夜の魔王と呼ばれる男、実は過保護で激甘でした
急足に入口から裏の廊下に入り、事務室に入ろうとする。

…と、その前の控え室から誰かの話し声がしてくる。耳を澄ませば、

「さっさと辞めればいい。お前ぐらいの女なんて星の数ほどいる。」

「許して下さいオーナー…もう絶対しません。申し訳ありませんでした。どうか今回だけは見逃して…。」
キャストの誰かが必死で真壁に許しを乞うている。

「無理だな。うちの契約書にも書いてある。客と身体を重ねては駄目だと…知らなかったとは言わせない。」
無慈悲にも一回だけの過ちで、辞めさせられてしまうんだ…由亜は背筋が凍るのを感じる。

わーっと泣き出すキャストの声。

由亜は思わず応接室前で足を止めて、立ちすくむ。

突然ガチャとドアが開いて『うわっ』とよろめき、後ろに尻餅を付きそうになる。
その由亜の腰を咄嗟に支えて助けたのは、紛れも無く魔王と呼ばれるオーナー真壁だった。

「…遅刻の上に、盗み聞きか?」
由亜を立たせながら、真壁が無表情で言う。

「す、すいません。本職の仕事が残業で…雅美ママには連絡を入れたのですが…。」
由亜は慌てて恐れおののき、真壁から離れる。

「あら…由亜ちゃん?誰かと思ったわ。」
真壁の後ろから顔を覗かせたのは雅美ママで…

由亜は今日、時間が無くて会社から慌てて来た為、通常勤務仕様の格好だった事に今、気付く。

黒縁メガネで前髪は長く眉毛を隠す。後ろで一つまとめにした髪は、なんの変哲もない黒ゴムで結んでいる。冴えない地味な姿のままだ。

「慌てて来たので…すいません変装出来なくて。」

一瞬真壁に触れられたせいか、ドキンドキンと波打つ心臓が由亜を慌てさせる。

「私から見たら今の由亜ちゃんが、変装してるように見えるけど。」
そう言ってクスクス笑う雅美ママ。

「由亜はサッサと仕事に入って、遅れた分を取り戻せ。」
不機嫌なオーナー真壁にケシ立てられて、バタバタと事務室へと急ぐ。
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