大嫌い同士の大恋愛
 ほんの数十秒で、最上階――七階に到着すると、一気に緊張感が増した。
 神屋課長は、私達を振り返ると、そのまま足を進める。
 完全にアポなしの突撃だが、社長の性格だ、怒られる可能性は低いだろう。
 社長室の前に立つと、気持ち強めにノックし、課長は、ドアを開けた。

「おはようございます、社長。お忙しいところ、申し訳ございません」

 そう言って、部屋の中央に視線を向けると、社長はのびのびと、ラジオ体操らしき動きをしていた。
 私が目を丸くしていると、片桐さんが、耳打ちしてくる。
「有名な話だよ。社長、出社すると、まずはラジオ体操なんだ」
「……そ、そう、だったんですか……」
 時刻は八時五十五分。始業前なので、アポなしでもいけると踏んだのか。

「おや、おはよう、おはよう!どうしたんだ、そろい踏みだね!」

 社長はにこやかに挨拶を返すが、私達の真剣な空気を感じ、すぐに支度を整えた。

「座った方が話しやすいかな?」

「いえ、このままで。――面白いご報告ではありませんので」

 そう、課長が告げると、社長はそのまま私達の前にやって来た。

「――何があった?」

 すると、いつもとは全く違う、厳しい口調に変わる。
 それに思わず、ビクリ、と、肩を震わせるが、同じように緊張しているだろう片桐さんに、背中を軽く叩かれた。
「今さっき、こちらの二人から、報告が上がりました」
「内容は」

「――人事二課、立岩による、名木沢への殺人未遂です」

 さすがに、内容が内容なだけあって、社長も目を見開く。
 けれど、すぐに立て直し、私を見やった。
「名木沢さん、事情を詳しく」
 有無を言わさない口調に、ゴクリ、と、喉を鳴らしてしまう。
「――承知いたしました」
 私はうなづくと、一通り、なるべく詳しく話す。
 その間、誰も、一言も口を挟まなかった。
 まあ、事実として言えるのは、江陽のストーカーの彼女が、私を勘違いで殺そうとした、という事だけだ。
 できる限り、冷静に報告を終えると、社長は、苦々しく吐き捨てるように言った。

「――そんな人間が、何で、のうのうと会社に来ている!」

「……たぶん……彼女には、罪悪感が無いんだと……」

 私は、あの時の彼女の笑い声を思い出す。
 一瞬、呼吸が苦しくなった気がしたが、首をかすかに振って耐えた。
「――江陽……三ノ宮さんに対する執着が、私への攻撃の根幹です。……彼女は、江陽を守ると言っていましたので、きっと、間違った事をしているという認識ではないのでしょう」
 それだけ言うと、グラリ、と、平衡感覚が無くなりかける。
「名木沢さん!」
 すると、すぐに片桐さんが支えてくれ、倒れずに済んだ。
「……社長、彼女、まだ精神的に落ち着いてる訳ではありません。……僕達の意思として、内密に処分を下して頂ければ、表に訴える事はしませんので」
 私は、彼の腕に寄りかかりながらも、何とかうなづいた。
「でもね、コレで逆恨みなんて事になったら――」
「原因は、名木沢さんが、二股をかけたという誤解からです。――なので、それが解ければ、身の安全は担保されるのではないかと思うのですが」
 そう言って、片桐さんは、社長と課長を交互に見やる。
 すると、二人は、何だか複雑そうな表情だ。
「……あ、あの……?」
「いや、さっきから、気になってたけどさ。――キミ達、付き合ってるの?」
 課長が、気まずそうに尋ねるので、うなづいて返す。
「――近々、同棲予定です」
 片桐さんが言い切るので、二人は、眉を下げた。
「……そうだったんだねぇ。――キミ、てっきり、三ノ宮くんと一緒になるんだとばかり」
 社長は、私に視線を向けながら残念そうに言うので、あせりながらも首を振る。
「ちっ……違いますっ!……彼とは、幼なじみだっただけで――そういう関係では……」
「ああ、わかった、わかった。人の恋愛事情に踏み込むつもりは無いよ。もういい年の(ジジイ)だしねぇ」
「……社長」
 拗ねる気配を感じ、私は、片桐さんを見上げる。
「……えっと……すみませんが、話せる時になったら話すとしか、今は、申し上げられません」
「――そう。……何か、他の事情もあるみたいだね。じゃあ、その時を待つとするかな、神屋君?」
「……はあ……」
 課長は、若干、恨みがましそうに私達を見やるが、それには、眉を下げて返すしかなかった。
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