人生を諦めた私へ、冷酷な産業医から最大級の溺愛を。


「…………」


何も言えずに泣き続けていると、先生はベッドに移動して私を抱き締めた。


「黒磯さん…」


優しく温かい手付きに益々涙が零れる。
先生はそのまま私の頬に触れ、耳元で囁いた。


「…ねぇ、黒磯さん。僕の読み違いなら無視して欲しいんだけど…。良かったら、退院後うちに来ない?」
「……」
「退院させるけど、本当は心配なんだ。…黒磯さん自身も、独りは寂しいんじゃない…?」
「……」


想像していなかった言葉に驚いた。


日比野先生の家……?

…許されるなら、行きたい。
率直にそう思った。

でも、そんなのどう考えても先生の迷惑になる。


「…………」


先生の腕を叩いて、少し離れてもらう。
そして枕元のノートを手に取り、文字を書いた。


【さびしい、不安。でも、先生の迷惑になる】

「…………」


その文字を見て先生は吹き出すように笑った。

「迷惑なんてないよ。…どの道、黒磯さんが今泣いていなくても…僕は最初からそういう提案をするつもりだったから」
「……」


もう一度ペンを持って、ノートにまた、思いを書く。


【いま家には何人ですか】
【私みたいな人、何人いますか】

「………」


文字を見た先生。
今度は…フリーズをしてしまった。


「……え、待って。もしかして僕、受け持った患者をみんな家に連れて帰っているとでも思われてる?」
「………」


その言葉に、首を傾げてみる。
すると先生も同じように首を傾げた。


正直、そう思っていた。
患者以外には冷たく酷いことを言う人だけど、患者には優しいのだろうと。

だから、私にも優しく接してくれているのだと思っていた。


しかし…。
先生の表情を見るに、何か違うみたい。



「勘弁してよ、黒磯さん…。僕は君だから、そう提案しているんだ。これまでの差し入れだってそう。…君だけだよ。黒磯さん」
「……………」
「勘違いしないで。誰にでも優しいと思ったら大間違いだ」



真剣な眼差しに、思わず心臓が飛び跳ねる。
日比野先生は私が手に持っていたノートを取り上げ、また優しく抱き締めた。



「…家に他の人はいない。僕と、猫がいるだけ。気兼ねしなくていい。お金も気にしなくていい。黒磯さんは何も気にせず、安心して療養をしてくれたらいいんだ」
「…………」


何も良くない。
それは、駄目でしょう…。


そう思い首を横に振る。


この入院でどのくらい費用が掛かるかまだ分からないけれど、仕事しかしていなかった分、貯蓄はある。

だから…働けなくても、暫くは生きていけると思う。



…ノート取り上げられたから、何も伝えられないけれど。



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