死にたがりの少女、夕空を見上げる
3.

生きている痛み

今から二ヶ月前。

七月になり、梅雨が明けた。

夏はさわやかなにおいがする。
窓の隙間から舞い込む風が、病室に外の気配を連れてくる。
庭に植った背の高いけやきの木の枝が風に揺れ、サワサワと緑の葉を震わせている。
じわじわと鳴く蝉の声と、ガタンゴトンというのどかな電車の音。

私は時々、死にたくなる。

死にたい、というか、
生きていることを手放したくなる。

風がこんなにも、さわやかなにおいをしている日でも。

憂うつな気持ちは、私を毎日追いかけてくる。

朝ベッドで目を覚ましたら、憂うつな気持ちが私の隣で目を覚ます。

昼間も、私の胸の中に、憂うつはグズグズとわだかまる。

そして、夜、眠りにつくまで、ずっと私を追いかけてくる。

そんな毎日だけど、
たまに、憂うつな気分を忘れていることがある。

テレビを見て、笑っていて、
〝あ、今、私、普通に笑えてるな〟と思う瞬間がある。
でも、そう意識してしまったらもうダメだ。
意識した瞬間、憂うつな気分は私の中に戻ってくる。

どうして、憂うつは私のそばから離れないのか、考えてみたことがある。
生い立ちだとか、家族のこととか、
悩みはいろいろあるけれど、
毎日そんなことばかりを考えているわけじゃない。

むしろ、私は頭の中がぼうっとしていることが多い。
何か考える気力がない時もあるし、
頭の中のネジが回らなくなったみたいに、
何にも考えられなくなる時もある。

それでも私は、なんとか受け持ち看護師さんと話し合って決めたスケジュールを、毎日守っている。

ここでは、
消灯時間が決まっている。
おやつの時間も決まっている。
朝起きる時間も。
なぜか、毎朝ラジオ体操をしないといけなくて、
食事は患者全員で大広間に集まって食べないといけない。
受けないといけない作業療法という治療がある。日中は、作業療法を二時間ほどこなしている。 

作業療法では、絵を描いたり、音楽を聴いたり、畑仕事をしたり、いろんな作業を行なう。
どんな作業を行うかは、患者さんの病状によって異なるので、作業療法士さんが一人ひとりにあったプログラムを考えてくれる。

私のプログラムはこんなふう。

月・水  ちぎり絵の制作
火・木  ウォーキング
金    陶芸

作業療法士さんいわく、作業療法は、作業を通して気持ちを安定させたり、生活リズムを整えたり、社会生活を送るための練習をしたりするものだそうだ。

気持ちが沈んでいる時は、
足を一歩持ち上げることすらしんどいと思うことがあるので、
正直なところ、作業療法に参加するのには努力がいる。

でも、「さくら園」での暮らしも似たようなものだったから、
私の生活は入院前とさほど変わらない。

気持ちの沈み具合も変わらない。
入院したけれど、自分の状態にあまり変化がないので、焦りを感じることもある。

薬も飲んで、
看護師さんやお医者さんや、心理士さんの言うことを、真面目に聞いているつもりだけれど、
一向に楽にならない。
ずっと、このままだったらどうしよう。

もう、治らないのかもしれない。

そう思うと気持ちがズンと重たくなる。

もう治らないのかもしれないーー。

そう思うたび、
なぜ、ここまで生きてきちゃったんだろうと考えてしまう。

ここまで、歯を食いしばって、踏ん張って生きてきたけど、
もっと早く〝カタ〟をつけていたら良かったのに。

そんな気持ちがわいてくると、わたしは自分の体を痛めつけたくなる。

ーーなんで、こんなことをするの?

自分の体を傷つけるたび、看護師さんからそう聞かれる。
縫合された傷の上にガーゼを当て、包帯を巻く看護師さんは、少し怒ったような顔をしている。

ーーもうしないって約束したのに、どうしてなの?

私はその問いにうまく答えられない。

死にたいから?
つらいから?

考えようとしても、自分でもよくわからない。

〝死にたい〟と、

〝生きたい〟と、

〝助けて〟を、

同じくらい大きな声で叫びたい。

そんな気持ち。

七月。
毎日、空は青い。
空に向かってその三つの言葉を叫んで、
次の日から心の中がカラッと晴れていたらどれだけいいだろう。

私は空に焦がれるように、窓枠に手をついて窓の外を眺める。

病棟の窓は五センチくらいしか開かない。
隙間から入る微風が、髪をサワサワと顔の脇で揺らす。

庭のけやきの木の下で、スケッチをしている患者さんが数人いる。
作業療法士さんがそのそばに立っていた。

スケッチをする患者さんの中に、レンがいた。

庭の風景を眺めながらスケッチブックの上で鉛筆を動かすレンを、窓辺からじっと眺める。
すると、レンがふとスケッチブックから顔を上げ、こちらを見た。

木漏れ日がレンの顔におちる。

まぶしそうに目を細めるレンと目が合った。

痩せっぽっちのレン。
私と話している時はそうでもないけれど、他の患者さんと接する時には、小動物みたいに警戒心の強い目をしているレン。
どこか、いつもさみしそうなレン。

そんなレンが、窓辺にいる私を見て微笑んだ。
嬉しそうに手を振る。

私もレンに手を振り返した。

夏の日差しの差し込む窓辺と、けやきの木の下。
七月。
夏は、さわやかなにおいがする。

手を振ると、真っ白い包帯を巻いた腕が、ズキズキと傷んだ、
〝生きている痛みだ〟と私は思った。


続く~
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