予感
祖母が経営するギャラリーでアルバイトを始めた。

業務は至って簡単。
受付に座り、来場者に挨拶をする。

出品者がいない時は、出品者に代わって事前に記入してもらっている作品シートに沿って、作品に関する説明を代理する。

基本的にこの二つだけ。

お客がいない時は、ボォーッと受付から外を眺めている。

それだけで時給が発生するのだから、本当に割りのいいバイトだ。

家族が経営していることもあって、無駄に怒られることもないし、それに、私は結構、芸術家の作品を見るのが好きだったりする。

「あ、こんにちは」

「どうも」

鼈甲色をした色素の薄い髪、色白でスッとした鼻。長いまつ毛が落とす陰。

彼がギャラリーに入ってくるだけで、室内の空気が厳かになる。

今担当している作家、奈良忍さんは、まるで自身が芸術物のような神秘的な外見をしている。

口数は決して多い方ではないけれど、お客さんに作品のことを尋ねられると落ち着きながらもしっかりと応対し、とても好感の持てる人という感じだ。

お客さんにも彼の真摯さが伝わるのか、中日にして、作品の半数に売り手がついていた。

しかし、今日はあいにくの雨。

この天気では、お客も集まらない。

室内を一周し終わったのか、奈良さんは受付の近くに戻ってくる。

そして降り頻る雨を、静かに見つめた。

綺麗な横顔。

雨が地面に打ちつける音がまるでBgm のように二人の間に落ちていく。


「早く止むといいですね」

独り言のように呟いた私の言葉に、奈良さんは不思議そうにこちらを見やった。

「雨、嫌い?」

「え、あ、止んだほうがお客様がたくさん来場されるかなと思いまして」

「あぁ」

奈良さんはそっちかというふうにまた雨に目を戻した。

どうしよう、返事が返ってくると思わなかったから変に緊張した声色になっちゃった。

恥ずかしい。

でも、嬉しい。奈良さんと話せて。

「奈良さんは雨、好きなんですか?」

調子に乗って聞くと、今度は返事が返ってこなくてへこんだ。

外の雨の音がやけに大きく聞こえて、この場から消えてしまいたくなる。

別にいいんだ。この時間も時給が発生していると思うと、まだ私はやれる。


「好き」

「え、」

「雨、好きだと思う」

あ、あぁ、さっきの会話の続きか。

びっくりした。

自分が言われていると思ってドキッとしてしまった。

こういうとき、経験の浅い自分が嫌になる。

私も一応華の女子大生だぞ。

勉強、バイトばかりでパッとしないのは否定しないが。

でも、奈良さんも大学生なんだよな。

美大生とか普段の生活で関わることがなさすぎで未知だ。

「雨の景色が綺麗だから」

「きれい、か。奈良さんにはそう見えるんですね」

「君は違う?」

「え、うーん、雨の日ってこうどんよりと薄暗くて、私はあんまり好きではないですね」

「へぇ」

奈良さんはまじまじと私の顔を見る。

「なんか、ごめんなさい。つまらないことしか言えなくて」

「僕はそんな風には思わないけど。自分の見え方と違う、人の見え方を聞くのってそれだけで興味深い」

雨を映していた瞳が今は私だけを見ている。

時間が止まってしまったのかと思った。

彼の瞳に自分という存在がくり抜かれ、作品として固定されてしまうような、そんな得体の知れない恐怖と、そして。

「そう言えば、名前……」

「あぁ、遠山楓です」

「かえで、覚えた」

ニッといたずらっ子のように笑う奈良さんの顔は、初めて年相応な大学生に見えて、

私はとても単純だから、それだけで、ただそれだけで。

「……私も好きかもしれないです、雨」

そのとき、しっとりとした梅雨の匂いが確かに私の胸を擽った。
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