大嫌い同士の大恋愛
 翌朝、聖の部屋のインターフォンを鳴らし、二分程待つ。
 江陽と別れたという事は、また、一緒に出勤する事になるだろうか。
 結局、昨日は確認ができなかったので、そのまま前のように迎えに行くが、部屋の中は静まり返っていて、私は、ドアの向こうへ声をかけた。

「聖、起きてる?」

 けれど、しん、と、した沈黙が帰ってくるだけ。
 私は少し悩んだが、先に行くね、と、声をかけ、エレベーターで階下(した)に下りた。
 そして、バッグを肩にかけ直し、一度立ち止まり深呼吸。

 ――大丈夫。
 ――私は、間違ってない。

 そう、自分に言い聞かせ、マンションの出入口のドアを開けた。


「おはよう、名木沢さん」


「……おはようございます、片桐さん」


 昨日、私の提案への彼の返信は速かった。

 ――本当に、それで良いなら、僕は構わないよ。

 事情は説明しなくても――たぶん、聡い彼なら、想像はついたのかもしれない。
 深く事情を聞く事も無く、あっさりと、OKを返してくれた。

「急なお願いですみません」
 片桐さんと並んで歩き出し、私は、最初にそう謝った。
 普通なら、バカにしてるのかと、怒られそうなものなのに。
 けれど、彼は、まったく気にもしていないのか、口元を上げて首を振る。
「いや、気にしないで。僕は、まだ、キミをあきらめた訳じゃないし。チャンスと思ってるからさ」
「――……ご期待に沿えず、すみません」
 すると、クスクスと笑われ、のぞき込まれる。

「コラ。一応、彼女なんだから、敬語は抜きにしようね、羽津紀(・・・)さん?」

「――……っ……‼」

 彼の、一瞬、見惚れるような微笑みに、その、どこか色っぽい視線に、硬直してしまう。
「――……か、片桐さん」
「僕のフルネーム、知ってるよね?」
「え・あ・」

 ――すみません、覚えてません。

 気まずさが、思い切り顔に出てしまった。

 片桐さんは、笑いをこらえながら、私の髪を撫でる。

(たかし)。――片桐敬です。改めて、よろしく――名木沢羽津紀さん?」
「……すみません……」
 恥ずかしさで顔を伏せてしまう。
 さすがに、失礼だった。
 けれど、彼は、気にするでもなく続けた。
「偽装とはいえ、恋人同士だからね。せめて、疑われないようにしなきゃ」
「ハ、ハイ……」
「まあ、僕としては、偽装が真実に変わるようにしていくつもり満々なので、よろしくね」
「――……っ……」
 さらりと続けられ、硬直してしまう。
 本当に、そういう言葉に、免疫が無いのだ。
 いい加減にやめてほしい。
 でも、今は、耐えなければ。

 ――聖が、幸せになれないなんて、絶対にダメなんだから。

 ――たとえ、その相手が江陽だとしても。

 あの()は、見た目で判断され続けてきて――それでも、今度こそは幸せになれるって望みを捨てずにいるんだもの。
 いつでも真っ直ぐ前向きな聖は、その分、苦労もしているのだ。

 ――職場で男相手にする時、結構、気を遣うんだよー。同僚とか、先輩の彼氏じゃないかとか、注意してないとだし。
 ――アタシは、何も思ってないのに、話しただけで誤解されるのは、よくあるコトだよー。

 いつだったか、会社の先輩に囲まれたところに遭遇して、どうにか穏便に終わらせられた日の夜、聖が珍しくアルコール類を持って来て、つぶれる寸前にボヤいた時があった。


 ――アタシは、アタシでいるだけで、みんなが敵視するんだよねー……。


 それに対して、何を言う事もできなかった自分が、本当に嫌だった。
 親友が傷ついているのに――今までの経験値が無さすぎて、どうしたら良いのか、わからなかった。
 けれど、聖は、そんな私に笑って言ったのだ。


 ――羽津紀は、そのままで良いんだよー。下手に慰めてもらわなくても、聞いてもらえるだけで、気が楽になるからさ。


 無理しているのは、一目でわかるのに、何も言えなかった。
 ――それなら、私は、この先、聖が幸せになれるように、支えよう。

 私の、大事な、初めての友人。

 損得無しに一緒にいられるだけで、その存在は、かけがえのないものなのだから。

 だから、私が障害になるなんて、あってはならないんだ。
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