7、礼司と絵と華族と

 邸で人を呼ぶこともある。

 喪があるため小さなものだ。食事会や音楽会を催すこともある。招かれるのは有明の君の周辺の人々だ。妻の香子やその弟礼司。その友人。そこに柊理の考えで、別な人が交じった。

 礼司は画家で、柊理は彼の描いた絵を何枚も購入していた。

 高司の邸は武家風だが、柊理の趣味で改装されていた。ドアや窓がフランス風で、絨毯を敷きテーブルを置いた洋風な部屋もある。そんな場に、礼司の洋画が飾られる。

 いつしか邸にも慣れた。態度の固かったお冴も日が経つにつれ、従順になり笑みを見せるようになった。
 邸内は美しく庭は手入れが絶えない。使用人が多く彼らは快活だ。わたしが知る霧林の邸はすでにさびれが隠せないありさまだった。そのよかった頃がここにはある。

 柊理が言う。

 「使用人らは俺より姫を敬っているな」

 「そなたはちと威厳が足りぬの」

 「姫が俺の分も持っているんだ。それ以上は余計だろ」

 「そういうところだぞ、柊理」

 言いながらわかっていた。彼は意を通すべきところは譲らない強さがある。必要以外の我を張らないだけだ。


 有明の君の妻香子に誘われ、展覧会に出かけた。彼女の弟礼司の描いた絵が展示されているという。

 キャンバスに夕景を眺める女性と子供の姿が切り取られていた。絵のことは何もわからないが、美しい絵画だと思った。

 「帰蝶さん、どう思われて?」

 「お上手です。きれいな絵でした」

 「あの子、以前絵を学びに三年パリへ行っているの」

 絵を描くのにわざわざ海外に勉強に行かないといけないのか、とあぜんとした。香子が言うには、洋画を志すからには渡欧が必須の風潮があるとか。

 その成果が出て、このような立派な美術館に展示される身になったのだ。

 「よろしかったですね」

 「…華族なら、それだけで展示してもらえる場所よ。名誉でもないの。あの子の絵は、ここでしか展示されないわ」

 意外だった。ここに誘ったのも、弟に甘い彼女の身内自慢だと思っていた。パリまで行った礼司の絵が、世に認められていないのか。柊理は何枚も買ったのに。

 「これからなのでは? 礼司さんはお若いし」

 「若いと言っても柊理様の一つ下なだけ。二十四よ。母は結婚を勧めているわ。絵は趣味として、本業を何か持てと」

 現実的な母親だ。

 「礼司の隣りの桜の絵があったでしょう? あれを描いたのは、華族でも何でもない十八歳の美術学校の人よ。去年の豊造宮賞を賜って前途洋々なの」

 出自も縁故もない若者が栄誉を受けたのは、純粋に才能ゆえのこと。比べて、六つも上の礼司は家の金で渡欧までして芽が出ない。

 本音を言えば、そのままでいいと思う。裕福なぼんぼんだ。通人ぶって趣味に生きても食うに窮するわけじゃない。

 「主人も、そろそろ身を入れて生きろと苦言をもらし始めてるわ」

 これも意外だ。義兄になる有明の君は、礼司の理解者だと感じていたから。集った時なども、彼の才能を認める口ぶりだったのに。

 「ごめんなさいね。柊理様には目をかけていただいているのに。その奥様にこんな話をしたりして。帰蝶さん、とっても大人びていらっしゃるから、つい頼ってしまって…。内緒にして下さる?」

 「それはお約束します」

 香子は胸でくすぶる愚痴を吐き出したかったのだ。噂を恐れて、取り巻きには話しづらかったようだ。わたしを信用した理由は、仲間の新入りで柊理の妻だからかもしれない。

 邸に帰ってから、玄関や廊下、客間などに飾られた礼司の絵を眺めた。線も整っているし、色使いも鮮やかで美しい。どこがいけないのかわからないほど巧い。

 「姉様」

 おちょぼが呼んだ。柊理が帰宅したという。

 「わかった」

 おちょぼは今はわたしの親戚扱いでこの邸にいる。柄入り銘仙を着て髪をおさげに結った姿は、すっかりお嬢さんに見えた。ふと彼女を見て気づく。

 いいも悪いもクセがない。それを理由に彼女に花魁は無理だとわたしは判断した。その考えと礼司の絵への感覚が重なる。

 クセがないのだ。どれほど巧みでも、それがないから人を引きつけない。平凡な印象を与えてしまう。
 夕食の席で柊理にたずねて見た。

 「柊理、そなたは礼司の絵が好きか?」

 がんもどきを口に放り込んだ彼は、咀嚼しながらわたしを見た。彼へ、今日香子に誘われて礼司の絵を見に行ったこと伝えた。

 「好きだが、何だ?」

 「それならいい」

 食堂も洋風に改築した部屋で、大テーブルに柊理とわたし、そしておちょぼが食卓についている。しつらえは洋風でも、食事の内容は柊理が好み、ほぼ和風だ。

 『武器屋』の頃ほど慌てた食べ方はしないが、一度に頬張る量が多いのか、おちょぼはいつも食べこぼす。それをたしなめてやっていると、柊理が聞く。

 「姫はどう思うんだ?」

 「これを直さないと、人前には出せないぞ」

 「おちょぼじゃない。礼司の絵だ」

 「ああ、そうか。あの絵はきれいだが、そなたが買う値では欲しいとは思わない」

 「好みじゃないか?」

 「きれいなだけで、忘れやすい」

 わたしには高い値で何枚も買う価値を見出せないが、柊理が好きならそれは彼の好みだ。

 「香子さんに何か聞いたか?」

 「言わない」

 「まあ、大体のところはわかる」

 「…好きに描かせていてはいけないのか? 道楽に生きるのも、華族の特権だろう」

 「環境が許せばな」

 「許さないのか?」

 柊理はおちょぼの耳を気にして口を閉ざした。おちょぼなら酒席に慣れ、大人の猥談から政治話まで生活音のように聞いて育った。わたしの仕込みで口も固い。

 「おちょぼは賢い」

 「子供が聞かなくていい話をため込むのは、健全じゃない」

 「そうか」

 のちに、二人になった時彼が話してくれた。

 有明の君は礼司のためにかなりの額を融通してきたという。パリへの渡航費滞在費は相当な額に上る。妻への愛情もあり、援助は惜しまなかった。

 「礼司の親はどうした?」

 「華族が皆裕福なわけではない。昔の武家と一緒で、見栄や体裁に金がかかる。それでかつかつな家も少なくない」

 「そうなのか」

 「それだけなら、あの人は文句は言わない。問題が出てきた。礼司の素行だ」

 「女か?」

 「わかりが早いな。それもある」

 賭け事や深酒。不良とされる者とのつき合いも目立つ。絵に専心している態度ではないという。

 「援助など切ればよい。香子も有明の君も甘やかすからいけないのだ」

 「だから、そうしつつある。再度の渡欧をねだって来た礼司に、有明の君は資金の提供を断ったんだ」

 「そこまで知っていて、柊理はなぜ絵を買ってやる? そなたが甘い顔をするから、いつまでも生活を改めないのだ」

 「姫は忘れている。俺はあいつの絵は捨てたもんじゃないと思うんだ。どこにあっても邪魔にならない、その場に溶け込むような絵があっていいだろ。絵描きの行き着く先が、モネやルノワールでなくたっていい」

 彼の言葉には納得できた。たとえば新聞の挿絵や看板絵のような、日常に混じり合う絵だってある。

 「今はその市場がない。しかし時代も変わる。今後様々な場で、そんな絵が求められてくる。その時まで、あいつには絵筆を折ってほしくないんだ」

 「ふうん」

 「場に溶け込むような絵」と表現している以上、柊理も礼司の絵の物足りなさを感じているのだろう。それでも彼の将来を買ってやり、有明の君とは違う形の援助を絶やさない。

 それは、やはり年下の仲間への友情と甘やかしに違いないと思う。
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