人生を諦めた私へ、冷酷な産業医から最大級の溺愛を。
死にたがり
感情が蘇り始めてから2か月が経った。
日比野先生との面接は変わらず継続。
そして、プログラマーとしての仕事も変わらず継続していた。
深夜残業をする日数は前よりも減ったけれど。
それでも勤務状況はさほど変わりない。
当の私は、感情の多くがきちんと蘇り、感情表現が昔のようにできるようになっていた。
『ちょっと前までの黒磯さんは廃人そのものだった』
と、皆が口を揃えて言う。
そこまで酷かった自覚は私には無いけれど、周りがそう言うのだから、そうだったのだろう。
ただ、それと引き換えに。
自分でも引くほど、感情の起伏が激しくなった。
さっきまで楽しいと感じていたはずなのに、急に悲しくなり、涙が零れる。
自分で自分の感情が制御できない。
そんな状況にまた、悩まされていた…。