人生を諦めた私へ、冷酷な産業医から最大級の溺愛を。
「…帰ろう。今日はもう職場巡視をしない。…というか、ここの産業医自体…願い下げだ。こちらからも医師会に変更の依頼を出しておく」
そう言って応接室から出ようとすると、加賀さんがやっと口を開いた。
「…何だか、馬鹿みたい。たかだか残業如きで、死にたいなんて」
「……」
加賀さんの言葉に、反論がすぐ頭に浮かんだ。
けれど声が、出ない。
もどかしくて、スマホで文字を打ち始めると、日比野先生が反応した。
先生は「は?」と小さく声を上げ、加賀さんの方を向く。
「お前馬鹿だろ。そりゃ総務部は9時から18時の定時で帰れるんだから良いよな。土日祝の出勤も無いし、自由な時間もある。…僕さ、職場巡視で何度も何度も、システム部の労働状況を改善しろと指示しているよね。それをお前は知らないの? 一度も改善したこと無いよね」
「……」
「僕の言葉を切り取って、”冷酷な産業医”なんて社内で呼ばれてることも知っているよ。けれど僕に言わせりゃ、会社側の方がよっぽど冷酷だけどね。原川次長もさっき、プログラマーなんて替えはいくらでもいるって言ったけれど。これが会社の本質だよ。人を駒ぐらいしか思っていない、最低で最悪な、殺人企業だ」
「………」
「だから、”たかだか残業如き”って、二度と言うなよ。たかだかじゃねぇよ。現状システム部の残業は過労死レベルだってこと、総務にいるなら良く知っとけ、馬鹿」
「………」
私が産業医面接を受ける前、総務部から面接を受けるよう指示が来た。
そしてその後、症状が悪化した私は総務部に監視されていた。
加賀さんが知らなかっただけなのか。
総務部は『仕事』というだけでそういう対応をしただけなのか。
……壊れた状態で仕事をする私を見て、笑っていたりして。
「……………… 」
いや、もう…何も分からない。
「……」
俯いて唇を噛み締めると、日比野先生は掴んだままの私の腕を少し引っ張った。
「今後、黒磯さんの退職に関する件は、全て僕に連絡すること。…帰ろう、黒磯さん」
「…………」
小さく頷いて会社を後にする。
「……」
10年間、身を粉にして働いてきた会社は、冷たくて酷い組織だった。
悲しみの感情も湧いてこない。
「…黒磯さん」
「………先生。私、何も分かりません」
「…良いよ、分からなくて。もう全て、終わったから」
「……」
歩きながら頭を抱き寄せられ、ふいに感じた先生の温かさに涙が零れた。