大嫌い同士の大恋愛
『羽津紀ー、たすけてー!』

 夕方、片桐さんとの”会議”のまとめをしていると、不意に、聖から電話がかかってきた。
 その、穏やかでない言葉に、私は、取るものとりあえず部屋から飛び出し、聖の部屋のインターフォンを連打すると、中で、ドタドタと音がし、私は、心臓が冷える。

 ――もしも、知らないうちに、聖に何かあったら。

 そう思ったら、無意識にドアノブを掴んでいた。
 けれど、瞬間、同じようにドアが引かれ、私はよろめく。

「羽津紀ー?」

 思った以上に平和に呼ばれ、顔を上げれば――

「……ひ、聖……??」

 珍しく、エプロンをつけた聖が、粉まみれになって立っている。

「ア、アンタ、助けて、って……」
「うんー。ご飯、作ろうとしたらさ、何か、爆発しちゃってー」
「……は??」
 眉を下げても、顔に粉がついていても、変わらぬ美貌で、聖は笑う。
 私は、呆気にとられて中を見ようとするが、その前に、油の臭いが先に認識できた。
「……ひ、聖、何作って……」
「えっとー、動画で、コロッケ美味しそうだなーって。で、見ながら作ってたんだけど……油に入れた途端、ボン、って、カンジでさー」
 アハハ、と笑う聖を置き去りに、私は、急いでキッチンに入る。
「……聖!!」
「ゴメンー。もう、どうしたら良いのか、わかんなくてー」
 キッチンの床には、散乱したジャガイモらしきもの。
 コンロ周りには、油跳ねどころか、油が広がっている。
 幸い、火事寸前で火は止めたようだが。
「……アンタ……大して料理もできないのに、何で、よりによって、揚げ物……」
 肩を落としつつ、ふきんを手に取ると、私は、ひとまず飛び散った油を拭き始める。
 ――これは、後で、洗剤持って来なきゃ。
 あきれながらも作業を始めると、聖も同じように床を拭き出す。
「……ゴメン……。……ホラ、羽津紀が部屋出ちゃったら、やっぱり、今まで通りにはいかないから……せめて、自分のご飯くらい作れるようになろうかと思ってさ……」
 そう、うつむきながら言う彼女を、私は、驚いて見やる。
「聖」
「羽津紀が、江陽クンを選んでも、片桐さんを選んでも――もう、アタシに構う時間も減るだろうし……余計な心配、かけたくないからさ」
 私は、その言葉に、涙腺が刺激される。

 ――まるで、妹達が自立していくのを見ているようで。
 ――けれど、それは、私の勝手な思いだ。聖だって、同じ歳の成人女性なのだから。

「……バカね。……料理くらい、教えられるわよ」
「――ホント?」
「当然でしょう。余計な気を遣わないの」
「……うん」
 聖は、顔を上げて、微笑む。
「ありがと、羽津紀」
「――まあ、もうしばらくは、猶予はあるから。今のうちに、基本くらい教えられるわよ」
 そう告げると、彼女は、キョトンと返す。
「……え?同棲は?」
「――……ちょっと……保留になって……」
「え?何?片桐さん、何かしたの⁉」
 驚いて、粉まみれの手で肩を掴まれ、揺らされる。
「ひ、聖、落ち着きなさい」
「だって!あれだけ盛り上がってたクセに!許せない!」
「違うんだってば!」
 私は、彼女の両肩を押さえ、落ち着かせる。
「……えっと、ね……」
 ポツポツと、これまでのやり取りを伝えると、聖は、持っていたふきんを取り落とした。
「聖……?」

「……羽津紀……もしかして、江陽クンの事、本気で考えてる……?」

 私は、気まずくなってしまうが、おずおずとうなづく。
「……ええ、まあ……。……あれだけ、本気で来られたら……考えざるを得ないというか……」
「ホント⁉そっか!」
 聖は、満面の笑みを見せる。
 それに見惚れていると、のぞき込まれた。

「――ようやく、素直になった?」

「……べ、別に……考えるだけよ。……それでダメなら、あきらめてくれるらしいし……」

 何だか、居心地が悪くなってしまい、急いで、床を拭き始める。

「……でも、羽津紀が真剣なら、二人とも納得してくれると思うよ?」

 聖も、同じように拭きながら、言った。
 私は、チラリと視線を向けると、わかったように微笑まれる。

「……二人とも、ダメな時は、ダメ、で良いのかしら……」

「それが、羽津紀が、キチンと考えて出した答えなら、ね」

 その言葉に、私は、コクリ、と、うなづく。


 ――未だに、恋愛というものは、よくわからない。

 ――けれど、人と本気で向き合うという事を教えてくれるのなら、それが、成就しようがしまいが、きっと、自分を成長させてくれるものなのだろう――。
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