大嫌い同士の大恋愛
 会社を出ると、チラリと、片桐さんは周囲を見回し、少しだけホッとしたようにつぶやいた。
「――さすがに、いないか」
「……すみません」
 立岩さんが平然と出勤している以上、顔を合わせる危険性は高く――万が一、待ち伏せされた時を考えれば、片桐さんがいてくれるのは、ありがたい。
 けれど、それと同時に、申し訳無くもなるし不安でもあるのだ。

 ――もし、彼女が襲ってきた時――片桐さんに、何かあったら。

 そう思うと、彼に頼り切るのも怖い。

「羽津紀さん」
「え」
 すると、私の表情が浮かないのに気づいたのか、彼は、安心させるように、手を繋ぐ。
「――大丈夫。……無責任な事は言えないけれど、ちゃんと、守るから」
「……ありがとうございます……」
 その気持ちは、素直に嬉しくて。
 握っていた手が、俗に言う恋人繋ぎになっても、解こうとは思わなかった。


 不動産屋に行くと、思った程に部屋は空いていなく、候補は二件だけに絞られた。
「即時入居が可能となりますと、かなり限られてしまいまして……」
 担当の男性に申し訳無さそうに言われるが、こちらとしては、あるだけありがたい。
 片桐さんは、私に間取り図などを見せて、尋ねた。
「羽津紀さん、どっちにしようか」
「――えっと……」
 思わず、家賃を確認してしまう。
 いずれにせよ、上がってしまうのは確実。
 なら、できるだけ安い方がありがたいのだけれど――通勤距離が、プラス七分になってしまう。
 本当なら、環境や外観も考えたいところなのだけれど。

 ――それに、いつまで住むか、わからないのだ。

「あの……一旦、保留は可能でしょうか」
 私が、恐る恐る尋ねると、彼は、苦笑いでうなづいた。
「まあ、可能ではありますが――他にお問い合わせがあった場合、そちらを優先させていただく場合がございます。それでも良ければ」
「……わかりました」
 要するに、他の人がすぐにでも入居するとなれば、そちらを取ると言う事か。
 商売なのだ、それは仕方ない。
 私がうなづくと、片桐さんは、持っていた書類を、出された封筒に入れて立ち上がった。
「わがまま言って、すみません。できるだけ、早目にお返事しますね」
「よろしくお願いいたします」
 片桐さんに続き、私も立ち上がると、頭を下げた。
「――こちらこそ、よろしくお願いいたします」
 そして、不動産屋を後にすると、片桐さんは、再び手を繋ぐ。
「どこかで、夕飯でも食べて帰ろうか」
「……え、あ、でも」
 夕飯、と、言われ、私は眉を下げた。
「聖と食べる約束してるので……」
「そう?じゃあ、マンションまで送るよ」
「――すみません」
 正確には、約束、ではないが――それでも、聖の事が心配なのだ。
「気にしないで。――キミにとって、久保さんが大事な人だって、わかってるからさ」
「……ありがとうございます」
 不動産屋から歩きながら、片桐さんと、新作の構想を話したり、この前の試作品の話になったり、話題は尽きない。
 ――仕事を挟めば、こんなに気楽に話せる男性なんて、初めてなのに。

 ――何で、恋愛をしなきゃ、いけないんだろうか……。
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